打たれ弱い若者と叱れない上司の関係

ここ数年,様々な会社を回っていて気になることがある。話を聞くと,「いつも怒られてばかりです」と答える若者がとても多いのだ。特に新人は口をそろえてそう言う。なぜだろうか。
 考えてみると,それほど難しい問題ではないことが分かる。
 ①一人っ子世代で,お坊ちゃま・お姫さまとして過保護に育てられた者が少なくないこと。これは日本に限らず,一人っ子政策以降の中国でも同じ現象が見られるという。
 ②学校でも近隣でも,年長者から強く叱られる機会が減ったこと。そのため,体育会系の部活動で厳しい指導を受けてきたことでもない限り,人から檄を飛ばされるなどという体験がない。社会に出て,目上の者から真顔で注意や指導を受けると,大半の若者は「怒られた」と感じるわけである。
 そうしたことに対する免疫がないので,なかには激しく落ち込み,自信喪失してしまう者も出てくる。昨今の新人は仮想的有能感(教育心理学者・速水敏彦氏の命名)がある割に,打たれ弱いといわれるのも同じ理屈で,「七五三」と称される早期離職現象には,そういう要素も含まれている。
 上司たちの側に聞くと,「怒るなんてとんでもない」と,こちらも口をそろえて言う。いまどきの若者が打たれ弱いことなど百も承知だから,腫れ物に触れるように対応しているというのだ。
 どちらの言い分も理解できる。歩み寄りの余地は,どのへんにあるのだろうか。
 キーワードは「承認」あるいは「リスペクト」である。

成果・行動・存在の3つの承認が有効

「人を育てるうえで承認や賞賛が欠かせない」とは,どのテキストにも書いてある。上司たちに聞けば,10人中8 人から9人は「きちんと承認しています」と答えるだろう。では,どんなふうに承認しているのか。
 第一は,相手が期待通りの成果を出したとき。「よくやった」と認め,賞賛する。名づけるなら「成果の承認」だ。はたから見ていて,成果は分かりやすい。上司の皆さんが「きちんと承認しています」と言うとき,たいていはこの成果の承認を指す。
 第二は,相手が成果を出すために一生懸命努力しているとき。そういう場面に遭遇すれば,「よく頑張っているね」と声をかけ,励ます。これは「行動の承認」だ。こちらも,見ていれば分かる。
 では,相手が入社して間もない新人であったら,どうか。まだこれといった成果は挙がっておらず,行動もギクシャクしているだろう。「分からないことは質問しなさい」と言われても,忙しそうな先輩たちを見て気後れし,周りから声をかけてもらえないと,自分は期待されていないのではないか,邪魔者ではないのかと,それこそ太宰治ばりに悩んでしまう。そんな新人たちが実は少なくないのである。
 こうした若者たちに必要なのが,第三の承認,すなわち「存在の承認」だ。「きみがチームの一員となったことを,みんなが歓迎している」ということを,歓迎会のときだけでなく,日々の仕事を通じて相手にしっかり伝えるのだ。承認と期待を示されてこそ,人は自らを奮い立たせることができる。きちんと名前を呼んであいさつをする,ささいなことでも感謝の言葉を述べるなど,考えればアイデアはいくらでも出てくるはずだ。
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