“辞めるか・辞めないか”転職の決断は複眼思考で

 筆者は人事教育コンサルタントという仕事柄,ビジネスパーソンの相談に乗る機会がよくある。相談のなかで多いテーマのひとつは転職。「辞めるべきか,辞めざるべきか,それが問題だ」というやつだ。
こういう相談を受けたとき,まずアドバイスするのが「枚挙の実践」である。「辞めるべき」と思う理由と「辞めざるべき」と思う理由を,できるだけ多く書き出してみようとアドバイスする。
 相談をもちかける人の大半は,「辞めるべき」理由についてはすらすら書ける。では,「辞めざるべき」のほうはどうか。今の会社に勤め続けたほうがよい,と思える理由である。これをすらすらと枚挙できる人は少ない。気持ちが「辞めるべき」のほうに傾いているため,現状を正確に把握できなくなっているのだ。正確に把握すること自体がイヤだ,もう考えることを放棄したい,と感じている人もいる。長いこと悩んできた人などがそうで,いわば「悩む自分」に疲れてしまっている。
 先に結論をいうと,転職をしたあげく後悔する人が多い理由は,決断するときの考え方が間違っているからである。「辞めるべきか,辞めざるべきか」の比較検討が十分になされないまま,勢いで決断してしまうケースが多いのだ。
 では,どのようにして良い面に目を向けるのか。その有効な方法が「枚挙」なのだが,そうはいっても,会社を辞めようかどうかと迷っている人が,その会社の良い面を列挙していくことは,現実問題として難しい。そういう場合は,1 日に 1 つ書くことにして,しばらくは判断を棚上げするよう進言している。
 検討するための材料が十分にそろうまで,結論を留保するのだ。「へたの考え休むに似たり」という慣用句があるが,へたの考えをして後悔するくらいなら,休んでいるほうがよいのである。そこでこんなふうにアドバイスする。
 「結論を出すまでに 3 ヵ月,時間をおこう。それまでに会社の良い面・悪い面を具体的にメモしてみよう。焦って後悔しないために,かといって,ズルズル先延ばしにして悩む自分に悩んだりしないために」─期限を切ったうえでのエポケー(判断保留)には次の 3 つの効果がある。①一定の時間をおくことで冷静になれる。②枚挙を意識することで観察眼が養われる。③結論を出す日を決めることで心が楽になる。

人さまへの奉仕か自分のための道楽か

「やりたい仕事ができなくて」と若者がグチをこぼすと,「ふざけるな。そんなセリフは10年早い」と先輩が叱る。「もっと面白い仕事がしたくて」と言うと,「仕事に面白いもクソもあるか。食うためには働かなくちゃならないんだ」
 赤ちょうちんでは,よくこんな会話が交わされている。面白くてこそ仕事,と考える人がいれば,つらくてもやるのが仕事,と考える人もいるわけである。間違っている,いや正しいと,議論を続けても決着がつくことは少ない。基本となる言葉の解釈が異なるので,水かけ論が続くことになる。
 ボタンのかけ違いを正すためには,どうすればよいか。言葉に含まれている意味を分析して,認識の一致を確認すること。つまり「定義」が大切となる。
 夏目漱石は,人が働くということについて語った講演で,次のような指摘をした。
 人が行う広義の仕事は,道楽と職業とに大別される。道楽とは「己のためにする仕事」であり,職業とは「人のためにする仕事」である。生活のあり方としては「自己本位の生活」と「他人本位の生活」とに区分される─と。
 「職業というものは要するに人のためにするものだという事に,どうしても根本義をおかなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから,元はどうしても他人本位である」。これに対して,「昔に盛んであった禅僧の修行などというものは極端な自己本位の道楽生活であります。彼らは見性のため究真のため,すべてを抛なげうって坐禅の工夫をします。黙然と坐している事で何で人のためになりましょうか。善い意味にも悪い意味にも,世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります」(演題『道楽と職業』/講談社学術文庫版『私の個人主義』に収録)
 これはすごい説だ。悟りをひらこうとして励む僧侶を「自己本位な道楽もの」と決めつけたのは前代未聞の発想である。

マズローの 5 段階欲求を自分の言葉で言い換える

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