私の友人が某電鉄グループのフードチェーン会社の役員に就任したときのこと。最初の新規事業として,沿線のターミナル駅構内に立ち食いそば屋を出すという。
「味もサービスも,他社の追随を許さない最高レベルを目指している。開店したら招待するよ。ぜひコンサルタントの厳しい感想を聞かせてくれ」と私に言った。自信満々の様子である。半年後の夏,i1 号店がオープンしたというので,当の役員と待ち合わせて開店時刻に出かけた。
「味もサービスも,他社の追随を許さない最高レベルを目指している。開店したら招待するよ。ぜひコンサルタントの厳しい感想を聞かせてくれ」と私に言った。自信満々の様子である。半年後の夏,i1 号店がオープンしたというので,当の役員と待ち合わせて開店時刻に出かけた。
サービスが裏目に 出るとき……
のれんをくぐると,まず「いらっしゃいませ!」の合唱がとどろく。すごい活気だ。活気があるのはけっこうなのだが,耳を聾するほどの大声で,すっかり度肝を抜かれてしまった。店の中は木材のにおいも初々しく,カウンターはとてもきれいだ。すぐに水が出てくる。
まずは合格点かとうなずき,しかし,コップの水を飲んで驚いた。夏だというのに,水がぬるい。見ると,給水器の前の盆に,水を入れたコップが20個ほど整然と並んでいる。客が来たらすぐ出せるようにとの配慮なのだろう。準備がよいというか,かえってそれが災いして冷たい水が温まってしまったのだ。
役員は店の者に声をかけ,すぐに新しい水を用意させた。
「まあ,これはご愛嬌だ。肝心のそばはうまいぞ。折り紙つきだ」と役員は言った。
すぐに天ぷらを添えたざるそばが出てきた。折り紙つきと自賛するだけあって,そばにはなめらかな光沢があり,天ぷらも大きく香ばしい。
「この割り箸にしても,ちゃんと環境に配慮しているんだ」
と講釈しながら,彼は円筒形の箸立てに手を伸ばした。箸立てには,割り箸がぎっしり詰まっている─が,詰まりすぎていて,抜こうとしてもなかなか抜けない。
「ずいぶん念入りに押し込んだようだね」
嫌みを言うつもりはなかったのだが,相手にはカチンときたらしい。箸立てを握りしめると,力づくで引き抜こうとした。それでもうまくいかない。何本か多めに差し込むだけで,箸立てはよくこんなふうになる。たくさん入れておけばよいというものではなかったのだ。
そのうち役員の顔色が変わった。招待した客の前で醜態をさらすことに怒りがこみ上げてきたようだ。1 本では抜けそうにないので,まとめて何本か引き抜こうとした。
すると次の瞬間,箸立てが破裂したかのように,あたり一面に割り箸が散らばった。
「なんだ,この箸立ては!」
彼は責任者を呼んで,ひとしきり説教をした。
経営者が不具合に 気づけなかった理由
その後ほかにも改善点は見つかった。私が指摘したのではない。すべて役員が自ら発見したのだった。「きみたち,そうやって客をじっと見ているもんじゃないよ。食べにくいじゃないか」私たちがそばを食べていると,手すきの店員がこちらを見つめていた。目が合うと,にかっと笑う。客とのアイ・コンタクトを大切にするよう指導してきた結果のようだ。
食べ終わると,友人は壁にかけてある額縁を眺め,力のない声で言った。
「あれ,ないほうがいいかもな?」額縁には墨文字で麗々しく,こう書かれていた─「お客さまに愛され,信頼される店になろう!」
「そうだね」と私はうなずいた。
このようなスローガンは,わざわざお客さまに見せるものではない。そこで働く店員たちに向けての言葉なのだから,お客さまの目の届かないところに掲げておけばよいのだ。 せっかくのお披露目が,こうして散々な結果になってしまった。友人にとっては面目丸つぶれだったようだが,よい経験をしたともいえるだろう。「オープンの前に何度も視察したんだが」と,彼は悔しそうに言った。しかしこういうことは,“役員の目”で視察しても,なかなか分からないものだ。「水はきちんと用意しておきなさい」と指示しても,きちんと用意した水がどうなっているかは,客として実際に飲んでみなければ把握できない。同じように,「アイ・コンタクトを大切にしなさい」と強調しても,どの程度大切にすればよいのかは,客の立場にたたなければ実感できない。
顧客の視点から 仕事を見つめるには?
かつてCS(カスタマー・サティスファクション=顧客満足)という言葉が産業界で流行していた頃,ある高級クラブのチェーン店がホステス全員の胸にCSワッペンをつけさせ,話題になった。男性客の接待をする薄着の女性の胸にワッペン,である。「おさわり禁止」を暗示するのなら話は別だが,何とも顧客満足の趣旨に反するアイデアではないか。お客からの評判は芳しくなかったが,経営者は節を曲げようとしなかった。それが,しばらくたって急に心変わりした。接待でゴルフ場に出かけたとき,キャディさんの胸に同じようなワッペンがついているのを見て,感じるところがあったようだ。「顧客満足に励んでいます」と,これみよがしに見せつけられるのは,客にとって興覚めだということに気がついたのだ。
顧客満足のために働くのは,奉仕を旨とするサービス業にとって当たり前のことであって,仕事の中身できちんとそれを実践するのが本来のCS活動である。クラブの経営者が身をもってそれを悟るためには,自分が1 人の顧客としてサービスを受ける側に立ってみることが必要だった。
こうして書いてみると,分かりきったことのようだが,そうとは言いきれない。視察や実験を繰り返すだけでは駄目なのだ。視点が経営者の位置から変わらないからである。顧客の眼差しを獲得するためには,自分自身が顧客になってみなければならない。
「相手の立場にたって考えろ」とは,使い古された言葉だが,このことには根本的な難しさがある。ちょっと考えてみれば分かる通り,人は決して「相手の立場にたつ」ことなどできないからだ。それをまず認めたうえで,さまざまな観点から念入りに仮想し,何度も疑似体験を重ねること。その繰り返しによって,ようやく理解し,体得できるものがある。
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