部下を巻き込む才覚に長けていた秀吉
豊臣秀吉のエピソードに墨俣一夜城の建築がある。主君・織田信長の密命を受け,敵方の最前線に短時日で城を築いた。一夜城といわれているが,実際には3 昼夜半を要したという。秀吉がまだ木下藤吉郎を名乗っていた30歳のときのことだ。この功績により,秀吉は大勢のライバルたちの中で頭角を現すことになる。
臨機応変の才覚を示す逸話として有名だが,別の観点から見ると,秀吉の最も秀吉らしい個性が感じられ,さらに興味深い。わずか数日で城のごときものを作るために,配下の者たちをどのように動機づけたかということだ。
 彼はまず,これから面白いものを作るのだと部下や地元の衆に向かって熱く説いた。信長と敵の斎藤道三を,ともにびっくりさせてやろうじゃないかと。そして夜を徹しての重労働になるから,そのぶん報酬もはずむと約束した。皆のやる気をかきたて,自分も参加することで大いに雰囲気を盛り上げた。迅速な意思決定と果断な行動が信長の本領だとすれば,秀吉は人の心を巧みにつかむ老獪さが最大の持ち味であった。
 この城造りは秀吉にとって一世一代の大勝負だ。そのために大勢の部下や地元の衆に無理を強いるのだから,ヘタをすれば離反の憂き目にあう。関わった者は2,000人あまり。「黙ってやれ」の命令では共感が得られない。どうすれば皆に気持ちよく働いてもらえるか。そうした場面での人心収攬術に,秀吉は常に抜群の冴えを見せた。
 このエピソードから教訓を抽出すると,次のようになる。
・なぜこの仕事をするのか,ていねいに説明する。
・完成したらどうなるのか,夢の見取り図を描く。
・仕事に見合った報酬を約束する。
・率先垂範することで協働意識を高める。
 説明責任,動機づけ,率先垂範など,リーダーシップの要件がそろっている。マネジメントの要諦とは,部下の自発的な協力を引き出して目的を達成することである。リーダーにはさまざまなタイプがあるが,この点に関しては秀吉のほうが信長を上回っていたようだ。

「上からの指示だから」は 逃げ口上に過ぎない

「一将功成って万骨枯る」という言葉がある。部下をがんがん働かせることで大将は功績を挙げるが,多くの者がその犠牲となって倒れる。現代の企業社会でもよく見られる光景ではないか。
 部下には厳しいノルマを課して,成果が挙がると上司が「いいとこ取り」をする。うまくいかないときには,その責任を部下に負わせる。これはおかしい,やってられないと不満が噴き出し,やがて上司は窮地に追い込まれる。マンガ的な説明だが,部下から見放される上司というものは,多かれ少なかれこうした事態を自ら招いているものだ。
 部下の側から説明を求められると,たいていの上司は「上からの指示」を口実にする。
 「上がうるさく言うものだから」「不本意ながら,きついノルマを与えられて」
 上からの指示は体のよい逃げ口上にすぎない。それは部下の側も勘づいている。説明責任,動機づけ,率先垂範は,部下の自発的な協力を得るための3 点セットといえるが,これが不得手な上司は「上のせい」にして逃げようとする。そういう場面を何度も体験しているから,部下の側も分かっているのだ。
 中間管理職は本来,上と下とを半々に見て,それぞれのために良かれと思って動くのが筋である。しかし本人は半々のつもりでも,部下の立場からすると8 対2 か,7 対3 くらいの割合で,上ばかり見ているように感じるものだ。そして,それがたぶん真実に近い。異議がある方は,試しに自分が「上の気持ち」と「下の気持ち」と,どちらのほうに通じているかを考えてみるとよい。自分の上役は今どんなことを考えているか,自分の部下は今どんなことを考えているか。推測がつきやすいのは上役のほうではないか。だとすれば,それが上ばかり見て仕事をしている証拠なのだ。
 「下情に通じる」という言い回しはあるが,「上情に通じる」とは言わない。下情を理解するにはそれなりの努力が必要なので,慣用句として成り立つ。その逆は,誰もがやっている当たり前のことなので,慣用句にもならないのではないか。
 判断に迷うことがあったら,下のために動くことを優先すればよい。そのくらいで部下の目には,上と下とを半々に見ている公平な上司と映る。

「会社のため」ではなく 「社員のため」と考える

「ご家中下々のためになるようにと思ってすることが,お上のためにもなる。考え違いをしている者は,お上のためにと思って目新しいことを企て,下々のことなど顧みない。そのため下の者たちに困ったことが起こるのだ。これが一番の不忠というものである」
 江戸時代の武士の修養書『葉隠』に見られる指摘だ。
 会社の不祥事を例にとってみると分かりやすい。「会社のため」という口実で行われる不正は,ほとんどが幹部や管理職の保身のための行為にすぎない。真実が明るみに出ると自分たちの立場が危うくなるので,部下たちにも一蓮托生を強いる。
 悪い情報が経営トップの耳に達していないケースが少なくないのも,幹部や管理職の責任逃れに端を発する。経営トップの耳に達すると,そのような事態を招いた自分たちの責任問題になりかねないからだ。
 上のためだとか会社のためだとかいう表現は,ほとんどが眉唾ものだと思えばよい。「~のため」を持ち出すなら「部下のため」「社員のため」と考えてみることだ。何をなすべきか,正しい解答に近づくことができる。
 下の者に媚を売れというのでは,もちろんない。下の者は,自分たちのことを本気で考えてくれている上司のためにこそ献身的に働く。その道理をきちんと理解しなければならないということだ。彼らの共感を得られずして,自主的な協力を引き出すことはできない。
 こういう道理というものは,常に「言うは易く行うは難し」。実践できるかどうかに人の器量が問われるところである。
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