顧問先の会社で、よく若い人から転職の相談を受ける。そういうときは、まず今の会社の良い点、悪い点をそれぞれ10くらい列挙してみるようアドバイスする。“重大な判断をするときは的確な分析をしたうえで”ということだが、これがなかなかできない。
「上司とウマが合わない」「仕事にやりがいが感じられない」-その程度の理由で、軽率に判断を下す。その結果、すぐに後悔する。そういう例が非常に多いのである。ウマが合わない上司など、どこにでもいる。仕事の真のやりがいなど、短期間で味わえるものではない。そうしたことをよく自覚し、第三者的な観点に立って、今の会社の長所にも目を向けてみる。冷静な判断があってこそ、戦略的な指針が立てられるというものだ。
「上司とウマが合わない」「仕事にやりがいが感じられない」-その程度の理由で、軽率に判断を下す。その結果、すぐに後悔する。そういう例が非常に多いのである。ウマが合わない上司など、どこにでもいる。仕事の真のやりがいなど、短期間で味わえるものではない。そうしたことをよく自覚し、第三者的な観点に立って、今の会社の長所にも目を向けてみる。冷静な判断があってこそ、戦略的な指針が立てられるというものだ。
「公平な評価」は言うほど簡単ではない
転職しようと考えている人が、自分の会社の判断を間違えるように、管理職の立場にある人も、部下の人事考課においてしばしば同じ種類の間違いを犯す。気に入っている部下の長所(あるいは、気に入らない部下の短所)をたくさん並べるのは容易だが、その逆は難しい。特に、気に入らない部下の長所については、なかなか思い浮かばない。だからこそ気に入らないわけで、当然のことながら評価も低い。ここに人事考課の落とし穴がある。
人事考課においては一般にどのような傾向が認められるか、ちょっと分析的に考えてみよう。
「自分の主観は排除して、できる限り公平に評価している」とは、管理職たるもの、誰もが口にする言葉だが、現実はなかなか建て前通りにはいかない。情実が過半を占めているといっても過言ではない。
上司が部下を高く評価しがちなパターンとしては、次の例が多く認められる。
(1)自分と似たタイプであること。
(2)自分に対して従順であること。
(3)自分にはない特色をもっていること。
逆に低く評価しがちなパターンは、次の3つ。
(4)自分とは異なったタイプであること。
(5)自分に対して反抗的であること。
(6)自分にはない特色をもっていること。
意識の有無にかかわらず、高く評価しがちなのは相手に共感を覚えるからであり、(1)や(2)のように、自分と似ているか、自分に逆らわないかのどちらかが強い因子となる。評価者の器量が小さければ小さいほど、この2つの要素だけが「よい人材の条件」となってしまう恐れが大である。トップが自分と同じタイプの人間とイエスマンだけを重用し、やがて危機に瀕した会社の例は枚挙にいとまがない。
(3)の、自分にはない相手の特色を「長所」として認められるためには、評価者の器量が大きいことが前提条件となる。
自分とは異質の人材の長所を評価できるか?
城の石垣というものは、大きさや形のふぞろいな石を積むから強くなるといわれる。組織の石垣にも、まさに同じことがいえそうだ。控えめなタイプの上役が押し出しの強い部下を評価する、あるいは突撃隊長タイプが寡黙な実務家肌を重用することによって補完的な組織ができる。要するに、自分とは異なったタイプの者を、いかに公平な目で評価することができるか。人事考課の最大の眼目はここにある。
先に挙げた、人を低く評価する(6)の例を見ていただきたい。(3)の項目と一字一句同じである。自分にはない相手の特色を、長所と見ることができるか、あるいは短所と見てしまうかによって、評価は180度変わるわけである。
自分と異なる者には、まず警戒心をもって接するのが、人間のみならずあらゆる生き物に共通する本能的な対応だ。それによって相手が敵か味方かを判別するのである。この本能的対応の域をほとんど出ていないような管理職が、現実には少なくない。あなたが管理職の立場だったら、気に入らない部下、評価の低い部下を、改めてじっくり観察していただきたい。
タイプとして、あなたとは異なる部分が多い人間ではないだろうか。
偏向のない評価ができているかどうかを確認するには、気に入らない数と同じだけ「気に入る部分」を列挙できるか試してみることだ。それがきちんとできて、にもかかわらず評価が低いというなら、どんどん注文をつけて指導に専念すればよい。
主観的立場とは、個人的な好き嫌いに依存している状態を指す。より客観的な評価をしたければ、自分が好ましく思うものについてはいったん批判的になってみること、嫌っているものには好意的なまなざしを向けてみること。このバランス感覚を失わぬよう、常に配慮する姿勢が肝要といえる。
同じ要領で、自分に従順なタイプの部下には、果たしてこのままでいいのかと危機意識をもってみる。自分に反抗的な部下には、そのエネルギーをうまく活用する方法はないかと、好意的に考えてみることだ。
若いうちは年配者からかわいがられたのに、中高年になって疎まれる人たちがいる。そのほとんどは「真面目で大人しく上司に従順」だったタイプといえる。こういう人たちは上司にとって管理しやすくかわいいため、実際より評価が甘くなり、そのため適切な指導教育が施されないまま年をとってしまう危険性が高い。自分の部下から将来の窓際族を出したくないと思うなら、かわいい部下に対してこそ危機感を募らせなくてはならない。
「ひいき」の感情を疑ってみる必要がある
かつて私の先輩に、部下の悪口を公然と口にする人がいた。「あいつの発想はいつもワンパターンだな」「こつこつ真面目にやればいいってもんじゃないぜ」。ユーモラスに文句を言うのだが、相手は買っている部下ばかりだった。逆に、今ひとつの部下に対しては、持ち上げるような発言をしていた。要するに、普通と逆行する表現をしていたのだ。おそらく意図的に行っていたのだろう。
そこまでの繊細な配慮はなかなかできないものだが、自然な感情の発露に注意を向けてみるという心配りは、大切なことのように思われる。人には誰しも「ひいき」の感情はあるものだが、「あの人はえこひいきをする」という評判が立つことは、職場を管理する者にとって大きなダメージとなる。
一度じっくり振り返ってみてもよいテーマではないか。
(2011.06.13掲載)
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