「勇将のもとに弱卒なし」という格言がある。強い大将のもとに弱い兵士はいない。戦国時代、あるいは軍隊においては、問題なく当てはまる言葉だと思われる。ちょっと分析的に考えてみれば分かる通り、そもそも勇将とは強い兵を持つ大将のこと。大将は自分が直接、敵兵と戦うわけではない。兵を組織化し、適切な指示を出して、自分の兵に敵と戦わせるのだから、勇将の条件とはまず強い兵隊を集める、あるいはそれを育てるということになる。
この格言を、単純に会社組織に応用して述べたがる人がいる。
「優秀な管理者のもとに愚鈍な部下なし」といった具合だ。一見、問題なさそうだが、実はこれが要注意。特に自他共に認める有能な管理者である場合は、なおさらだ。
その場合は、むしろ「優秀な管理者のもとに優秀な部下は育たず」と自戒するほうが賢明といえる。
なぜなら、優秀な管理者とは、本来「管理者として優秀な人」を意味するはずなのに、しばしば「1人の働き手として優秀な管理者」と混同して言われるからだ。プロ野球の世界で名選手が必ずしも名監督にならないように、ビジネスの世界でも、専門職として優秀な人材がそのまま優秀な管理者になれると決まったわけではない。むしろ、なれない人のほうが多いと考えたほうが、実態に即しているだろう。

「優秀な管理者」の資格には、優秀な部下を育てることも大きな要件として含まれる。しかし「優秀な人材」は仕事を人にうまく振り分けるより、すべてを1人で遂行しようとする傾向がある(それがきちんとできるからこそ優秀といえるわけだが)。これは、人の育成の観点から見れば致命的な欠点になりかねない。能力面でまだ二流の部下に指示し懇切に指導するよりも、一流の自分が片付けてしまったほうが手っ取り早い。だから自分がやる。いきおい、周囲の気勢はそがれる。その人がいるうちは組織の生産性は高く保たれても、配置転換となると、とたんに「人が育っていない」という大きなマイナス面が露呈してしまう。「優秀な管理者のもとに優秀な部下育たず」とは、こういう経緯を指す。

自分がいなくても機能する組織を作る

パーキンソンの法則で有名な社会学者ノースコート・パーキンソンは、『マネジメント・バイブル』という著書のなかで、「管理者の仕事とは自分がいなくてもきちんと機能する組織を作り上げることである」と述べた。これは逆説的な表現ながら、非常に含蓄に富んでいる。人の上に立つ人すべてが、一度はよく吟味しておくべき名言といっても過言ではない。

スポーツの世界であれ会社組織であれ、最も理想的な状態とはメンバーが高度なレベルで自律的に機能・運営できる状態をいう。誰かに指示されてできるのは、その前の段階であって、理想はあくまで自主運営が可能になることだ。そのための指導をするのが管理者の職務なのだが、このへんのところを勘違いしている人が少なくない。

「おれがいないと、どうもうまくいかなくて……」と、なかば得意そうに語る管理者は、本人は自分の存在価値をアピールしているつもりながら、その実、自らの指導力の乏しさを暴露しているようなものだ。
管理者の価値は、自分がいなくても立派に機能・運営する組織を、どれほど短い期間で育て上げることができるかにかかっている。この「自分がいなくても」という潔さがキーワードといえるだろう。

では、自分がいなくても立派に機能する組織を育て上げたあと、管理者はどこへ行くのか。
未熟な別の組織を担当する。あるいは新しい戦略的部門を立ち上げてもいい。昭和の名経営者、土光敏夫氏の言葉に「仕事の報酬は仕事」というものがあるが、ひとつの任務を終えたら、さらに困難な別の任務を担当する。その連続が組織においてマネジメントする人、すなわちマネジャーの職務なのである。

自分がいなくてもうまくいく状況をできるだけ早く作るとは、ある意味で自己否定的なニュアンスが感じられるが、これは親子の関係においても指摘できるのではないか。よい親とは、いつまでも子供の面倒をみている親ではない。
自分がいなくても自活できる能力を持った子供を短期間で育て上げる親、つまり子離れが早く可能になる親こそが、生物学的な見地からも良い親なのである。昨今では会社の入社式にまでついてくる「教育ママ」がいるそうだが、これほど「教育」という言葉の持つ本来の意味とそぐわない存在もない。

“任せる”管理者が優秀な部下を輩出する

かつて筆者のクライアント先に、ユニークな管理者がいた。1人の働き手としては、それほど優秀ではないものの、彼のもとからは優秀な社員が輩出するのである。調べてみると、理由は至って簡単なことが分かった。
 (1)仕事はどんどん人に任せる
 (2)自分は調整役に徹する
 (3)成果があがったら大いに賞賛する
煎じ詰めれば、この3 つに尽きた。

単に人任せな管理者との違いは、任せる理由を懇切丁寧に説明し、問題が起こったらすぐにフォローする点であった。部下が働きやすいように、他の部署との調整はきちんと行い、その意味では面倒見がよい。
また「ぼくがやるより、○○君に任せたほうが安心だから」と公言してはばからない。少し頼りない感じだが、信頼感を前面に出して部下を鼓舞するのである。部下たちは、持てる能力より少し難しめの仕事を任されることによって能力を高め、自然と頭角を現していくようであった。

「勇将のもとに弱卒なし」的な管理者は、自分が先頭に立ってぐいぐいと引っ張っていくタイプ。対してこちらは、部下を先頭に立たせ、しっかりと後押しするタイプだ。後押しするフリをして自分がラクをしているようでは総スカンを食ってしまうが、そうではなかったから、結果として良いチームワークを築くことができたわけだ。

「自分は体が弱かった。だから人に任せるより仕方なかった。おかげで立派な人が育った」とは、経営の神様と称された松下幸之助翁の言葉である。あれもこれも自分で片付けてしまう優秀な人より、部下のモチベーションを上げることに長けた管理者のほうが、育成ということに関しては優秀といえる。
「個人の成果主義」の前に、「チームの成果主義」を重視すること。それが管理者の立脚点にほかならない。

(2011.05.16掲載)
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