先日、講演で広島を訪れた際に、地元の老舗企業の社長と懇談する機会があり、歴代のプロ野球広島カープ監督の品定めなどをした。過去の監督のうち、最も印象に残っている名将は誰か。すると、期せずして社長と私の意見が合った。古葉竹識氏である。

選手を引き立てる言葉 腐らせる言葉

古葉氏は、いわゆる鬼監督タイプでもなければ、ニコニコタイプの監督でもない。派手なパフォーマンスもマスコミ受けを狙った発言もしなかった。地味な部類に属する監督だったと思うが、組織のリーダーのあり方として非常に参考になる人だった。
ある日の勝利監督インタビューでのこと。
「〇〇投手はこのところ不調続きでしたね」との問い掛けに、「だから今晩は必ずいいピッチングをしてくれると確信していました。何といっても彼はうちのエースなんですから」との答え。
「4 番バッターもずっとスランプでした」とマイクを向けられると、「ここというところでは働いてくれるんです。だから不動のクリーンアップなんですよ」。実に歯切れのよい受け答えだった。

人前での古葉監督の発言はいつも選手を引き立てるものに終始した。信頼感を前面に出すことで、自然に選手の自覚を促すのだ。表面的な演出ではなかった。いかにも謹厳実直そうな人柄と相まって、選手を“その気にさせる”十分な効果があった。練習では鉄拳制裁も辞さない厳しい指導者の一面を持ちつつ、公式の場では選手を腐らせる不用意な発言は決してしない。試合中は、大勝していても敗色濃厚でも一喜一憂せず、静かに選手を見守っている。軍団を率いるリーダーはどうあるべきか、よく知っている方であった。

同じ頃、古葉氏とは対照的な管理法を実践している監督がいた。厳しく管理しなければ選手は育たない、強いチームは作れない、というのがその人の持論で、門限をきっちりチェックするなど選手の私生活にまで管理の範囲を広げ、食事にも徹底的な注文をつけた。
インタビューでの発言は、「あれでプロと言えますかね。うちの選手連中はもっと恥を知らなきゃいかん」「よくあんな練習で10年も野球を続けられたもんだ。レベルが低いですよ」と、監督就任前にカラクチ評論家としてならした口調のまま、選手を名指しで批判したものだ。選手にプロとしての自覚を促すための、いわば逆療法のつもりだったのだろう。それで発奮するタイプの人間もいたに違いない。確かにチームは一時強くなり、優勝を飾ったこともあった。しかし、選手との間に長期にわたる良好なコミュニケーションが築けるわけもなく、最終的には不協和音が高じて、身を引くことになった。

苦労した選手こそ監督にふさわしい?

人前でけなされることによって「なにくそ」と元気を出す人もいるが、多くの人は反感を覚えるものだ。人間はプライドによって自分を支えている動物だからである。
鼻っ柱を折られて発奮するのは、自他共に認める確かな地位をすでに築き、多少のことでは揺らぐことがない大きなプライドを持っている者だけだ。その域に達していない並みのレベルは、プライドを傷つけられたときには反射的に敵意を抱く。
「名監督、必ずしも名選手ならず」といわれる理由の一端もここにある。かつて自分が名選手であった監督は、二流の域から抜け出せない選手たちに忍耐強く接することがなかなかできない。自分のレベルが高かったため人に求める水準も高く、それを実現できない者にはどうしても高飛車な物言いをしがちになる。要するに元名選手は、並みのレベルの者をていねいに指導することが苦手なのだ。

古葉氏をはじめとして名監督といわれる人は、選手として二流だった人が少なくない。失礼な表現になるが、自分が二流だったからこそ二流の選手たちの気持ちが分かるのだろう。どう磨けば光を発するようになるか、ツボをよく心得ているのだ。
一般に人間の集団を統率する方法は、 3 つに集約されるといわれている。

(1)恐怖
恐怖によって集団を統率するタイプは圧政型リーダーである。「アメとムチ」のうち、ムチのほうを使ってビシビシ厳しく管理する。軍隊のように、常に最悪の危機的状況を想定して備える組織には、この型のリーダーが必要だといえる。

(2)報酬
報酬というアメが不可欠なのは、どちらかといえば人が嫌がる仕事を扱う職場においてである。報酬は誰だって多いに超したことはないが、高い歩合給や報償金など、アメによって管理しなければ人が働かない組織というものもある。

(3)共感
共感による管理とは、古葉監督の例のように人の気持ちを重視し、共感によって互いの結束を堅固なものにすること。戦時ならぬ平時においては、この共感型リーダーシップが最も組織の力を高める要因になる。「あの人のためなら、どんな努力もいとわない」と部下に言わしめるリーダーの多くは、このタイプに属する。優しいか厳しいかといったことが問題なのではない。どれだけ親身になって部下の気持ちを察しようとしているかが問題なのだ。

一流選手だった過去は監督職の資格にならず

ちなみに、古葉氏は広島カープの監督に11年間在任し、 3度のリーグ優勝と日本一に輝いている。その後を継いだのは三村敏之氏。
三村氏の主張で面白かったのは、プロ野球の指導者を一種の免許制にしてはどうかというものだった。選手が何の資格も得ずに、「名選手だった」という過去の栄光だけでコーチや監督に就任するから現場で問題が起こる。つまりきちんとした指導を受けられずに球界を去る若者が後を絶たない。指導者を目指す人には、人材育成の基本を学ばせるべきではないか。三村氏のこの論には大いに合点がいった。

同じことは一般の会社にも言える。名プレーヤーだから名マネジャーになれるという保障はどこにもない。むしろ、名プレーヤーだからこそ名マネジャーになれないリスクが高いのだ。一般常識的な管理職研修ではなく、そのことに焦点を絞った研修があってもよいのではないか。

(2011.04.18掲載)
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