若い部下・後輩を持つ上司・先輩に求められるものは何か。
(1)懇切丁寧に教えること、(2)気軽に相談に乗ること、(3)何ごとにも範を示すこと、など、箇条書きであげていけば切りがない。これらは基本中の基本だが、意外と忘れられやすいのは、(4)仕事愛を伝えること、ではないか。プロ野球・読売巨人軍の原辰徳氏が、監督就任時に「ジャイアンツ愛」という言葉を使ったが、あれと同じ種類のものだ。

部下が聞きたいのはグチではなく情熱
「仕事愛」なんて、演歌みたいで気恥ずかしいと言う人もいるだろう。仕事はクールでいいと思う人もいるだろう。強制するつもりはない。ただ、仕事愛を堂々と語れる人、態度で示せる人は、間違いなく部下から信頼される。今風に言えば「リスペクトされる」のだ。「あの人の姿勢は、まねはできないけど、何だかすごいよね」「仕事に対する気合というか、情熱が違う。さすがだと思う」―そんな風に言われる。
私の友人に、自分が製造の一部を担当しているクルマのことを、いつも誇らしげに語る人がいる。自動車の製造工場に勤務している男だ。酒の席でも、話題にするのは会社や上司の悪口ではなく、クルマのことばかり。
「今度のクルマはいいぞ。造っていて、ワクワクしてくる」
一緒に街を歩いていても、往来のクルマばかり見ている。
「お、来たぞ。あれは05年製だな。調子よく走ってるじゃないか。おーい、元気か!」 大きな声で言って、手を振ったりする。まるで子供のようだ。部下たちは、また始まったという顔で苦笑いする。中には一緒になって手を振る者もいる。
実に素朴な例だが、仕事愛とはこういうものだ。自分が担当した商品に愛着を持ち、誇りを感じているのだ。いや、単なる商品ではない。彼にとっては「おれが造ったクルマ」なのである。
担当しているのは、製造全体のほんの一工程にすぎない。それでも「おれが造ったクルマ」であることには違いない。情熱を込めて、一生懸命に打ち込んでいるからこそ、そう言えるのだ。
部下と打ち解けてくると、会社への不満や仕事へのグチをこぼす上司が増えてくる。酒が入ったりすると、つい嘆き節になってしまうこともある。「おれたちがいくら頑張っても、上が評価してくれないからな」「しょせんサラリーマンなんて、こんなものだ」などと。
しかし、部下が聞きたいのは、そんな話ではない。働くことへの志であり、未来への希望なのだ。それを堂々と語り、周りを情熱の色で染めてしまうような人―そういうリーダーを求めているのだ。
かつて私がお世話になった上司は、私が担当した商品(書籍)を持って報告に行くと、目を細めて喜んだ。出来栄えをチェックしたあと、「いいねえ。よかったねえ」と、我が子を見るような温かい眼差しを商品に注いだものだ。それはまぎれもなく、仕事愛のバリエーションだった。この人はこの仕事が好きなんだということが、はっきりと伝わってきた。
仕事愛のある人であれば、当然のことながら、出来栄えにはうるさい。失敗したときの叱責も厳しい。しかしそれが仕事愛に裏打ちされたものだと理解できれば、部下は喜んで叱責を受け入れる。それを励みにしようとする。コミュニケーションを支える礎となるのは、そういうものだ。

「仕事が好き」は働くことの原点

だいぶ前のことになるが、ある印刷所に「博士」と呼ばれている組版担当の社員がいた。印刷所の仲間がつけた渾名ではない。発注する出版社の人がつけた敬称のようなものだった。著者が書いた原稿に間違いがあると、ていねいに指摘してくれるからだ。その分野も、歴史から思想、社会学など広い範囲に及んでいた。
出版社の編集者にしても、職掌柄それなりの教養の持ち主が少なくないが、「博士」はそのレベルをはるかに凌駕していた。私も評判を聞いて、試しに発注したことがあったが、聞きしに優る博識ぶりだった。
どうしてこれほど博識の人がいるのかと営業部長に尋ねると、こんな答えが返ってきた。その社員の上司は、部下に仕事愛を吹き込む点では最高の上司だったという。「この仕事は楽しいぞ。何といっても偉い先生方の原稿を直接読んで勉強できるんだから」。いつもそんなふうに語り、自身もとても楽しそうに仕事をした。「大いに勉強して、そのうちテレビの物知りチャンピオンになろうじゃないか」と言って部下を発奮させていたという。部下たちはやる気をかき立てられ、原稿を担当するごとに、その分野の参考書や類書などを読んで知識を増やしていったそうだ。仕事を通じて勉強するうちに、ちりも積もれば山となるで、いつしか「博士」と呼ばれるほどの人物が育ったというわけだ。
後に「博士」はテレビのクイズ番組に出場し、本当に日本一の雑学王の座に就いた。もともと勉強をするのが好きという性分も幸いしたのだろうが、きっかけは上司の言葉だった。組版という仕事は、何か動機付けとなるものがなければ単調で、ある意味しんどい作業だ。しかし上司の言葉と仕事への取り組み姿勢が、「博士」にとっては大きな動機付け要因となったようである。
「動機付け要因」という言葉は、ご存じの通り半世紀前にハーツバーグが唱え、衛生要因とははっきり区別して重視したもので、原語はモチベーター、すなわち「モチベーションを高める要素」を指す。上司の言葉がモチベーターとなるなら、それこそ理想的な部下育成といえるだろう。ハーツバーグは自分が行った調査から、有効なモチベーターとして達成感、承認、責任、成長などをあげた。さらにもうひとつ、「仕事そのもの」というファクターも。日々携わっている仕事が、苦役となるかモチベーターとなるかでは、天と地ほどの違いがあるということだ。
今回のエピソードは、あまりに単純な事柄だけに、日頃私たちが看過しがちなテーマでもある。仕事そのものの楽しみや味わいを、自分自身が感じているだろうか。それを周囲にも伝えようとしているだろうか。職場に働く者の原点がそこにあることは間違いないように思われる。
未曾有の厳しい経営環境に押しつぶされそうな時代にこそ、そうした朴訥な仕事人の存在が求められていると言えるのではないか。

(2010.12.06掲載)
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