CS(顧客満足)は1990年代に広く日本の産業界に普及した経営戦略の概念である。当時,「CS推進部」という部署が多くの会社に設けられた。その後ブームは去ったが,最近また「原点に戻れ」ということで見直されている。顧客満足を経営理念に掲げながら,商品の品質や産地の偽装が行われるなど,顧客への背信行為が多発しているからだろう。CSについて考えるとき,個人的に思い出すことが2 つある。

サービスが先,利益は後という経営思想

「クロネコヤマトの宅急便」でおなじみのヤマト運輸は,市場占有率4 割近くを占める宅配事業の最大手だ。その昔,この事業を旧郵政省が独占していた頃は,配送に時間がかかっただけでなく,荷物の損壊などのトラブルが発生し,官業ゆえの劣悪なサービスが目立った。それが,ヤマト運輸をはじめ民間企業の進出によって急速にサービスが改善されるようになった。
この会社の中興の祖ともいうべき小倉昌男氏(故人)は,従来とは比べものにならないほど高品質のサービスを実現してからも,なお顧客満足の向上に心をくだき続けた。一例に,今では常識となった夜間配送の実施がある。
都会では昼間,届け先に出向いても留守の家が少なくない。そのため,車両を増やし配送システムを整備しても,お客に荷物を手渡すまでにどうしても時間がかかる。そこで小倉氏は,「お客さまが留守のときにうかがうようでは,私たちが悪い」と考えた。お客さまが在宅する夜間に配達すればよい。それがサービス業の基本ではないかと。
こうして夜間配送を始めることになったが,このアイデアは当初,関係者から総スカンを食らった。
それもそのはずで,夜間配送には配送員の時間外手当てをはじめ大幅なコスト増が見込まれ,場合によっては深刻な経営危機につながりかねない。昼間の配送だけでよいではないか,と。
しかし「良いサービスとはお客さまにとっての良いサービス」が小倉氏の持論だった。提供する側の理屈など二の次にしなければならない。思案した末に,結局は宅配事業を開始したときの理念に立ち戻ろうと決心した。それは「サービスが先,利益は後」というものだ。この理念に徹することによって,ヤマト運輸が次々と業界をリードする新サービスを導入し,多くの顧客の支持を得るに至ったのは周知の通りである。
現在でも,伸びている会社を分析してみると,必ずといっていいほどこうした理念が確立されている。
一般に,儲けようとすればするほど儲からなくなるのは,目先の損得感情にばかり捕らわれて,次第に顧客の立場から遠ざかっていくためである。自分ではそのことに気がつかないために,事態はいっそう深刻の度を増す。
「利益のことばかり先行させると,どうしてもクライアントの研究がおろそかになる。しばらくはうまくいっても,いずれ必ず破綻を来す」
小倉氏の言葉は耳に痛く,同時に,経営に携わる者には今もって学ぶ点が多い。

自社商品を勧めない営業ナンバーワン氏

筆者が日本能率協会という団体に勤めていた頃,同僚に30代にして営業のナンバーワンと言われた人物がいた。とりたてて営業マンらしいところはない。どちらかといえば風采の上がらないタイプだ。いったいどんな営業ぶりなのかを見たくて,同行取材してみたことがある。
先方の会社では人事教育課長が担当だった。課長に様々な実務教育プログラムを紹介し,講師派遣やコンサルティング,通信教育などの注文をいただくのが同僚の仕事だ。
彼がひと通り推薦商品の説明をすると,課長は「それでけっこうです」とうなずいた。すでに,ある程度の信頼関係ができているらしく,商談はスムーズに運んだ。
驚いたのは,先方が「ついでに,例のコンサルティングのほうも見積りを出しておいてよ」と言ったときの受け答えだった。
「前にもお話しした通り,あの件はウチじゃないほうがいいですよ。A社かB社のほうが実績もありますし,御社の希望にぴったりする内容のプログラムを持っていますから。よろしければ担当者をご紹介しましょうか」
受注につながるかもしれない依頼にもかかわらず,彼は競合他社を推薦したのだ。こちらに該当する品目がないわけではない。同僚はA社B社のほうが先方の依頼にはベターであると判断したわけだが,これは「利敵行為」,普通は許されない。
帰途それを指摘すると,彼はこう答えた。
「ぼくたちの立場はAE(アカウント・エグゼクティブ)なんです。押し売りではない。目的はクライアントに最大の満足をもたらすことであって,自分たちの儲けはその次です。他社の商品のほうが優れていれば,残念だけど,そちらを勧めざるを得ない。提案営業とはそういうことだと思う」
では,ほとんどの商品分野で他社のほうが優れているとしたらどうするのかと,意地悪な質問をすると……。
「そんなダメな会社のAEになんかなりませんよ。そういうところは倒産すればいい。世のため人のためになってないんだから」
明快な返事だった。
営業マンの目的は「クライアントに最大の満足をもたらすこと」
というのは,別に目新しい考え方ではない。顧客満足を第一とするCS経営の理念でもある。しかし,それを徹底して追求すると,場合によっては自社商品より他社商品を勧めたほうがよいときもある―とまでは誰も考えない。会社が営利追求団体である限り,顧客満足の前に自らの利益獲得が前提となるからだ。だから人は,営業マンの言うことには「まゆつば」があるだろうと,少し猜疑心を抱く。
私の元同僚が多くのクライアントから信用を勝ち得ていたのは,「顧客のために」という言葉に偽りがないことを,その言動によってしっかり認知されていたからに違いない。彼が勧めるものなら間違いがないと信頼されているのだ。また,ときとして他社にもおいしい情報をもたらすため,業界での評判も非常によかったのだ。
会社の枠を超えたリーダーとして活躍するのは,このような人物ではないかと感心させられたものである。

(2012.02.06掲載)

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