『戦後の経済成長の過程で、日本社会はどんどん効率的になった。工場には次々と機械が導入され、電車は秒単位で正確に運行され、ムリ・ムダ・ムラは削られていった。経済成長、社会の効率化と言い換えても良いだろう。
一方、近代化によって、社会の多様性と寛容性は失われていった。「Winner takes all.(勝てば総取り)」で、最も効率的なシステム・サービスが日本全国で採用されるため、日本中で同じような商品やサービスが提供されるようになり、地域の伝統文化や街並みも姿を消していった』(『通商白書』2009年版のコラムより)
筆者がこのコラムを読んだとき、日本社会の若者を「育てる」文化の衰退を思い、「まさに昨今の新卒採用にも通ずる話だ」と感じたものである。本稿では、あえて「効率的ではない採用」に取り組んで、結果として大きな成果を生み出した会社の事例を紹介したいと思う。
若者は未来の価値を生む財産
新卒採用は投資なのかコストなのか。入社後すぐに業績に貢献することのない新卒者採用に大きな予算を組めない企業は多い。社員1人当たりの人件費は(大卒入社後60歳まで雇用するとして)約3億円。30年かけても人件費ほどの利益すら上げられない社員もいる一方で、入社10 年もしないうちに全社の業績を飛躍的に向上させ、新たな事業を生み出すような社員もいる。若者は多くの会社にとって、未来の価値を生み出す大きな財産である。採用時には邪魔で面倒くさいだけの存在かもしれない。しかし、未来の財産となりうる彼らを、どう見つけ、迎え入れ、育てていくか。これは企業経営にとって、手を抜くことのできない重要な課題であることは間違いない。ここに目を向けることのできる会社とそうでない会社とでは、10年後の明暗がクッキリと分かれることだろう。
本稿で取り上げる企業は、筆者が経営する株式会社パフが新卒採用の支援を以前より行っている、東京都品川区に本社のある株式会社ダイワコーポレーション(以下、ダイワ)という物流企業である。
ダイワは、首都圏に20ヵ所の倉庫を所有する従業員数150名、年商100億円超の会社なのだが、10年前はその半分にも満たない事業規模だった。この成長の裏側には、若い人材の採用と育成に賭ける経営者の深い想いと挑戦があった。
特に今回ここで紹介したいのは、ダイワが2015年2月より取り組んでいる新卒採用プロジェクト(同社では「和く和く(わくわく)プロジェクト」と命名している)だ。入社3年以内の若手社員全員に、新卒採用の企画・運営を全面的に任せるというものなのだが、どのような目的や意図で、このプロジェクトを起案したのか。そして、それをどのように運営し、成果に結びつけていったのか。
次章より、現在までの取り組みをドキュメンタリー形式で解説していこう。
事業内容: 1)普通倉庫業、2)倉庫施設等の賃貸業、3)ビル賃貸業、4)自動車運送取扱事業、
5)損害保険取扱業、6)不動産業、7)輸出入貨物取扱業 など
資本金:90,000千円 設立:1951年10月 代表取締役社長:曽根和光
本社:東京都品川区南大井6-17-14
URL http://www.daiwacorporation.co.jp/
若い次期経営者が新卒採用の先陣を切る
ダイワが新卒採用を定期的に行うようになったの は、2001年4月から(採用活動のスタートはその1年以上前から)。当時まだ取締役経営本部長だった曽根和光氏(現在の代表取締役社長、当時32歳、以下、曽根)が、父親である当時の社長に、「これからは新卒採用によって会社を活性化させ、若い感性で新しいことにチャレンジする企業文化を育み、社会に貢献し続ける強い会社にしていきたい」という熱い想いを訴えた。それまでも新卒採用を実施したことのある同社だったが、知名度や規模では大手に見劣りしてしまうこともあり、なかなか思うような人材を採用することができていなかった。加えて、若手社員の定着と早期戦力化にも手こずっていたため、どうしても新卒採用に対しては及び腰だった。しかし、曽根の熱意に根負けした当時の社長は「お前がそこまで言うならばやってみるか」と、新卒採用の本格的な取り組みをスタートしたのだった。
最初の数年間は、(営業部門を統括していた)曽根自らが採用の最前線に立ち、会社や事業の将来に対する熱い想いを、集まってきた学生に直接、語りかけていた。特にこの頃の就職環境は「超就職氷河期」と形容される就職難の時代。曽根には「継続的に新卒者の雇用を行うことは社会の公器たる企業の責任。将来、経営を担うことになる自分自身が汗を流さなくては」との想いがあったのだという。そのかいあってダイワの新卒採用は軌道に乗り、若手社員を大事にし、「育てる」文化も育まれてきた。
曽根が専務になり、社長になり、直接採用に携わる時間が減ってからも、曽根の新卒採用に賭ける想いは同社の管理部が引き継ぎ、より質の高い若者の採用を実現していった。また同時に、曽根が社長に就任するタイミングでは、基本理念(右)を明確にするとともに、その理念を全従業員に浸透させるべく教育・研修体制を一新した。これら採用・教育施策が功を奏し(もちろん、それだけが原因ではないだろうが)、前述のような著しい成長を遂げたのだった。
(人事マネジメント 2015年9月号より転載)
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