河谷 隆司 著
beyond刊 2160円
日本企業という特異な組織を解説した本だ。類書はありそうだが、読んでことがない。日本語と英語が併記されている。内容に違和感があり、意表を突かれた。
beyond刊 2160円
日本企業という特異な組織を解説した本だ。類書はありそうだが、読んでことがない。日本語と英語が併記されている。内容に違和感があり、意表を突かれた。
たとえば「Truth about The Japanese Way of Work(日本人の勤労観)」というチャプターに「Work to Japanese is a holy act.」と書かれて、「日本人にとって仕事は聖なる行為」と定義されている。そしてGood Morning!(おはよう)は、「Starting a day with a loud Ohayo(gozaimasu)! is to shift one’s mental mode from private to public, thus enabling total concentration while keeping atmosphere.」と説明されている。
この説明を読んで「えっと?」と思った。仕事が聖なる行為? 朝の「おはよう」が公私の切り替えのため? 日本人がそんなことを意識して、あいさつをしているのか? イスラム教徒の規律はきびしいそうだが、日本人のあいさつの根源にもそんな厳しさがあるのか? 違和感がある。
どこの国でも「Good morning!」、「Guten Morgen!」という朝のあいさつがある。フランス人は「Bon jour!」で朝と昼のあいさつを兼用するが、あいさつをしないわけではない。どこの国に行っても、あいさつがあるのは人類共通である。なぜ本書は日本人のあいさつだけを特異なものして書いているのか? そこで知人のアメリカ人(WASPで共和党支持者、海軍歴のある英語教師。滞日40年)にこの箇所を読んでもらった。
彼の感想は「オハヨウって。どう言おうが関係ナイヨ」。立ち話だったので、なにが関係ないのかよくわからないが、彼にとってこのような主張はどうでもいいらしい。アメリカ人らしい感想だ。
しかし、本書を読み進めてすぐにわかった。本書は欧米人に向けて書かれた本ではないのだ。読者対象は、東南アジアに進出する日本企業の日本人、そしてその現地法人で働く東南アジア各国の従業員である。
欧米と日本の労働・雇用慣行はずいぶんと異なっている。同じアジア圏だが、日本と東南アジアとは欧米以上に大きな違いがあるようだ。
実例が紹介されている。仕事という「聖なる行為に切り替えるため」にある日本人シンガポール支社長は全スタッフを教育し、1年間をかけて「Good morning!」と言わせるようにしたそうな。事実かどうかは知らないが、かつての日本人ビジネスマンならやりかねない。いまでもやるかもしれない。また日本式の高度な接客サービスを提供するなら、朝のあいさつに始まる職場の規律を定着させる必要があることは理解できる。その観点で読むと、本書はよくできている。
日本人が本書を読むと、こんなに日本人は勤勉で礼節を守る民族なのかという疑問が生まれる。東南アジアの人が読んでも、180度違うアングルから同じような感想を持つかもしれない。
読了しての印象だが、日本人ビジネスマンを類型化すると、本書で描かれるような人物になるだろう。そして現地人社員との円滑なコミュニケーションを取るために、本書は有益だろう。なにしろ類書がない。
本書の叙述にはいささかの違和感と苛立ちを持つのは、わたしが日本で暮らす日本人だからだろう。日本で暮らしながら日本人を見ても、日本人の特性はよくわからない。外から特性を指摘されるから、やや不快なのかしれない。
行動パターン、心理特性が成立する文化背景に関しての説明が面白い。本書は「同時多処理(Polychronic Culture)」と「単一処理(Monochronic Culture)」という言葉で説明している。
同時多処理とは「クッキーを口に入れて同僚としゃべりながら顧客と電話するといった、同時に複数のことを楽しむ」文化。単一処理とは「一度にひとつのことをしたい文化。一度にたくさんのことをする文化は集中力を欠き、不真面目と感じる」文化。
同時多処理文化の国は、東南アジア、インド、中国、中東、ラテンヨーロッパ(たぶん地中海沿いのイタリア、スペインなどの国を指していると思われる)、ラテンアメリカ。単一処理文化の国は、日本、韓国、シンガポール、米国、北ヨーロッパ。そうかもしれない。
ところで、普通の英和辞典で「Polychronic」や「Monochronic」を引いても出てこない。ふたつの概念を提案したのは、エドワード・ホールというアメリカの文化人類学者だ。時間には「一度に一つのこと、優先度順、直線的時間」の単一処理と、「一度にたくさんのこと、結果優先、多面的時間」の同時多処理があるという説だ。
単一処理の日本人マネジャーが、同時多処理の東南アジアの現地従業員とうまくやっていくには互いの理解が必要だ。理解の前提になるのが相手の文化を知ることだ。きっと本書は役に立つ。
この説明を読んで「えっと?」と思った。仕事が聖なる行為? 朝の「おはよう」が公私の切り替えのため? 日本人がそんなことを意識して、あいさつをしているのか? イスラム教徒の規律はきびしいそうだが、日本人のあいさつの根源にもそんな厳しさがあるのか? 違和感がある。
どこの国でも「Good morning!」、「Guten Morgen!」という朝のあいさつがある。フランス人は「Bon jour!」で朝と昼のあいさつを兼用するが、あいさつをしないわけではない。どこの国に行っても、あいさつがあるのは人類共通である。なぜ本書は日本人のあいさつだけを特異なものして書いているのか? そこで知人のアメリカ人(WASPで共和党支持者、海軍歴のある英語教師。滞日40年)にこの箇所を読んでもらった。
彼の感想は「オハヨウって。どう言おうが関係ナイヨ」。立ち話だったので、なにが関係ないのかよくわからないが、彼にとってこのような主張はどうでもいいらしい。アメリカ人らしい感想だ。
しかし、本書を読み進めてすぐにわかった。本書は欧米人に向けて書かれた本ではないのだ。読者対象は、東南アジアに進出する日本企業の日本人、そしてその現地法人で働く東南アジア各国の従業員である。
欧米と日本の労働・雇用慣行はずいぶんと異なっている。同じアジア圏だが、日本と東南アジアとは欧米以上に大きな違いがあるようだ。
実例が紹介されている。仕事という「聖なる行為に切り替えるため」にある日本人シンガポール支社長は全スタッフを教育し、1年間をかけて「Good morning!」と言わせるようにしたそうな。事実かどうかは知らないが、かつての日本人ビジネスマンならやりかねない。いまでもやるかもしれない。また日本式の高度な接客サービスを提供するなら、朝のあいさつに始まる職場の規律を定着させる必要があることは理解できる。その観点で読むと、本書はよくできている。
日本人が本書を読むと、こんなに日本人は勤勉で礼節を守る民族なのかという疑問が生まれる。東南アジアの人が読んでも、180度違うアングルから同じような感想を持つかもしれない。
読了しての印象だが、日本人ビジネスマンを類型化すると、本書で描かれるような人物になるだろう。そして現地人社員との円滑なコミュニケーションを取るために、本書は有益だろう。なにしろ類書がない。
本書の叙述にはいささかの違和感と苛立ちを持つのは、わたしが日本で暮らす日本人だからだろう。日本で暮らしながら日本人を見ても、日本人の特性はよくわからない。外から特性を指摘されるから、やや不快なのかしれない。
行動パターン、心理特性が成立する文化背景に関しての説明が面白い。本書は「同時多処理(Polychronic Culture)」と「単一処理(Monochronic Culture)」という言葉で説明している。
同時多処理とは「クッキーを口に入れて同僚としゃべりながら顧客と電話するといった、同時に複数のことを楽しむ」文化。単一処理とは「一度にひとつのことをしたい文化。一度にたくさんのことをする文化は集中力を欠き、不真面目と感じる」文化。
同時多処理文化の国は、東南アジア、インド、中国、中東、ラテンヨーロッパ(たぶん地中海沿いのイタリア、スペインなどの国を指していると思われる)、ラテンアメリカ。単一処理文化の国は、日本、韓国、シンガポール、米国、北ヨーロッパ。そうかもしれない。
ところで、普通の英和辞典で「Polychronic」や「Monochronic」を引いても出てこない。ふたつの概念を提案したのは、エドワード・ホールというアメリカの文化人類学者だ。時間には「一度に一つのこと、優先度順、直線的時間」の単一処理と、「一度にたくさんのこと、結果優先、多面的時間」の同時多処理があるという説だ。
単一処理の日本人マネジャーが、同時多処理の東南アジアの現地従業員とうまくやっていくには互いの理解が必要だ。理解の前提になるのが相手の文化を知ることだ。きっと本書は役に立つ。
◆著者コメント
上記書評内の“違和感”について、著者からコメントをいただきました。ぜひ続けてこちらもご一読ください。*****
Winning Together at Japanese Companies著者の河谷です。まず拙著を取り上げて頂き感謝致します。その上で書評者が本書について違和感を感じられた2点について一筆入れさせて頂きます。日本の勤労観は特に戦後の近代化の過程において、自らの文化的ルーツを忘却してしまった面があり、書評者以外にも同様の感覚を持たれた方は当然おられると思います。
書評者の感じられた一つ目の違和感は「日本人にとって仕事は聖なる行為」との記述です。英語でholy actとしましたがその意味合いはact of faith(自己の内面的信条に則った行為)と言えば理解が広がるでしょうか。
私はマレーシアに17年暮らしましたが、マレーシアの国産の新車を購入直後、夜間山道を運転中に突然電気系統がダウンし、パワステが動かない、電灯が消える、窓が開けられない中で九死に一生を得た体験があります。国産車メーカーの修理工場へ怒鳴り込んだところ、係官はこう返してきました。「旦那さん、新車を転がす前にちゃんと点検しなきゃダメでしょ」。
この話を聞いたデンソー・マレーシアの日本人幹部は現地社員との勤労観の違いを私にこう述懐しました。「部品ひとつに至るまで人の命に係わる仕事をしているんだとの意識がなかなか伝わらない」。また先週会った日本企業のインドネシア人新入社員は日本人の「どんなに小さな事でもきちんと、納得するまでやろうとする態度」にまず驚いたそうです。
イチロウ選手はバットとグローブを日々自分で手入れすることが知られています。三振しても、絶対にバットを地面に叩きつけないどころか、打って走るときさえ、そっと地面にバットを置きます。富士通の初期スパコン開発を知る元フィリピン工場の社長は「フィリピン人は真面目で良い人達だったが85%の成果で満足してしまう。日本人は99%を目指そうとするんだが、その溝は埋めるのが難しかった」と言って帰任されました。
イチロウの話で武蔵の「五輪書」(江戸初期)が思い出されます。武蔵は兵法を大工の嗜み(たしなみ)に例えてこう述べています。「大工の嗜みは、よく切れる道具を持ち、暇のある時に研ぐことが肝要である。<中略>大工の嗜みは、歪まないこと、接合部分を合わせること。鉋でよく削るのはよいが、やたらに磨きたてて不具合をごまかさないこと。仕事が後々歪まないことが肝要である」・・・デンソー、イチロウ、富士通、五輪書の話は仕事への姿勢において通底していないでしょうか。私は海外に長く暮らして外国人の目を獲得しているつもりですが、日本人は、経理マンであれ営業マンであれ技術者であれ「職人」だと感じざるを得ません。そこに私は一途さ、内的哲学、すなわち、日々の糧を得る以上のこだわり、つまり、精神性(faith)を見出します。
書評者の違和感の二つ目は「朝のおはよう」の挨拶が、公私の切り替えの側面があるとの記述です。引用したシンガポール赴任者の例はもちろん私が数年前に直接聞いた事実です。彼は挨拶なしで業務を始めることにどうしても抵抗があったので、業務への集中感やメリハリをつけさせるために1年がかりで習慣化させたのです。どこの国でも朝の挨拶はありますが日本のように全員が顔を合わせた瞬間儀礼として声を掛け合う習慣はほとんど聞きません。日本の朝の「おはようございます」は、朝早くから出勤してきた相手に対して「お早うございますね」と声をかける労いの心が原点です。夕方には「お疲れ様でした」「お先に失礼します」が定番ですが、欧米でもアジアでも決まった表現はなくその時々のおしゃべりやSee you tomorrow. で儀式的な切り替えの言葉なしに自然に、日本的感覚からいえばメリハリなく帰宅します。
日本の社会生活には、朝夕の挨拶を筆頭に、神事の後の直会、2次会としての無礼講、アフターファイブ、本音と建て前など目に見えない「門」があって、そこをくぐる前と後の世界はあたかも回り舞台の見せる異なる「場」となり、当事者も回りも心境の変化があるものです。本書の筆致はご指摘のように、アジアの人を主な読者に想定している部分はありますが、日本人の精神性の記述自体は読者の在住地域とは無関係に書いています。
本書の狙いは私の記述を肴にして、読者自身の持論を整理され、職場の風土や個人の考えと較べながら対話を深めてもらうことにあります。どうぞ闊達な対話が進むことを期待しています。
河谷 隆司
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