柴田昌治・金井壽宏 著
日本経済新聞出版社 1,785円
リーマンショック以降の円高によって、多くの日本企業は塗炭の苦しみに喘いだ。日本を代表する輸出産業は自動車と電機であり、円安になった今日では自動車産業にはかつての栄光を取り戻す勢いがあるが、電機産業の復調は険しそうに見える。
そして厳しい環境の変化が企業に変革を迫っている。この瞬間にも、パナソニックやシャープの変革劇は進行しているのだろう。しかし、そんな苦境から立ち直った企業が20年前に存在した。いすゞ自動車だ。
いすゞ自動車は1991年10月期決算で過去最大の経常赤字473億円を出し、倒産寸前になった。その危機感をバネに風土改革に盲進し、1996年3月期には年換算で400億円の黒字という快挙を成し遂げた。この5年間にいすゞ自動車では何が起きたのか? そのドキュメンタリーを綴ったのが本書である。
日本経済新聞出版社 1,785円
リーマンショック以降の円高によって、多くの日本企業は塗炭の苦しみに喘いだ。日本を代表する輸出産業は自動車と電機であり、円安になった今日では自動車産業にはかつての栄光を取り戻す勢いがあるが、電機産業の復調は険しそうに見える。
そして厳しい環境の変化が企業に変革を迫っている。この瞬間にも、パナソニックやシャープの変革劇は進行しているのだろう。しかし、そんな苦境から立ち直った企業が20年前に存在した。いすゞ自動車だ。
いすゞ自動車は1991年10月期決算で過去最大の経常赤字473億円を出し、倒産寸前になった。その危機感をバネに風土改革に盲進し、1996年3月期には年換算で400億円の黒字という快挙を成し遂げた。この5年間にいすゞ自動車では何が起きたのか? そのドキュメンタリーを綴ったのが本書である。
ドキュメンタリーとは、演出を加えることなくありのままの素材を編集した作品で、映像に対して用いられることが多い。編集するのは1人の監督であり、その編集過程で挿入される解釈によって事実の集積が作品へと昇華する。
本書は異なる構成である。本書には4つの人物とボイスが登場する。最も多くを語るのは、20年前にいすゞ自動車の改革に取り組んだスコラ・コンサルト代表(当時)の柴田昌治氏だ。
そして20年前のいすゞ自動車の改革に取り組んだ当事者として2人の社員(当時)が登場する。ミドルを代表して改革の仕掛け人になった北村三郎氏と、開発部門トップの稲生武氏だ。
そして全体を俯瞰する立場で語るのが神戸大の金井壽宏教授だ。「はじめに」で本書の持つ意味を語り、各章末にその章で語られた内容を考察している。この考察の内容も素晴らしいが、文自体も上質だ。
企業の変革は、ビジネス本の1ジャンルを構成しており、たくさんの書物が刊行されている。しかし面白くない。成功した変革に関する上澄みの記述が多く、きれいだが、肉声がない。本書は個人がパーソナルストーリーを語っており、類書と一線を画する。
本書から学ぶことは多いが、より深くいすゞ自動車の改革を知りたければ、柴田昌治氏が小説として書いた「なぜ会社は変われないのか」(1998年刊、2003年より日経ビジネス人文庫、680円)がある。本書を読み始め興味を持ったら、小説を読むことをお薦めする。改革ストーリーを読み終えてから、本署に戻れば、全体像の中で北村氏と稲生氏の考えと活動を位置づけることができるだろう。
ミシガン大のウルリッチ教授は人事の役割として、戦略のパートナー、管理のエキスパート、従業員のチャンピオン、そして変革のエージェントを挙げている。ウルリッチ教授に指摘されるまでもなく、組織の中枢に近い人事部門は外部環境にも内部環境にも敏感だろう。変化に対するアンテナ感度も高いはずだ。
そして企業風土の変革を志向する人事担当者は多いはずだ。だが変革は望んだだけで起きるものではない。会社のミッションに記載しても変革は起こらない。上からの指示でも起こらない。全社一斉に改革に取り組もうと言っても、社員は冷めたままだ。
本書によれば、そもそも一斉にやろうとする方法論自体が誤っている。柴田氏は「企業で改革を起こそうとするならば、どうやって2割の人を動かすかがカギになる」と語り、さらに「ポテンシャルのある2割の人たちのさらに2割、つまり全体の4%から5%ぐらいの人たちが動き出せば、会社を変えることにつながっていく」と述べている。
これらの語りを読んで、ある時代の青春を思い出した。幕末の志士たちだ。どの藩でも志士は少数派だった。その少数派が運動を展開するうちに藩論が転回し、倒幕へと傾き、ついに明治維新を達成する。本書を読んでそんな時代の志士たちの熱情を連想した。
本書は異なる構成である。本書には4つの人物とボイスが登場する。最も多くを語るのは、20年前にいすゞ自動車の改革に取り組んだスコラ・コンサルト代表(当時)の柴田昌治氏だ。
そして20年前のいすゞ自動車の改革に取り組んだ当事者として2人の社員(当時)が登場する。ミドルを代表して改革の仕掛け人になった北村三郎氏と、開発部門トップの稲生武氏だ。
そして全体を俯瞰する立場で語るのが神戸大の金井壽宏教授だ。「はじめに」で本書の持つ意味を語り、各章末にその章で語られた内容を考察している。この考察の内容も素晴らしいが、文自体も上質だ。
企業の変革は、ビジネス本の1ジャンルを構成しており、たくさんの書物が刊行されている。しかし面白くない。成功した変革に関する上澄みの記述が多く、きれいだが、肉声がない。本書は個人がパーソナルストーリーを語っており、類書と一線を画する。
本書から学ぶことは多いが、より深くいすゞ自動車の改革を知りたければ、柴田昌治氏が小説として書いた「なぜ会社は変われないのか」(1998年刊、2003年より日経ビジネス人文庫、680円)がある。本書を読み始め興味を持ったら、小説を読むことをお薦めする。改革ストーリーを読み終えてから、本署に戻れば、全体像の中で北村氏と稲生氏の考えと活動を位置づけることができるだろう。
ミシガン大のウルリッチ教授は人事の役割として、戦略のパートナー、管理のエキスパート、従業員のチャンピオン、そして変革のエージェントを挙げている。ウルリッチ教授に指摘されるまでもなく、組織の中枢に近い人事部門は外部環境にも内部環境にも敏感だろう。変化に対するアンテナ感度も高いはずだ。
そして企業風土の変革を志向する人事担当者は多いはずだ。だが変革は望んだだけで起きるものではない。会社のミッションに記載しても変革は起こらない。上からの指示でも起こらない。全社一斉に改革に取り組もうと言っても、社員は冷めたままだ。
本書によれば、そもそも一斉にやろうとする方法論自体が誤っている。柴田氏は「企業で改革を起こそうとするならば、どうやって2割の人を動かすかがカギになる」と語り、さらに「ポテンシャルのある2割の人たちのさらに2割、つまり全体の4%から5%ぐらいの人たちが動き出せば、会社を変えることにつながっていく」と述べている。
これらの語りを読んで、ある時代の青春を思い出した。幕末の志士たちだ。どの藩でも志士は少数派だった。その少数派が運動を展開するうちに藩論が転回し、倒幕へと傾き、ついに明治維新を達成する。本書を読んでそんな時代の志士たちの熱情を連想した。
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