冨山和彦 著
ダイヤモンド社 1,575円

冨山和彦氏の著作は「会社は頭から腐る」「挫折力」などがあり、いずれも冨山節と呼びたくなるような文章のインパクトが強烈だ。本書でも冨山節が炸裂し、タイトルには「非情」という言葉が使われている。人間らしい感情を持たず、血も涙もないという意味だ。一般的には悪いイメージを伴うシーンで使われる。
 著者は、日本のリーダーはあまりに情緒にとらわれて決断してきた結果、低迷と衰退を繰り返してきたと考えている。そしてリーダーに欠けているのが「非情」であり「合理」である。
結果を出すリーダーはみな非情である――30代から鍛える意思決定力
過激なタイトルだが、現実から乖離した過激な主張がなされているわけではない。内容だけを取り出せば常識と言って良いものが多い。「時代を動かすのは課長クラスのミドルリーダーである」と主張し、課長、係長クラスのリーダーシップ、処世法、思考法を論じているが、異論の余地はない。50代、60代の経営者が日本改革のキーマンと考える人は少ないだろう。
 日本は共同体型のムラ組織社会なので改革がなかなか進まない。だから10年後、20年後に経営者になっていくミドルリーダーが改革のエンジンなのだ。過去の日本にも例がある。まず明治維新だ。維新の三傑と言われた西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎は藩内では課長くらいの立場で改革を主導した。
 戦後の日本復興を支えた経営者も若かった。1980年代に中曽根改革を支え「行革の鬼」と呼ばれた土光敏夫氏は石川島芝浦タービンの社長に50歳で、石川島播磨重工業の社長に54歳で就任しているそうだ。

 ソニーやホンダがベンチャー企業として立ち上がったのも終戦直後の昭和20年代だ。財閥解体によって大企業は清算されていたから、若き経営者たちが見上げる日本の空は青く広々としていた。
 戦後から60年以上が経過した現代の空は広がらず、無用の論議が公然と行われている。著者はこれらを一刀両断にする。「最悪なのは、株主主権主義、市場原理主義、グローバリズムはけしからんだのとイデオロギーのせいにしたり、アメリカの陰謀だの無策の日本政府がけしからんだのと他責の論理に逃げたりして、思考停止することだ」と手厳しい。そして次のように続ける。「はっきり言って、終わっている人たちを相手にしても仕方がない。若い世代は、自らの力で新しい世界を作ることを考えよう」。

 新しい世界を作るためにミドルリーダーが鍛えなくてはならないのが、論理的な思考力と合理的判断力だ。もちろん世の中には論理で片がつかない問題もある。ただしそれが論理で片がつかない問題かどうかは、「論理的に考え尽くさねばわからない」と著者は言う。「突き詰めないで、一足飛びに情緒的判断に傾いてしまうと、おかしなことになる」。たぶんタイトルに「非情」を使った理由は、過度に情緒的な日本人を挑発するためだろう。
この情緒に関して著者は原発安全神話を取り上げている。福島原発事故は「原発は絶対に安全である」という神話に依拠したために起こったが、この神話に合理性はない。論理的に「絶対安全」はあり得ないし、「絶対危険」もないはずだ。「絶対安全」と「絶対危険」の合間で人類は科学技術を使っている。原発もそうである。
 理にかなった主張だと思う。著者は、「絶対安全」や「絶対危険」とする考え方が思考停止を招来する危険なものと断じている。

 著者は情緒を排しているわけではない。「コミュニケーションの段階で情緒を否定してしまうと、伝わるものも伝わらなくなる」し、論理を振りかざすと余計に反発を招くから「相手を論破しようなどと、ゆめゆめ考えてはいけない」。どうするか? しつこく根負けを誘うのが王道だ。幕末の長州藩でも薩摩藩でもそのようにして藩論は変わった。
 この他にもミドルリーダーの処世術と読める記述が多く、実践的だと思う。

 本書でもっとも驚いたのは「主流派にいる人間こそが革命をなし得る」という部分だ。続いて「主流派と言われる人たちこそ、矛盾や課題を理解している」し、「与党的な立場にいるからこそ、権力の使い方、権力の怖さ、権力の限界もよく知っている」と書かれている。
 その好例が小泉改革だ。小泉元首相は非主流派的立場だったが、もともと自民党の名門派閥のリーダーだった。そして郵政改革にこだわり続け、首相に就任してから構造改革を成し遂げた。
 小泉改革に対して否定的評価を下す論者もいるが、この10数年の首相の中でもっとも大きな改革を行ったことは誰しも認めると思う。
 改革を叫ぶ野党が政権を取っても改革が進まない理由を、著者は次のように説明する。「改革派は内部分裂を起こしやすい」のだ。改革したい人は、それぞれに理想に執着する人が多い。改革運動が進むほど、理想の違いが顕在化し、内ゲバが始まる。確かにフランス革命もロシア革命も明治維新もそうだった。1990年代の細川内閣以降の政治行政改革も内ゲバの歴史と見ることができる。
 もしかすると「主流派にいる人間こそが革命をなし得る」、「改革派は内部分裂を起こしやすい」という指摘をしたのは著者がはじめてかもしれない。似たようなことをあいまいに書いた人はいるかもしれないが、著者の指摘は明快である。

 改革が進んでいないのは政治だけでなく、企業もそうだ。本書を読みながら正月明けの日経新聞で紹介されていた「NATO」という言葉を思い出した。北大西洋条約機構のことではない。東南アジア諸国の経済人が日本政府や企業を評して使っている言葉だそうだ。No Action, Talking Only。口先だけで行動が伴わないことを指している。
 そんな日本を変えるのがミドルリーダーだ。現実から解を導き、情緒を排して合理で決断する。そんなミドルリーダーになるための知恵が満載された一書として30代のビジネスマンに推薦したい。得るものは多いはずだ。
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