元サッカー日本代表監督 ジーコ氏&HRプロ 寺澤康介 トークセッション
一人ひとりの自主性を尊重し、自然体で影響を与えることのできる人が真のリーダーだと思う。
一人ひとりの自主性を尊重し、自然体で影響を与えることのできる人が真のリーダーだと思う。
アマチュアチームに真のプロ意識を植え付けるために。
●寺澤:本日は、Jリーグ20週年記念で来日したジーコさんをお迎えし、トークセッションを行いたいと思います。ジーコさんよろしくお願いします。●ジーコ:みなさまこんにちは(日本語で)。Jリーグが誕生して20週年ということですが、非常に感激しています。今では日本人が、欧州のトップチームでプレーをしています。しかもレギュラーとしてチームに欠かせない存在となっています。それはJリーグ発足時には考えられなかったことです。そんなJリーグの発展に関わることができ、大変嬉しく思います。
●寺澤:ジーコさんは1991年、当時日本サッカーリーグ2部の住友金属工業、現鹿島アントラーズのオファーを受け、ブラジルのスポーツ大臣を辞任してまで来日しました。輝かしい実績を持つジーコさんが、地方の弱小チームに来られた時の決意についてお聞かせください。
●ジーコ:日本に新しくプロリーグが誕生することや、ゼロからプロのサッカークラブを築くという話に、とても魅力的なものを感じました。鹿島という、当時ほとんど知られていない地方都市の「町おこし」という点も、大いに気に入りました。私の人生のモットーは「挑戦」することです。そんな新しい大きな挑戦のために、来日しようと思いました。
しかし「挑戦」するために問題だったのは、自分自身のコンディションです。選手時代に膝の手術を5回もしています。プレーヤーとしては3年以上のブランクがあります。オファーの内容はプレイングマネージャー(選手としてプレーするだけでなく、現場での全体への指導や試合中の采配も兼任)でしたので、その期待に応えられるかが心配でした。そのため来日前に、自分の古巣であるフラメンゴというクラブチームでスペシャルトレーニングを行いました。選手として体が動くことを現地スタッフにも確認してもらい、合格点が出たので最終的に来日を決めました。
体さえ動けば、自分がピッチの中で先頭に立って範を示し、みんなが後を付いてきてくれれば、100を語るよりも有効な指導できる自信がありました。技術指導はもちろんですが、アマチュアだったチームに「プロ意識を植え付ける」ことで、チームの成長は進んだと思います。
私は選手時代から「今日自分は全力を出したのか」自問自答をし、「もしもう少しできたな」と思う日を少なくする努力をしてきました。そうした積み重ねが、プロとしての成長の差となると考えています。
●寺澤:開幕戦ではJリーグ初のハットトリックを決め、その勢いで鹿島をファーストステージ優勝へと導きました。まさに身を持って示した感じですね。