山口 周 著
光文社新書 777円

 「果報は寝て待て」という諺を連想させるタイトルは誤解を招くかもしれないが、中身はすばらしい。転職と言うより、キャリアを論じた良書である。これまでのキャリア本と視点が異なっており、新鮮で学ぶことが多い。 出だしから変わっている。冒頭の文章は、「ローマのサン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会を訪ねると、バロック絵画の先駆者カラヴァッジョの傑作『聖マタイの召命』を鑑賞することができます」というものだ。
天職は寝て待て
「聖マタイの召命」の原題は“Vocazione di san Matteo”、英語では“Vocation of St. Matthew”になる。Vocationは一般的には天職と訳される。絵に描かれた光景は、収税人だったマタイをイエスが名指す瞬間である。そしてマタイは十二使徒の一人になる。
 多くのキャリア本は、内省的に自己を振り返って天職を見い出すと教えるが、「聖マタイの召命」は、人生のある時に思いもかけぬ形で他者から与えられるのが天職であることを示している。
 それが正しいとすると、「自分が世界に何を求めているか」という問いは無価値であり、「世界は自分に何を求めているのか」という問いに180度切り替える必要がある--この設問は刺激的だ。

 著者によれば、コンサルティングファームでは「戦略とは引き算である」と言うそうだ。「ありたい姿」と「現在の姿」を引き算し、この「差」を解消すべきギャップであると定義し、一連の計画を設定するのが「戦略策定」だ。
 キャリア論の世界でも、「将来ありたい自分の姿」と「現在の自分」との差分を抽出する考え方が多い。未来の姿を描き、逆算して足りないものを補う計画を立てる。大学のキャリアサポートでも、そういう指導をすることが多いのではないだろうか。
 ところがそのゴール設定は無意味なのだ。アメリカの心理学の教授クランボルツの調査では、キャリア形成のきっかけの80%が偶然だった。グランボルツはこの調査結果から、中長期的なゴールを設定するのはナンセンスであり、努力は「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきだと主張した。

 キャリア論の多くは、未来のキャリアを設計し実現できるかのごとく説いているが、そもそも未来は分からないから未来なのだ。
 社会は時間とともに様相を変え続ける。著者は、学生だった1992年の文系就職人気ランキングを持っているが、その上位50社の3分の1に当たる16社が合併や破綻によって現在は存在していないと言っている。

 分からないのは未来だけではない。キャリア論では「得意なもの」「好きなもの」を仕事選びのポイントに挙げることが多い。しかし著者は、「得意なものは分からない」し、「好きなものも分からない」と書いている。その理由は、「仕事の面白さはやってみなければ分からない」からだ。
 そんな当たり前のことを無視して、「得意なもの」「好きなもの」探し、つまり「自分探し」を推奨するのが現在のキャリア論だが、その背景には時代の空気がある。

 著者は歌詞について分析している。「自分らしく」「僕らしく」「君らしく」で歌詞検索すると、昭和の歌はなく、平成に入ってからの歌ばかりだそうだ。
 自分らしさを安易に称揚する歌謡曲の氾濫は、我々が「過大な自己愛の時代」を生きつつあることを示している、と著者は言う。そうかもしれない。

 キャリアを考える際の前提になる、「未来」も、「得意なもの」も、「好きなもの」も分からないとすると、指針はないのか? いや、ある。
 自分らしさを追いかけ「何をするべきなのか」を問うのではなく、「何が譲れないか」を明らかにするのだ。これがエドガー・シャインが唱えた「キャリア・アンカー」だ。「個人が自らのキャリアを選択する際に、最も大切、あるいはどうしても犠牲にしたくない価値観や欲求」がキャリア・アンカーだ。

 著者は、キャリア・アンカーを「職業パーソナリティ」と言い換えている。パーソナリティは「仕事の幸せ」に関係している。パーソナリティと不適な職業を選択した場合、努力によってハイパフォーマーになることは不可能ではないが、幸福にはなれないと著者は考えている。
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