吉川 良三 著
角川oneテーマ21 760円
サムスンの決定はなぜ世界一速いのか
著者の吉川氏は、日立製作所時代にCAD/CAMの普及に貢献し、日本鋼管(現JFE)時代には次世代CAD/CAMシステムを開発したエンジニアだ。李健煕会長に請われて1994年にサムスンに入社し、常務としてデジタル技術を駆使し、サムスンの開発設計のプラットフォームを一新した。日韓双方のものづくりに精通した人物だ。
 その吉川氏がサムスンの強さを語ったのが本書だ。強さを生み出しているのは速度である。日本企業は決定に時間をかける。多角的な調査を繰り返し、成功する確率が高いと判断するまで決定しない。ところが韓国では、石橋を叩いてその強度を調べないのだそうだ。丈夫な石橋なら自分が渡った後を2番手、3番手も渡ってくる。だから腐りかけた木材の橋を渡る。渡った後に橋が崩れ落ちていなかったら、たたき壊して追随できないようにする。
 日本人は「失敗から学ぶ」ことが好きだが、サムスンは「同じ失敗をすることはない」と考えるらしい。同じ失敗を繰り返すためには、同じ環境と同じ条件が必要だが、まったく同じ環境と条件になることはあり得ないからだ。

 日本はアプリケーション(技術の応用)を考えずに、新技術の追求に熱心過ぎるとの指摘もある。その例としてLEDが挙げられている。LEDは日本で育った革新技術だが、初期の用途は交通信号くらいだった。しかしサムスンは液晶ディスプレイのバックライトに使おうと考えて、すぐさま製品化した。
 本書に書かれていないが、サムスンが「LEDテレビ」と命名した液晶テレビを欧米市場に投入したのは2009年の3月だった。従来の液晶テレビより3割近く高価だったが、4割の低消費電力になっていることが好感を呼び、「液晶テレビはサムスン」という評価を得た。
 2012年の現在、日本の家電メーカーは総崩れになり、とくにテレビは壊滅的な状況だ。しかし3年前は違っていた。国内メーカーの薄型テレビは世界で売れていた。世界市場でのブランド力が後退した分水嶺は、サムスンの「LEDテレビ」だったのかもしれない。

 いまもっともテレビを売っているメーカーはサムスンだが、日本メーカーの技術が劣っているわけではない。本書を読むと、日本メーカーが技術神話にこだわりすぎて、一人で転んでいるように見える。日本メーカーは、部品にもこだわり、部品にも高い精度を要求している。
 「部品の接合部の公差(誤差のこと)が0.001ミリ」を実現するには、金型製作に1年以上の期間と10億円以上の費用がかかることがある。ところが0.01ミリに設定すれば、その10分の1以下の時間と費用で済むかもしれない。そして消費者にとっては0.001ミリの基準で作られた製品も、0.01ミリの基準で作られた製品も同じ水準のものとして受け止められれば、0.001ミリは「過剰品質」ということになる。
 日本メーカーは、機能も詰め込みすぎで、テレビやレコーダーのリモコンを使いこなせない高齢者は多い。しかしそんな高度なテレビの新機種は1年で2ケタ程度。ところがサムスンは世界のローカル市場にあわせて徹底的な多品種少量生産を行い、1年に1000以上のモデルを出す。

 なぜサムスンがこんなに強力な企業になったのか? サムスンの技術は日本に由来している。吉川氏がサムスンに入社した1994年の段階で100人以上の日本人エンジニアが働いていたそうだ。この100人は生産技術者だったが、その後は日本人の開発設計エンジニアを大量に採用して、日本の技術を手中にしていったという。
 そして吉川氏は日本という国を危うくする原因として、日本人の「三つの驕り」を挙げている。
 「経営者の傲慢」は「技術者を含めて従業員を使い捨てにしていること」だ。「韓国のサムスンや現代は日本の企業に使い捨てられた技術者を再雇用し、その技術を活かしてさまざまな試みを成功」させてきた。日本の企業が「ひと」を大切にしないために、「日本の技術が他の国に流出していき、技術を伝承していく機会を喪失」する。
 この指摘が正しいとすれば、日本メーカーは1990年代からのリストラによって韓国メーカーへ人材と技術を供給し続けたことになる。いまも人材の流出は続いているのかもしれない。

 「技術者の傲慢」とは多くの技術者が思考を硬直化させ、「自分のつくった技術は絶対にマネができない」と思い込んでいることだ。しかし、ものづくりがデジタル化した現在、新しい技術が現れても、ほとんどの場合、世界中のどこでも同じものをつくることができる。デジタル化か進んだ利点を活かせば、多品種少量生産も難しくない。  「消費者の傲慢」は、使いもしないような機能であっても、すべてを欲しがりすぎること。そういう商品を欲しがる消費者の要求を受けて、メーカー側はコスト高になる新製品ばかりを開発することになる。
 また日本では、何かの問題が起こった場合、すぐにメーカーの責任が問われる風潮になっている。だから新製品を出すのに必要以上に慎重になりがちだ。この過度な責任追及の風潮が、日本メーカーからスピードを奪っていると吉川氏は指摘している。

 本書を読んで思うのは、業界再編が避けられないということだ。韓国では1990年代に国策として1業種1社に再編された。そして産業振興策を進めやすい環境にした。
 日本の製造業はいまだに強いし、本書も技術力では日本メーカーの優越を認めている。しかし日本ではたくさんの業種に有力メーカーがひしめいている。日本には1億3000万人弱という大きな内需市場が存在したから、複数の有力メーカーが競争しながら共存できたが、グローバル市場で戦うには数が多すぎる。
 2011年にはパナソニックが三洋電機を子会社化したが、今後も業務提携や合併、買収の動きが多くなりそうだ。
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