大竹 文雄著
中公新書 819円
中公新書 819円
2000年代に入って、日本社会の病根としてさまざまな「格差」が論じられた。所得格差、教育格差、雇用格差などが多いが、一票の格差や結婚格差など、挙げていくときりがない。日本ではさまざまな格差が拡大しているという主張がなされ、多くの識者が論じてきた。
和英辞典で「格差」を調べると、differenceやgapという言葉が出てくる。「違い」や「ずれ」、「差」という意味で、価値判断を含まない一般的な用語だ。「格差」には価値判断が含まれ、「是正すべき」ものというニュアンスを持っていると思う。
本書はこの「格差」について、「競争」と「公平」という2つのキーワードからアプローチしている。価値判断をいったん保留し、日本における「格差」の特異性を論じている。
この経済学者の常識は、日本人の常識ではないと著者は考えている。「日本では、格差問題は規制緩和によって発生したと考えている人が多い」、そして「格差を解消するためには、行きすぎた規制緩和をもとに戻すべきだというのが標準的な議論」と指摘する。このような議論に経済学者は違和感を覚えるそうだ。
経済学者は次のように考える。市場競争によって格差が発生したら、第一に社会保障を通じた再分配政策によって格差を解消し、第二に低所得者に技能を身につけさせ、高い所得を得られるように教育・訓練を充実する。
きわめて真っ当な対策だ。ところが日本では犯人捜しに熱心で、規制緩和が犯人なら、規制を強化すれば解決するという論調が多い。「市場競争は悪者」という既成概念が前提になっている。なぜ?
アメリカの調査機関のデータが紹介されている。「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場競争で多くの人々はより良くなる」という考え方に対する主要国の賛成率を見ると、日本は49%の人しかこの考えに賛成していない。
しかしインド、中国、イタリア、韓国、イギリス、スウェーデン、カナダ、アメリカは70%以上。70%を切る国はスペイン(67%)、ドイツ(65%)、フランス(56%)、ロシア(53%)だが、いずれも過半数に達している。
国際的に見て、日本は「市場競争のデメリットの方が大きい」と考えている人の割合が極めて高い、珍しい国なのである。
もうひとつデータがある。「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方を日本では59%の人が支持する。しかしこの数字も国際的には異例に低い。ほとんどの国では80%を超えている。
スペインは96%だし、中国は90%、ロシアは86%だ。旧社会主義諸国はもちろんヨーロッパ諸国も、貧困者の生活の面倒をみる責任が国にあると考えている。国の役割について否定的と考えられるアメリカでも70%が貧困者を国が面倒を見るべきだと考えている。
つまり日本人は、「市場経済も嫌い」だが、「大きな政府による再分配政策も嫌い」なのだ。世界の中で特殊な民族だ。
続く「勤勉さよりも運やコネ?」では2009年の自民党から民主党への政権交代が論じられる。著者によれば、この政権交代は「資本主義経済という市場メカニズムを基本にした国で、反市場主義を唱える政党が国民の支持を得た」からだ。なぜ日本人は市場(資本主義)を信頼しなくなったのか?
資本主義を支えているのは、「勤勉が成功につながる」という価値観と「汚職がない」という認識だという。「日本人は勤勉」という定評があったけれど、現在の日本人はどうなのか?
世界価値観調査に「人生での成功を決めるのは、勤勉が重要か、それとも幸運やコネが重要か」という質問がある。フィンランドでは運やコネが大事だと答えた人は15.8%しかいない。8割以上の人は勤勉を重視している。アメリカ、ニュージーランド、台湾、中国、スペイン、カナダ、韓国でも勤勉が大事だと考える人は7割以上。ところが日本では41.0%が運やコネが大事と考えており、先進国の中ではかなり高い。
昔から運やコネが大事と考えていたわけではない。世界価値観調査は1990年と1995年にも同じ質問をしており、当時の日本人は異なる回答をしていた。1990年で運やコネを重視していたのは25.2%、1995年では20.3%だった。この頃の日本人は勤勉だったのだ。運やコネを重視するようになったのは最近のことなのである。
HR関係者なら、勤勉が重視されなくなった理由を容易に推測できるだろう。バブル崩壊後の長期不況によって若年層の就職困難な時期が続いた。著者によれば18歳から25歳の頃に不況を経験することで、その世代の価値観が影響される。不況を経験すると「人生の成功は努力よりも運」、「公的な機関に対する信頼を持たない」という価値観が醸成されてしまうのだ。
日本人の経済行動の背景を解き明かしていく過程はまことに見事だ。著者が言う通り、日本人は市場競争のデメリットの方がメリットより大きいと考えているだろう。そもそも学校教育で市場競争の仕組みやデメリットを教えられたとしても、メリットについては教えられていない。
日本社会には「競争=悪」という刷り込みさえある。運動会で「徒競走」と呼ばない学校もあるそうだ。「順位をつける競争は教育上よくない」という理由で「かけっこ」と呼ぶ。
こういう日本の教育によって形成されてきた深層心理が、「市場競争」を検証なしに否定させているのだろう。メディアも片棒を担いで「格差社会の犠牲者」という視点を取りがちだが、加害者と犠牲者という短絡的な判断を捨て、著者のように客観的かつ冷静な視点に立つ必要がある。
(HRプロ嘱託研究員:佃光博=東洋経済HRオンライン)
和英辞典で「格差」を調べると、differenceやgapという言葉が出てくる。「違い」や「ずれ」、「差」という意味で、価値判断を含まない一般的な用語だ。「格差」には価値判断が含まれ、「是正すべき」ものというニュアンスを持っていると思う。
本書はこの「格差」について、「競争」と「公平」という2つのキーワードからアプローチしている。価値判断をいったん保留し、日本における「格差」の特異性を論じている。
この経済学者の常識は、日本人の常識ではないと著者は考えている。「日本では、格差問題は規制緩和によって発生したと考えている人が多い」、そして「格差を解消するためには、行きすぎた規制緩和をもとに戻すべきだというのが標準的な議論」と指摘する。このような議論に経済学者は違和感を覚えるそうだ。
経済学者は次のように考える。市場競争によって格差が発生したら、第一に社会保障を通じた再分配政策によって格差を解消し、第二に低所得者に技能を身につけさせ、高い所得を得られるように教育・訓練を充実する。
きわめて真っ当な対策だ。ところが日本では犯人捜しに熱心で、規制緩和が犯人なら、規制を強化すれば解決するという論調が多い。「市場競争は悪者」という既成概念が前提になっている。なぜ?
アメリカの調査機関のデータが紹介されている。「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場競争で多くの人々はより良くなる」という考え方に対する主要国の賛成率を見ると、日本は49%の人しかこの考えに賛成していない。
しかしインド、中国、イタリア、韓国、イギリス、スウェーデン、カナダ、アメリカは70%以上。70%を切る国はスペイン(67%)、ドイツ(65%)、フランス(56%)、ロシア(53%)だが、いずれも過半数に達している。
国際的に見て、日本は「市場競争のデメリットの方が大きい」と考えている人の割合が極めて高い、珍しい国なのである。
もうひとつデータがある。「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方を日本では59%の人が支持する。しかしこの数字も国際的には異例に低い。ほとんどの国では80%を超えている。
スペインは96%だし、中国は90%、ロシアは86%だ。旧社会主義諸国はもちろんヨーロッパ諸国も、貧困者の生活の面倒をみる責任が国にあると考えている。国の役割について否定的と考えられるアメリカでも70%が貧困者を国が面倒を見るべきだと考えている。
つまり日本人は、「市場経済も嫌い」だが、「大きな政府による再分配政策も嫌い」なのだ。世界の中で特殊な民族だ。
続く「勤勉さよりも運やコネ?」では2009年の自民党から民主党への政権交代が論じられる。著者によれば、この政権交代は「資本主義経済という市場メカニズムを基本にした国で、反市場主義を唱える政党が国民の支持を得た」からだ。なぜ日本人は市場(資本主義)を信頼しなくなったのか?
資本主義を支えているのは、「勤勉が成功につながる」という価値観と「汚職がない」という認識だという。「日本人は勤勉」という定評があったけれど、現在の日本人はどうなのか?
世界価値観調査に「人生での成功を決めるのは、勤勉が重要か、それとも幸運やコネが重要か」という質問がある。フィンランドでは運やコネが大事だと答えた人は15.8%しかいない。8割以上の人は勤勉を重視している。アメリカ、ニュージーランド、台湾、中国、スペイン、カナダ、韓国でも勤勉が大事だと考える人は7割以上。ところが日本では41.0%が運やコネが大事と考えており、先進国の中ではかなり高い。
昔から運やコネが大事と考えていたわけではない。世界価値観調査は1990年と1995年にも同じ質問をしており、当時の日本人は異なる回答をしていた。1990年で運やコネを重視していたのは25.2%、1995年では20.3%だった。この頃の日本人は勤勉だったのだ。運やコネを重視するようになったのは最近のことなのである。
HR関係者なら、勤勉が重視されなくなった理由を容易に推測できるだろう。バブル崩壊後の長期不況によって若年層の就職困難な時期が続いた。著者によれば18歳から25歳の頃に不況を経験することで、その世代の価値観が影響される。不況を経験すると「人生の成功は努力よりも運」、「公的な機関に対する信頼を持たない」という価値観が醸成されてしまうのだ。
日本人の経済行動の背景を解き明かしていく過程はまことに見事だ。著者が言う通り、日本人は市場競争のデメリットの方がメリットより大きいと考えているだろう。そもそも学校教育で市場競争の仕組みやデメリットを教えられたとしても、メリットについては教えられていない。
日本社会には「競争=悪」という刷り込みさえある。運動会で「徒競走」と呼ばない学校もあるそうだ。「順位をつける競争は教育上よくない」という理由で「かけっこ」と呼ぶ。
こういう日本の教育によって形成されてきた深層心理が、「市場競争」を検証なしに否定させているのだろう。メディアも片棒を担いで「格差社会の犠牲者」という視点を取りがちだが、加害者と犠牲者という短絡的な判断を捨て、著者のように客観的かつ冷静な視点に立つ必要がある。
(HRプロ嘱託研究員:佃光博=東洋経済HRオンライン)
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