香山リカ著
ベスト新書
720円
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1990年といま。20年間に多くのものが劣化した。とくに教育と医療が様変わりした。多数のモンスターが出現するようになり、教師は親からのクレームに怯え、医師は患者から訴えられないように「防衛医療」に専念している。
親戚や友人に教師や医師がいるなら、モンスターペアレントやモンスターペイシェントについて聞いてみるといい。たくさんの実例を挙げて詳しくモンスターたちの生態を説明してくれるだろう。
知り合いに医師や教師がいないなら、本書を読めばいい。教育現場、医療現場だけでなく、大学や企業でも多発している「悪いのは私じゃない症候群」について多数の実例が紹介され、発生の理由についても考察されている。
第1章「学校が悪い!」では、コピペの横行が取り上げられている。全国の教員を悩ませている生徒や学生の読書感想文やレポートの剽窃である。正確に言えば剽窃ではないかもしれない。本書によれば「自由に使える読書感想文」というサイトがあり、「読書感想文のパクリがばれたら……反省文の書き方教室」まで用意されている。「使っていいですよ」というサイトがあるのだ。大学生向けのコピペ用論文もたくさん存在している。そして多くの大学生が利用している。
そしてこれらの感想文や論文をコピペする生徒や学生に罪悪感がない。「私は悪くない」と考えている。
こういう学生を教員はどう指導したらよいのか? 学内の「人権委員会」から「学生の人格を傷つけるような発言を慎むよう」と注意を受け、「他の学生の前でひとりを激しく叱るなど、恥をかかせるようなこともいけません」と指導される。では学生と一対一で注意すればいいのかと言えば「研究室でふたりきりで指導するのはなるべく控えるように」。打つ手がない。
第2章「医者が悪い!」では壊れかけている病院が取り上げられる。2008年の日経新聞の調査によれば、回答した病院の71.1%が過去1年に「(患者からの)暴言やセクシャル・ハラスメントを含む院内暴力が起きている」と答えている。
著者は精神科医であり、自身の経験も書いている。ここ数年、患者さんに同伴して来る家族が増えているというのだ。小学生や高齢の患者さんに付き添ってくるのではない。ほとんどは、30代、40代の患者にその母親あるいは両親が同伴するというものだ。そして診察室に入り、著者の問診に答えるのは患者ではなく、その親。
この記述を読んで思いだしたのは、学生の親である。近年の大学の入学式、卒業式には本人以外に親が出席するようになっており、大学は「学生数+学生数×2(両親)」の施設を用意しなくてはならない。子どもの就活でも親が人事部に問い合わせすることがある。もし許されれば、入社式に立ち合いたい親も多いだろう。
第3章「職場が悪い!」ではうつ病の増大が取り上げられている。メンタルヘルスは組織戦略にとって重要性を増している。著者は次のように書いている。
「働く側と雇う側、それぞれが「うつ病になったのはそっちが悪い」と責任を押しつけあったり、「私のせいじゃない」とそれをしりぞけようとしたりしている」、「そこで少しでも「私のせいかも」と自らの非を認めれば、すぐに解雇あるいは訴訟などが待っている」。
昔はこうではなかった。著者の記憶では、2000年代の前半はこうではなかったそうである。
「うつ病」という診断自体を下すこともなかった。著者が精神科医になったのは1980年代半ばだが、10年以上「うつ病」と診断書に書いたことはなかったそうだ。患者が「会社にうつ病と知られたら、クビになるか一生、出世できないか」と頼まれて「自律神経失調症」などの病名にしたそうだ。
2000年代に入ると「心の病」に対する理解が革新的に進み、うつ病が特殊な病気ではなく、誰もがかかる“心の風邪”と考えられるようになった。この時期は「働く側と雇う側、そして精神科医の蜜月の時期」だった。この幸せな時期は長く続かなかった。
著者の印象としては、2005年頃。小泉自民党が総選挙で圧勝した年に変化が起こった。小泉自民党と日本の精神風土に関わりがあったかどうかはともかく、この頃に日本の組織文化が変質していったという指摘は正しいように思える。
そして職場にもモンスターが生まれる。会社のトップに直接メールを送り、上司や人事担当者、産業医に理解がないことを訴える新型うつ病患者が登場した。そしてトップはこのメールの内容を信じ込み、上司や人事担当者を責めた。責められる立場に追い込まれた上司と人事責任者は次々と不眠、食欲不振、頭痛、胃痛を訴えるようになった。
「新型うつ」とは、これまでの「うつ病」のイメージと異なり、「うつ病で休職中であるにもかかわらず、海外旅行に出かけたり、自分の趣味の活動には積極的な人」、「うつ病なのに自責感に乏しく、他罰的で、なにかと会社とトラブルを起こす社員」。
第4章以降は、家族の中の他罰主義、「前世が悪い」スピリチュアル・ブーム、科学の世界も「他罰のススメ」と、さまざまなシーンで「他罰」が横行している様を描いている。そして第7章では「悪いのは私だ」の歴史について語られる。
太平洋戦争の責任論が取り上げられ、1995年の村山談話が説明されている。アジア諸国に対する日本の「植民地支配と侵略」を「疑うべきもない歴史の事実」と認めた談話だ。また小泉首相、福田首相、麻生首相の歴史認識についても説明し、航空幕僚長だった田母神俊雄氏の論文について触れている。
著者は、田母神氏的な「負けを認めない姿勢、防御よりもまず相手を攻撃する態度」が若い人に熱烈に支持された、と書いている。つまり「他罰」的であることが現代社会では評価されていると言うわけだが、そこまで断言できるのかどうか。少し疑問に感じる。
第8章はネットという他罰メディア、第9章は他罰は自己責任論の裏返し、というタイトルだ。「ゆがんだ平等主義といびつな正義感」などの指摘はおもしろい。だが第7章以降、事例として取り上げられているのは政治の話題。小泉劇場以降の記憶は鮮明だが、社会にはびこる他罰の風潮と本当に関係があるのかどうかを判断できない。
貴重な指摘なのかもしれないし、的をはずしているのかもしれない。読者が自分で判断してもらいたい。
親戚や友人に教師や医師がいるなら、モンスターペアレントやモンスターペイシェントについて聞いてみるといい。たくさんの実例を挙げて詳しくモンスターたちの生態を説明してくれるだろう。
知り合いに医師や教師がいないなら、本書を読めばいい。教育現場、医療現場だけでなく、大学や企業でも多発している「悪いのは私じゃない症候群」について多数の実例が紹介され、発生の理由についても考察されている。
第1章「学校が悪い!」では、コピペの横行が取り上げられている。全国の教員を悩ませている生徒や学生の読書感想文やレポートの剽窃である。正確に言えば剽窃ではないかもしれない。本書によれば「自由に使える読書感想文」というサイトがあり、「読書感想文のパクリがばれたら……反省文の書き方教室」まで用意されている。「使っていいですよ」というサイトがあるのだ。大学生向けのコピペ用論文もたくさん存在している。そして多くの大学生が利用している。
そしてこれらの感想文や論文をコピペする生徒や学生に罪悪感がない。「私は悪くない」と考えている。
こういう学生を教員はどう指導したらよいのか? 学内の「人権委員会」から「学生の人格を傷つけるような発言を慎むよう」と注意を受け、「他の学生の前でひとりを激しく叱るなど、恥をかかせるようなこともいけません」と指導される。では学生と一対一で注意すればいいのかと言えば「研究室でふたりきりで指導するのはなるべく控えるように」。打つ手がない。
第2章「医者が悪い!」では壊れかけている病院が取り上げられる。2008年の日経新聞の調査によれば、回答した病院の71.1%が過去1年に「(患者からの)暴言やセクシャル・ハラスメントを含む院内暴力が起きている」と答えている。
著者は精神科医であり、自身の経験も書いている。ここ数年、患者さんに同伴して来る家族が増えているというのだ。小学生や高齢の患者さんに付き添ってくるのではない。ほとんどは、30代、40代の患者にその母親あるいは両親が同伴するというものだ。そして診察室に入り、著者の問診に答えるのは患者ではなく、その親。
この記述を読んで思いだしたのは、学生の親である。近年の大学の入学式、卒業式には本人以外に親が出席するようになっており、大学は「学生数+学生数×2(両親)」の施設を用意しなくてはならない。子どもの就活でも親が人事部に問い合わせすることがある。もし許されれば、入社式に立ち合いたい親も多いだろう。
第3章「職場が悪い!」ではうつ病の増大が取り上げられている。メンタルヘルスは組織戦略にとって重要性を増している。著者は次のように書いている。
「働く側と雇う側、それぞれが「うつ病になったのはそっちが悪い」と責任を押しつけあったり、「私のせいじゃない」とそれをしりぞけようとしたりしている」、「そこで少しでも「私のせいかも」と自らの非を認めれば、すぐに解雇あるいは訴訟などが待っている」。
昔はこうではなかった。著者の記憶では、2000年代の前半はこうではなかったそうである。
「うつ病」という診断自体を下すこともなかった。著者が精神科医になったのは1980年代半ばだが、10年以上「うつ病」と診断書に書いたことはなかったそうだ。患者が「会社にうつ病と知られたら、クビになるか一生、出世できないか」と頼まれて「自律神経失調症」などの病名にしたそうだ。
2000年代に入ると「心の病」に対する理解が革新的に進み、うつ病が特殊な病気ではなく、誰もがかかる“心の風邪”と考えられるようになった。この時期は「働く側と雇う側、そして精神科医の蜜月の時期」だった。この幸せな時期は長く続かなかった。
著者の印象としては、2005年頃。小泉自民党が総選挙で圧勝した年に変化が起こった。小泉自民党と日本の精神風土に関わりがあったかどうかはともかく、この頃に日本の組織文化が変質していったという指摘は正しいように思える。
そして職場にもモンスターが生まれる。会社のトップに直接メールを送り、上司や人事担当者、産業医に理解がないことを訴える新型うつ病患者が登場した。そしてトップはこのメールの内容を信じ込み、上司や人事担当者を責めた。責められる立場に追い込まれた上司と人事責任者は次々と不眠、食欲不振、頭痛、胃痛を訴えるようになった。
「新型うつ」とは、これまでの「うつ病」のイメージと異なり、「うつ病で休職中であるにもかかわらず、海外旅行に出かけたり、自分の趣味の活動には積極的な人」、「うつ病なのに自責感に乏しく、他罰的で、なにかと会社とトラブルを起こす社員」。
第4章以降は、家族の中の他罰主義、「前世が悪い」スピリチュアル・ブーム、科学の世界も「他罰のススメ」と、さまざまなシーンで「他罰」が横行している様を描いている。そして第7章では「悪いのは私だ」の歴史について語られる。
太平洋戦争の責任論が取り上げられ、1995年の村山談話が説明されている。アジア諸国に対する日本の「植民地支配と侵略」を「疑うべきもない歴史の事実」と認めた談話だ。また小泉首相、福田首相、麻生首相の歴史認識についても説明し、航空幕僚長だった田母神俊雄氏の論文について触れている。
著者は、田母神氏的な「負けを認めない姿勢、防御よりもまず相手を攻撃する態度」が若い人に熱烈に支持された、と書いている。つまり「他罰」的であることが現代社会では評価されていると言うわけだが、そこまで断言できるのかどうか。少し疑問に感じる。
第8章はネットという他罰メディア、第9章は他罰は自己責任論の裏返し、というタイトルだ。「ゆがんだ平等主義といびつな正義感」などの指摘はおもしろい。だが第7章以降、事例として取り上げられているのは政治の話題。小泉劇場以降の記憶は鮮明だが、社会にはびこる他罰の風潮と本当に関係があるのかどうかを判断できない。
貴重な指摘なのかもしれないし、的をはずしているのかもしれない。読者が自分で判断してもらいたい。
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