毎日新聞社科学環境部
講談社文庫 600円
講談社文庫 600円
人事に関わる者の必読書の1つが「理系白書」だ。2003年に刊行された本だが、深い影響力を持っている。「理系は就職に有利」という伝説が長らく存在し、大学進学時に理系に行く能力のある高校生に教師は理系を進め、親もそう望んだものだが、いまは違う。「理系は損」という伝説が生まれている。その根拠が「理系白書」だ。
冒頭に[生涯賃金の格差、家一軒分=5000万円]という驚くべき所得格差が記されている。同じ国立大学の卒業生の文系と理系の生涯収入を調べた結果である。これは松繁寿和大阪大大学院助教授(出版時、現・教授)の実施した調査結果であり、詳しい内容は「大学教育効果の実証分析」(松繁寿和編著、日本評論社)に記されている。理系文系の差だけでなく、文学部が他学部よりも生涯年収が少ないことや、女子の生涯年収などにも触れている。
数年前に松繁教授にインタビューしたことがある。調査結果は松繁教授にとっても意外だったらしい。なぜなら松繁教授の高校生時代は、成績優秀な生徒が理工系に進学し、文系に進学する生徒は「ほどほどできる」生徒だったからだ。
ところが同一国立大学の卒業生を同窓会の協力で追跡調査したところ、「生涯賃金格差が5000万円」という結果だったので驚いたらしい。もちろん製造業と金融業には大きな収入格差があることはわかっていた。しかし同一メーカーに就職しても、理系と文系では大きな格差があった。
調査対象になった国立大学は容易に類推できるし、統計が取れ、比較できる数のデータが集まるのだから、就職先企業もわかるが、本には固有名詞で書かれていないので、ここで類推を述べることはやめておこう。
理系の収入が文系より少ないのは今に始まった話ではない。20数年前に日本賃金研究センター代表幹事だった孫田良平さんに話を聞いたことがある。孫田さんによれば、平均で3%少ないとのことだった。
ただ大事なのはここからだ。第2次大戦は65年前に終わったが、戦前の日本では理系が圧倒的なエリートであり、収入も高かった。うろ覚えの数字だが、一番高いのは東大を筆頭とする帝大系の理系で初任給は65~70円。帝大文系で55円くらい。
早慶クラスの私大理系は55円くらい、文系45円くらい。一般私大の文系は30~35円だから帝大理系の半分だ。
ただし戦前は大学が極端に少なく、大卒と言うだけで超エリート。エリートの中でこれほど大きな格差があった。理系が優遇されたのは、国力を発展させるために技術が必要だったからだ。
文理の格差がなくなったのは、戦後の米軍占領時代。理系エリート層への優遇を排除する方針が採られた。もしかすると日本がふたたび国力を取り戻すことがないようにするための措置だったかもしれない。労働運動も盛んで平等な賃金を要求した。そして大学は各県に国立大学が作られ、私大も増えて今日の姿になっている。
「第2章 権利に目覚めた技術者たち」では青色発光ダイオードを開発した中村修二氏の例を引き、日本における開発報酬について論じているが、周知のことだから割愛する。
「第3章 博士ってなに?」では「ポスドク」について書かれている。ポスドクとは「ポスト・ドクトラル・フェロー」の略。日本では「科学技術基本計画」によってポスドクを1万人にまで増やそうと計画し、実行されているが、多数のポスドクの安定した就職先が少なく問題になっている。いまも大きな問題だが、2003年段階でもすでに問題になっていた。7年経った2010年の現在でも解決しそうにない。
「第4章 教育の現場から」では、若者の理系離れと学力低下について書かれている。この数年に若者の「理系離れ」「電気電子離れ」が大問題として論じられているが、7年前に意識されていたわけだ。高度人材であるポスドクは身分が不安定なまま、30代、40代になっているのに、高校生、大学生の学力は低下している。ひどいアンバランスだ。
そもそも高校生が理系に進みたがらない。なんとなく「理系は損だ」と思っている。また現在の理系学科では修士に行くのが普通になっているので在学6年。「学部の4年間では社会に出せるレベルにならない。マスターの2年が必要だ」という理系教官もいる。ところが高校生や親は「同じ6年なら医学部の方がいい」ということになるわけだ。
理系大学生の間でも、電気・電子・情報・材料という分野は嫌われている。また就職に際しても非製造業(商社、コンサル企業、金融)に進む学生が増えており、名門大学ほどその傾向が強まっている。理系人材は縮小し続けている。
この他にも「理系カルチャー」「女性研究者」「失敗に学ぶ」「変革を迫られる研究機関」「研究とカネ」「独創の方程式」「文理融合」など豊富なテーマが取り上げられており、理系人材と付き合う機会の多い人事には貴重な情報だ。
冒頭に[生涯賃金の格差、家一軒分=5000万円]という驚くべき所得格差が記されている。同じ国立大学の卒業生の文系と理系の生涯収入を調べた結果である。これは松繁寿和大阪大大学院助教授(出版時、現・教授)の実施した調査結果であり、詳しい内容は「大学教育効果の実証分析」(松繁寿和編著、日本評論社)に記されている。理系文系の差だけでなく、文学部が他学部よりも生涯年収が少ないことや、女子の生涯年収などにも触れている。
数年前に松繁教授にインタビューしたことがある。調査結果は松繁教授にとっても意外だったらしい。なぜなら松繁教授の高校生時代は、成績優秀な生徒が理工系に進学し、文系に進学する生徒は「ほどほどできる」生徒だったからだ。
ところが同一国立大学の卒業生を同窓会の協力で追跡調査したところ、「生涯賃金格差が5000万円」という結果だったので驚いたらしい。もちろん製造業と金融業には大きな収入格差があることはわかっていた。しかし同一メーカーに就職しても、理系と文系では大きな格差があった。
調査対象になった国立大学は容易に類推できるし、統計が取れ、比較できる数のデータが集まるのだから、就職先企業もわかるが、本には固有名詞で書かれていないので、ここで類推を述べることはやめておこう。
理系の収入が文系より少ないのは今に始まった話ではない。20数年前に日本賃金研究センター代表幹事だった孫田良平さんに話を聞いたことがある。孫田さんによれば、平均で3%少ないとのことだった。
ただ大事なのはここからだ。第2次大戦は65年前に終わったが、戦前の日本では理系が圧倒的なエリートであり、収入も高かった。うろ覚えの数字だが、一番高いのは東大を筆頭とする帝大系の理系で初任給は65~70円。帝大文系で55円くらい。
早慶クラスの私大理系は55円くらい、文系45円くらい。一般私大の文系は30~35円だから帝大理系の半分だ。
ただし戦前は大学が極端に少なく、大卒と言うだけで超エリート。エリートの中でこれほど大きな格差があった。理系が優遇されたのは、国力を発展させるために技術が必要だったからだ。
文理の格差がなくなったのは、戦後の米軍占領時代。理系エリート層への優遇を排除する方針が採られた。もしかすると日本がふたたび国力を取り戻すことがないようにするための措置だったかもしれない。労働運動も盛んで平等な賃金を要求した。そして大学は各県に国立大学が作られ、私大も増えて今日の姿になっている。
「第2章 権利に目覚めた技術者たち」では青色発光ダイオードを開発した中村修二氏の例を引き、日本における開発報酬について論じているが、周知のことだから割愛する。
「第3章 博士ってなに?」では「ポスドク」について書かれている。ポスドクとは「ポスト・ドクトラル・フェロー」の略。日本では「科学技術基本計画」によってポスドクを1万人にまで増やそうと計画し、実行されているが、多数のポスドクの安定した就職先が少なく問題になっている。いまも大きな問題だが、2003年段階でもすでに問題になっていた。7年経った2010年の現在でも解決しそうにない。
「第4章 教育の現場から」では、若者の理系離れと学力低下について書かれている。この数年に若者の「理系離れ」「電気電子離れ」が大問題として論じられているが、7年前に意識されていたわけだ。高度人材であるポスドクは身分が不安定なまま、30代、40代になっているのに、高校生、大学生の学力は低下している。ひどいアンバランスだ。
そもそも高校生が理系に進みたがらない。なんとなく「理系は損だ」と思っている。また現在の理系学科では修士に行くのが普通になっているので在学6年。「学部の4年間では社会に出せるレベルにならない。マスターの2年が必要だ」という理系教官もいる。ところが高校生や親は「同じ6年なら医学部の方がいい」ということになるわけだ。
理系大学生の間でも、電気・電子・情報・材料という分野は嫌われている。また就職に際しても非製造業(商社、コンサル企業、金融)に進む学生が増えており、名門大学ほどその傾向が強まっている。理系人材は縮小し続けている。
この他にも「理系カルチャー」「女性研究者」「失敗に学ぶ」「変革を迫られる研究機関」「研究とカネ」「独創の方程式」「文理融合」など豊富なテーマが取り上げられており、理系人材と付き合う機会の多い人事には貴重な情報だ。
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