日常の家族との過ごし方で染められる白いキャンバス
人間には、ねたみ、やっかみ、ひがみの心があります。人間は自己中心的な動物です。しかしエリート、経営者は違います。自分のためではなく、人のため、社会のため、国のために役立ちたいと考えています。これはアリストテレスがアレクサンドロスに教えたかったことと共通します。企業文化の伝承も同じで、社員に良き文化を植え付けていくことが重要です。このように考えると、現在の入社試験、新卒の選び方はまことに粗雑と言わざるを得ません。先ほど話したように本から得られる知識はだれでも入手でき、本質的な重要性を持ちません。大学までは人生の中でわずかの期間に過ぎません。勉強する・しない、大学名などは関係ないのです。
人事がやらなくてはならないのは、そんな学生の心の化粧を剥ぎ取って、負けん気の強い人間かどうか、正直な人間かどうかを嗅ぎ取ることだと思います。
そういう負けん気や正直などは、教育で学ぶものではなくて、日常の家族との過ごし方が大きく影響していると思います。赤子の真っ白なキャンバスは両親との会話や経験によって染められていきます。
わたしの祖母は熱心な仏教徒で、いつも「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言っていました。わたしは何を言っているんだろう、と思っていました。それでも祖母が話したことで忘れられない言葉があります。
「仏様が見てござる」と言うのです。いくら隠し事をしてウソをついても、仏様はお見通しだから、いつかはばれる。だからウソをついてはいけないと言うのです。
わたしは「なるほどなあ、ウソをついたらいけない」と思いました。しかしやはりウソをつく。この会場で「ウソをついたことがない人は手を挙げて」と言って、手を挙げた人はウソつきです。ウソをついてはいけないと思う人もウソをつく。人間は絶望的です。
いやそうではありません。一見絶望的に見えますが、人間はそういう矛盾をアウフヘーベン(統一)するができるのです。