これらの経験から著者が導き出したのは「日本の組織に多様性が欠けていること、そのことが問題解決に大きな支障になっていること」だ。各省庁はキャリア官僚が幅を利かせ、民間の大企業も東大、京大、早慶などの名門校の出身者ばかり。そうした同質化した集団は高度成長期のようなキャッチアップの時代には機能したが、イノベーションで戦わねばならないグローバルな世界には向いていない。
 著者は書いている。「前例のないことや新しい試み、リスクのあることは極端に嫌われるし、失敗が許されない」。だから何も決めず先送りにする。「稟議システムや何も決めない会議など、コミュニケーションの膨大なムダと仕事のルーティン化によって、組織の硬直化が進んでいる」。
 なぜ日本の組織が硬直化しているかというと、組織が同質な人の集団である「グループ」だからだ。「異質な才能が、ある目的の下に集まって構成されるチームがない」。チームにあってグループに欠落しているのがパッションだ。

アメリカは個人主義の国と言われることがある。しかし著者はアメリカ以上に個人主義になっているのがいまの日本だと書いている。言われてみればクレーマーやモンスターペアレント、モンスターペイシャントは個人主義の進行によって増大しているのかもしれないと思う。
 アメリカは個人主義の国かもしれないが、同時にチームの国であり、チームの中で力を発揮できるかどうかが教育の基本になっている。そしてチームの中でリーダーを育てるという考え方が徹底している。
 チームの訓練の場は学校であり、教会であり、ボーイスカウトであり、さまざまだ。本書には募金が例として取り上げられている。金額の多寡をクラスのチーム間で、クラス対抗で、学年対抗で、学校対抗で競う。

 ボランティアも重視され、チームでやる。著者が卒業したデミアン・ハイスクールでは各学年で100時間のボランティアが必須だ。1時間足りなくても卒業できない。
 ボランティアは大学進学でも重要だ。大学は活動内容をまとめたエッセー(小論文)を読んでリーダーシップを評価し、合否を決める。
 町内のゴミ拾いでは有名大学に進学できないので、同級生とチームを組んで夏休みのボランティア計画を練って学校と親に提案するのだそうだ。その内容はタイで難民キャンプに行ってのボランティア、アフリカのNPOでの食糧支援活動などだ。こんな活動を高校生がやることは日本では想像できない。教育システムや価値観の違いは大きい。

本書を読む前は、著者の言う「チーム」の意味がよくわからなかったが、読み進むうちに納得できた。確かにすべての病根は「チーム不在」にある。日本でイノベーションが起きず、アントレプレナーが少ないのはチームという文化がないからだろう。
 ただ20代、30代の友人の中には、ベンチャーを立ち上げ、足繁くアメリカや東南アジアを往復している者もいる。元気で無鉄砲である。こういう世代が社会の主役になれば、日本は変われると思う。ただ残念ながらもう少し時間はかかるだろう。
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