「大人の学びを科学する」をテーマに、企業で働くビジネスパーソンや人事担当者と対話しながら精力的な研究活動を展開されている気鋭の若手研究者、中原淳氏。東京大学で多くの教え子と接し、今の大学生の実像についても詳しい氏に、若い世代の変化や、現在起きている企業内コミュニケーションの問題、また、そこにおいて人事が果たすべき役割と企業研修のあり方などについて、お話をうかがいました。

「意図せざる整合性」の下、結果的に人が育った

なぜ「大人の学びを科学する」を研究のテーマにされたのですか。

第2回 今の若者は本当に変わったのか。企業内のコミュニケーション不全を解決するために必要なこととは。
テーマに決めたのは6年ほど前ですが、大人の学びというのはちょうど教育学と経営学の中間領域にあたり、研究領域としては盲点のような存在でした。教育学の対象は主に高校、大学までですし、経営学でも、MBAで人にかかわる科目はわずかです。ビジネスパーソンは社会の主要な構成メンバーなのに、その人々の仕事を通した成長や能力向上といったことに対応する研究領域があまりにも小さい。でも、私はそこに学問的な面白さも社会的な意味もあると感じました。
今、週のうち2日か3日は企業を対象としたヒアリングや調査などを行っていますが、企業も職場も非常に多様で毎回驚かされます。研究対象として一括りにはなかなかできないところが、悩ましくも面白いですね。

今、企業において教育は大きな問題ですが、学問の世界で注目されてこなかった理由は何でしょうか。

社会的ニーズがそれほどなかったからでしょう。終身雇用や年功序列が企業の雇用慣行としてあった時代は、職場に非常に濃密な人間関係があって、世話好きな人たちが頼まれなくても若手の育成機能を果たしていました。ある方の言葉ですが、「意図せざる整合性」の下、結果的に人が育ったのです。
ところが、90年代のバブル期を経て成果主義が導入され、意図せざる育成の機能が職場からだんだん失われて、気がつくと人材育成やノウハウの継承ができない状況に陥っていた。では、そうした機能を意図的にどうデザインするのかということが企業の現代的課題になっていますが、それに対応する学問はまだあまりないと感じます。

ふりかえりの機会を与えることが重要

昨今いわれている企業内のコミュニケーション不全について、どのようにお考えですか。

これも、バブル期以降に終身雇用や年功序列が制度として見直され、雇用慣行が変化してきたなかで、必然的に起きている問題だと思います。意図せざるものとして濃密にあったコミュニケーションが希薄になってしまった。それなら意図、すなわち戦略を持って問題を解決しなければなりません。
アプローチの方法は2つあると思います。1つは研修の機会を提供するなどして、仕事から離れてコミュニケーションの場をつくるアプローチ。もう1つは、仕事のなかでコミュニケーションが生まれるようにするアプローチです。人事施策としては実は前者がフォーカスされがちですが、本質的に必要なのは後者だと私は考えます。そのためには、現場のマネジャーに、今の仕事の進め方やコミュニケーションの在り方について、ふりかえりの機会を与えることが重要です。

若い社員と上の世代のコミュニケーションギャップも問題視されています。今の若者の変化をどうご覧になっていますか。

よく、今の学生はコミュニケーションが下手だといわれますが、本当でしょうか。私の経験ではそうだとは感じません。若者が変わったといわれるのも、携帯電話、SNS、ツイッターと、新しいツールの使い方に長けているので自分たちとは違うように見えるだけで、中身はそれほど変わっていない気がします。今の若い世代は自分たちとは違う存在だから、管理職はどう対応すればいいかといった研修を行う企業もあるそうですが、「違う人々だ」とラベルを貼るのはお互いの心理的な距離が開くだけで、生産的ではないと思います。  世代間コミュニケーションギャップの問題は、その原因を若者にコミュニケーションスキルがないからだと考えることもできますが、上司や職場にもともといる人たちと若者のマッチングがうまくいっていないからだと考えることもできます。私は後者の考えに立っています。

世の中でいわれる若者像と実際は違うと見ておられますか。

第2回 今の若者は本当に変わったのか。企業内のコミュニケーション不全を解決するために必要なこととは。
かなり違うと思います。たとえば、先日、学生に次々に意見を求める講義で知られるハーバード大学のマイケル・サンデル教授が、東大で哲学の特別講義を行いました。下馬評では「教授が問いを投げても意見が出るのか。大丈夫か」と心配する声が多かったのですが、実際は手を挙げる学生が多すぎて処理しきれないほどでした。私も驚かされました。日本の学生は自分から意見をいわない、講義中も携帯電話をいじったりして、ろくに聞いていないといわれますが、きちんとオーガナイズされた場と仕組みが提供されればこれほど違うのです。
また、今の若者はやる気が欠けて、内向きで、総合商社の若手でも海外に行きたがらないと嘆く声が聞かれますが、私がヒアリングをすると、「だって、社内で出世しているのはずっと国内にいた人ばかりだから」とみんな答えますよ。つまり、上昇志向はあるのです。今の企業の現実を若者はとてもよく見ていて、合理的な選択をしているだけなのではないでしょうか。
日本の大学教育も、企業の人材施策も、もっとこちら側でいろいろ考えてやり方を工夫する必要があって、その余地はたくさんあると思います。

学習とは、経験によって永続的な変化が個体に起こること

お聞きしたいろいろな課題について、これから企業の人事が果たすべき役割と、考えるべきことは何でしょうか。

制度設計やマネジメントのやり方を再構築することも必要ですが、いろいろな問題が仕事のなかでうまく自然に解決されていくように、現場を支援するということが求められていると思います。それには、人事と現場のマネジャーが、どの問題で何が重要なのかを、ある程度共有する必要があるでしょう。
ただ、人事というのは、そもそも経営と現場の間に立っていて、本質的に矛盾を抱えた存在です。一方では管理しつつ一方では支援するというところに難しさがあると思います。しかし、いずれにせよ、管理したりジャッジしたりという機能は持ちつつも、現場を支援したり改善したりする機能は企業のどこかで持たなければなりません。

「大人の学び」についてのご研究から、企業の研修のあり方についてお考えをお聞かせください。

「初等教育で受けた授業のなかで、印象に残るものを1つあげてください」と問うと、たいていの人の答えは「川に行って観察をした」、「理科のこんな実験をした」。自分で何かやった経験ばかりです。基本的に座学でやったことはほとんど忘れ去られますから、シミュレーションを行う、インタラクティブにやるなど、教育のやり方を見直すことは必要でしょう。
学習することの定義は、経験によって永続的な変化が個体に起こること。つまり経験しかないのです。ポイントは経験することと同時に、それをきちんとふりかえること。内省(=リフレクション)するという行為が重要で、そのうえで、それがどのように仕事に結びつくのか意味づけをきちんと行うことです。ワークショップなど経験型の学習プログラムは、経験することに目が向き、時間もとられがちですが、最後は「時間がないので思ったことを言ってください」で終わるのでは研修の効果はあまり期待できません。
学び続け、成長し続けるために、仕事やキャリアをふりかえり、これでいいのかなと内省する機会を定期的に持つことは非常に大事です。私自身は、半年に1回ほど大学を離れて信頼を置ける共同研究者たちと集まり、ふりかえりの機会を持っています。
そこでは、たとえば「中原淳は何を十年後になし遂げているか」を自分で考えて書き、ほかの人にも同じことを想像して書いてもらう。すると微妙な違いがあるので、自分はこういうふうに見られているのかと考えるわけです。そうした内省があって、じゃあ次に会うまでに自分は何をやると言っておく。こういうことをやっています。
とはいえ、そんな時間はなかなか取りにくいし、忙しいと真っ先に削られてしまうものです。ですから、企業が研修でその機会をつくることには大きな意味があると思います。
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