中村俊輔選手が示した能力は、会社であれば、現場においては段取り力として示され、マネジメントとしては的確な意思決定力として示される。リーダーシップコンピタンシーの一つに必ずと言ってよいほど含まれる"ビジョンを打ち立てる力"、"先を読む力"である。こうした力を持った人材を鍵となるポジションに得ることは、企業にとって極めて重要であろう。
彼は、長年に亘って「ノートを使ったプレーの振り返り」と「"こうあるべき"と思ったプレーの反復練習」を行ってきたようだ。画と言葉でプレーを振り返ることによる俯瞰的な目線からの経験の概念化・抽象化と反復練習による定着化を実施して、その能力を身につけたのだ。こうした"センス"を持った人材を見出し、適切に育てていくことは、企業には不可欠な努力となるであろう。
ただ、私は、彼の力は"サッカー"であればその力を存分に発揮するであろうが、バスケットボールやハンドボールであったとしたらその能力を発揮することはないという問題点を考えてしまった。企業に置き換えて考えると、環境変化に直面し、企業として新たな価値を創出していかなくてはならなくなった時、マネジャーが思い描く"数本の線"が成果を生まなくなることは容易に想像できるからだ。
そんな時は、どんなことが起きてしまうだろうか。
環境変化に直面し、自分の意思決定が以前の様な高いレベルで通用しなくなった時でも、マネジャーが素早く正しく引くことができる"数本の線"がある。それは、組織内部の意思決定や内部の力の活用に関することだ。組織のどのボタンを押せば組織はどう動くのか、どこにお願いすれば問題が解決するのかといった組織内部に関して蓄積されてきた経験と知識である。
しかし、そこがマネジャーの力量発揮の拠り所となってしまうとどうなるか。マネジャーは、組織内部プロセスに関する判断に意識を集中し始めたりすることがあるように思う。そうすると、組織はおかしなことになっていく。気がつけば、何かの変革を起こさなくてはならないときに、非建設的な議論に巻き込まれてしまうということが起こってしまうだろう。
一人一人は、会社を悪くするつもりはまったくない。個人個人の能力も、それなりに高い。けれども、組織の中枢を占める大半の人の心が、自分自身の力量を組織に示すために、その残された糸に縋ろうと、ほんの少しでも"揺らぎ"始めたりはしないだろうか。変化に直面した組織の変革の阻害要因になっているのは、そんな小さな揺らぎが共鳴し、大きな波になって組織を飲み込んでしまうからではないかと想像が膨らんだ。
さしづめ、孫子の言葉にある『将に五危あり、必死は殺され、必生は虜にされ、忿速(短気)は侮られ(計略に嵌り)、廉潔は辱められ、愛民は煩さる。凡そこの五つのものは将の過ちなり、用兵の間違いなり。軍を覆し将を殺すは必ず五危を以てす。察せざるべからざるなり。』の、"必生"と"愛民"の危が発露するといったところであろうか。
中村俊輔選手が示した力は、企業の意思決定を担うあらゆるポジションにおいて求められている力であることは間違いないし、そうした力は企業における貴重な経営資源だ。しかしながら、その力は、ゲームのルールが変わるような変化に直面したら、過去のレベルが高ければ高いほど、個人の心の中に起きる揺らぎが避けられず、今度は組織の力を殺ぐ力を持ち始めてしまうリスクがあるだろう。
番組を見た後で、そんなことを思っていた。
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