大学や前職の同期など、気の置けない友人と飲んでいるとき、近況報告も含めてふと仕事の話題になることが多い。同期は社会人になって早ければ10年程度、修士/博士卒であっても5年程度の期間が経っており、一定領域で経験を積んで、仕事が楽しくなってきた、という頃合いである。一通り近況を話すと、今後キャリアをどう積んでいくか、という話に花が咲く。周囲には既に転職を経験した友人もちらほらいて、環境が変わってどのようなことを経験しているのかを聞くことが楽しい。

 キャリアという言葉は人によって指していることが異なるため、諸説ある定義から抜粋して「職業人生に係る活動全体を通じて担う職務の連続」と本文中では位置付けておく。そうすると、異なるキャリアを積むということは、転職や、職業は同じくして会社を変える転社など、働く場所を明確に変えることは当然含まれる。もう少し小さい範囲では、社内の異動や、プロジェクトベースで仕事が変わるような働き方の人にとってはプロジェクトが変わることも含まれると考えてよいだろう。
キャリアを考える、ということへの反応

 転職する友人も増えていく一方で、転職という言葉にネガティブな反応を示す(示し続けている)友人もいる。極端な場合だと、キャリアを自分で選択する、ということ自体に背徳感のようなものを伺えることもある。

 その背景は「苦労して内定をもらった(せっかく採用してもらった)」「どこに転職できるのか分からないから不安」ということがあるらしい。前者はいわゆる一流と呼ばれる大企業、後者は定型的な作業を主とする業務を担当している人に多いという所感がある。

 別にこの姿勢自体が良い悪いということではない。もちろん今いる環境に満足している場合は全く問題ない。ただ、そうでない場合もある。キャリアの方向転換をするタイミングがいずれか訪れる、という可能性そのものを考慮せず、自分の選択肢から外しているということが、もったいないと感じるのである。

誰もがキャリアの転換点について備えておくべき

 キャリア転換のタイミングとしては、外部環境により強制的に引き起こされるものもあれば、内的なものもある。

 冒頭にもあるが、社内での異動は意図せずに引き起こされ得るものの一つであるし、組織再編や部門の買収・売却等は個人として如何ともし難い環境変化として発生することであるが、最早珍しいことではない。

 内的なものとしては、仕事をする中で自分が貢献する領域を変えたいと感じたり、ライフスタイルを変えたいという仕事以外の要因から影響を受けたりすることもあるだろう。

 私の友人の年齢層を前提とすると、今後の職業人生は、会社勤めの定年で辞めたとしても30-40年はある。どこかでキャリアの変化点が訪れる可能性は高いのだ。それであれば、いつかはキャリアを変えるということも選択肢として持ち、自分にとってよりよいキャリアを積むための心づもりをしておくというのは悪くは無い、と著者は考えている。

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