方針とは、「あることをするに当たって定めた、その行動や処置の方向・原則」(岩波国語辞典)です。
弊社の新入社員研修では、山登りに例え、「頂上に行くのが目的。
すると、ふもとから頂上に至る方法はいくつもある。まっすぐ一気に上る、折り返しながら、ゆっくり登る等。どうやって目標に至るか、その道筋を方針という」というような説明をします。
弊社の新入社員研修では、山登りに例え、「頂上に行くのが目的。
すると、ふもとから頂上に至る方法はいくつもある。まっすぐ一気に上る、折り返しながら、ゆっくり登る等。どうやって目標に至るか、その道筋を方針という」というような説明をします。
これだけですと、「じゃ、各社員が個性を生かしてそれぞれ登ればよい」となり、方針は「お願い事項」となってしまいます。そこで、「もし、ばらばらに登ったら、結集力が出せない。
組織を個性化できない」「方針そのものが、企業を個性化、差異化させるものなので、違う道筋を行く人がいると、個性化が図れなくなる」などの説明を加え、「競争に勝つための組織では、方針は命令である」ことを示します。
「方針は命令」ということは、方針違反は懲罰の対象となります。
企業における方針は、多くの場合、経営理念や中期ビジョンなどから下ろされて、中短期の目標を達成するために設定されるものだと思います。
すなわち、方針違反は経営理念にたがう行動を取っていることになります。
こう考えると、方針違反が「いけないこと」だとわかります。
さて、「民主的経営では、会社の方針は従業員に対する命令ではなく、お願いである」という設問の回答傾向は、次のようになっています。
そう思う 19.0%
わからない 36.9%
そう思わない 44.1%
この設問、「わからない」と答える割合が最も多いものです。
ついこの間まで学生であった新入社員はおそらく「方針」を実感して活動した経験があまりないからだと考えています。
「そう思わない=方針は命令である」と答える率は44.1%と、2010年の43.8%についで2012年は少ない数値でした(2001年は48.9%)。
わずか数%の差ではありますが、「方針は命令である」と考える新人は減りつつあります。
どうやら、「自分の好きなことを伸ばすこと」を求められてきた今の新卒社員は、命令という言葉に抵抗感を持つためか、方針を命令とは思わない人が増えてきていると思われます。
弊社の調査では、わずか数%の差ではありますが、この11年で「方針は命令である」と考える新人は減りつつあるという傾向が見られます。
おそらく、「命令」ということになじみがないこと、「自由を奪われる」ことにある種の抵抗感があることが背景にあると考えます。
拘束や命令を嫌う傾向が徐々に高まりつつある新卒社員の意識背景は、「ゆとり教育」と呼ばれた学校教育とは無縁ではないでしょう。
しかし、企業に入った以上、そこで指示命令に従う習慣はつけさせておきたいものです。
こう書くと、「その旧態依然とした考え方が、個性を殺すのだ」とか「そういうあんたは、自慢できるほど方針に従ってきたのか?」と反論がありそうです。
確かに、盲目的に、強制的に従わせることは、個性をつぶすことにもなりかねません。
しかし、これは「会社に入ってくる以上、前提にあるビジョンや理念に価値を見出しているはず。
それに反することは、やってはいけない」というベースのところを踏まえての話です。
そこに共感がなければ、入社するなということです。
あるリゾート会社は喫煙者は雇いません(採用HPの最初で喫煙者かどうか聞かれます)。
喫煙がその企業が求めるホスピタリティの提供に障害になるとの考えからです。
なのに「喫煙は基本的な権利だ」などと言って反する人はそもそも採用試験を受けないはずです。
また、入社後吸ってしまったら、解雇されても仕方ないこと、というのは理解できる話のはずです。
「自慢できるほど方針に従ってきたか?」といわれると、私はまったく自信はありません。
企業理念と違(たが)うことをしたことはありませんが、その時の方針に全力で従ってきたかというと、必ずしもそういう時ばかりではありませんでした。
同じ道筋を通るとしても、その先頭に立つことを避け、「違う道筋」を模索してきたことは多くあります。
なぜか?
「シャドーワーク―知識創造を促す組織戦略」の中でも、「通常の業務、意思決定プロセスからは外れた、個人の自主的な意志と裁量による創造的な仕事」が革新を生んでいることが指摘されています。
要は、隠れて指示されていない、現在の「方針」には関係のない「実験」が、あるとき、市場環境の変化で方針が変わったときに芽を吹くことがあるということです。
弊社はこれを「密造酒づくり」と呼んでいました。
実際に、新しい研修手法がこの「密造酒」からいくつも生まれています。
企業存続のために、理念を大事にしつつもこのような「多様性」を確保することは大変重要なことです。
一定規模以上の組織であれば、多様性こそが組織存続の条件になるのではないでしょうか。
とはいえ、その「理念の重要性」を理解した上で、「まずやる、やり続ける」というある種の盲目的な行動は必要だと思います。
それが理念を個人に内包、体現、発展させることにつながるからです。
組織を個性化できない」「方針そのものが、企業を個性化、差異化させるものなので、違う道筋を行く人がいると、個性化が図れなくなる」などの説明を加え、「競争に勝つための組織では、方針は命令である」ことを示します。
「方針は命令」ということは、方針違反は懲罰の対象となります。
企業における方針は、多くの場合、経営理念や中期ビジョンなどから下ろされて、中短期の目標を達成するために設定されるものだと思います。
すなわち、方針違反は経営理念にたがう行動を取っていることになります。
こう考えると、方針違反が「いけないこと」だとわかります。
さて、「民主的経営では、会社の方針は従業員に対する命令ではなく、お願いである」という設問の回答傾向は、次のようになっています。
そう思う 19.0%
わからない 36.9%
そう思わない 44.1%
この設問、「わからない」と答える割合が最も多いものです。
ついこの間まで学生であった新入社員はおそらく「方針」を実感して活動した経験があまりないからだと考えています。
「そう思わない=方針は命令である」と答える率は44.1%と、2010年の43.8%についで2012年は少ない数値でした(2001年は48.9%)。
わずか数%の差ではありますが、「方針は命令である」と考える新人は減りつつあります。
どうやら、「自分の好きなことを伸ばすこと」を求められてきた今の新卒社員は、命令という言葉に抵抗感を持つためか、方針を命令とは思わない人が増えてきていると思われます。
弊社の調査では、わずか数%の差ではありますが、この11年で「方針は命令である」と考える新人は減りつつあるという傾向が見られます。
おそらく、「命令」ということになじみがないこと、「自由を奪われる」ことにある種の抵抗感があることが背景にあると考えます。
拘束や命令を嫌う傾向が徐々に高まりつつある新卒社員の意識背景は、「ゆとり教育」と呼ばれた学校教育とは無縁ではないでしょう。
しかし、企業に入った以上、そこで指示命令に従う習慣はつけさせておきたいものです。
こう書くと、「その旧態依然とした考え方が、個性を殺すのだ」とか「そういうあんたは、自慢できるほど方針に従ってきたのか?」と反論がありそうです。
確かに、盲目的に、強制的に従わせることは、個性をつぶすことにもなりかねません。
しかし、これは「会社に入ってくる以上、前提にあるビジョンや理念に価値を見出しているはず。
それに反することは、やってはいけない」というベースのところを踏まえての話です。
そこに共感がなければ、入社するなということです。
あるリゾート会社は喫煙者は雇いません(採用HPの最初で喫煙者かどうか聞かれます)。
喫煙がその企業が求めるホスピタリティの提供に障害になるとの考えからです。
なのに「喫煙は基本的な権利だ」などと言って反する人はそもそも採用試験を受けないはずです。
また、入社後吸ってしまったら、解雇されても仕方ないこと、というのは理解できる話のはずです。
「自慢できるほど方針に従ってきたか?」といわれると、私はまったく自信はありません。
企業理念と違(たが)うことをしたことはありませんが、その時の方針に全力で従ってきたかというと、必ずしもそういう時ばかりではありませんでした。
同じ道筋を通るとしても、その先頭に立つことを避け、「違う道筋」を模索してきたことは多くあります。
なぜか?
「シャドーワーク―知識創造を促す組織戦略」の中でも、「通常の業務、意思決定プロセスからは外れた、個人の自主的な意志と裁量による創造的な仕事」が革新を生んでいることが指摘されています。
要は、隠れて指示されていない、現在の「方針」には関係のない「実験」が、あるとき、市場環境の変化で方針が変わったときに芽を吹くことがあるということです。
弊社はこれを「密造酒づくり」と呼んでいました。
実際に、新しい研修手法がこの「密造酒」からいくつも生まれています。
企業存続のために、理念を大事にしつつもこのような「多様性」を確保することは大変重要なことです。
一定規模以上の組織であれば、多様性こそが組織存続の条件になるのではないでしょうか。
とはいえ、その「理念の重要性」を理解した上で、「まずやる、やり続ける」というある種の盲目的な行動は必要だと思います。
それが理念を個人に内包、体現、発展させることにつながるからです。
- 1