これは古い昔のプロポーズの言葉ではない。ある企業の社是だ。もし本当に一生面倒見てくれる会社があったとしたらどうだろう?その会社の成長性、安定性から実現可能性を評価しなければならないが、きっと就職希望ランキングで上位に顔を出すことだろう。
さて、この会社の定年年齢は何歳だろう?
さて、この会社の定年年齢は何歳だろう?
"一生面倒見る"という言葉に甘い幻想を抱いていた人はショックを受けるかもしれないが、働かない人に給与を支払っていたら、その会社は長く持たないだろう。"一生面倒見る"というのは、"一生働ける場所を確保する"という意味なのだ。つまり、定年年齢はない。現在希望者全員について65歳までの雇用確保が議論されているが、そのさらに先を行っていることになる。
では、一生働いてもらうのだから、年金制度はないのか?
そんなことはない。働ける間は働いてもらうが、"一生面倒見る"と言ったからには、働けない状況でも最低限の生活は保障する。そういう意味で年金制度は立派に存在する。しかし、ある特定の年齢に到達したら無条件で支給されるような年金はない。まず働くことが大前提であり、働きに応じた給与を支給する。例えば老齢により思うように働けなくなれば、給与が下がって生活が脅かされることもあるかもしれないが、その場合には、最低限の生活を保障するように年金を支給する。なお、年金の財源は従業員に分配されるべき収益の一部をプールして確保している。
この会社の脅威とは何だろうか?
まず内部要因だが、最大の脅威はずばり生産性の低下だ。働きに報いる給与として、生産性が低下してもその分少ない給与しか支払っていないとすれば、会社として問題ないようにも見えるが、利益の絶対額が減ることはやはり大きな問題だ。また、最低限の生活を保障することにしているので、生産性の低下により給与が最低生活保障水準を下回れば、年金を支給しなければならず、その負担が膨らむ。
では、生産性を維持・向上するために何がポイントになるだろうか? 敢えて3つ挙げるとすれば、
教育
コミュニケーション
健康維持向上
ではないだろうか。
教育というのは分かりやすいはずだ。生産性向上を目指すには、効率性向上も含めて、技術革新などにより、より高いレベルのアウトプットを引き出すように努める必要があるし、少なくとも生産性を維持するために、知識の陳腐化によるアウトプットの相対的劣化は防がなければならない。重要なのは、「生涯教育」という点だ。
コミュニケーションはもっと重要かもしれない。いくら教育の機会を与えても本人がやる気にならなければ、その効果は限定的になる。やる気のない者を切り捨てることはできないのだ!「一生面倒見る」と約束したのだから。しかし、だからと言って「ぶら下がり社員」を認めたわけではない。一人一人、他人のために何ができるのか真剣に考えてもらわなければならないし、何よりも、そのように考えることの重要性を理解してもらう必要がある。また、より他人のためになるために必要だと思われることには積極的にチャレンジしてもらうことが大切であり、そのような行動は会社としてもサポートする必要がある。
健康維持向上については説明するまでもないだろう。理由の如何を問わず最低限の生活を保障するのだから、健康問題による生産性低下は極力避けなければならない。
外部要因の脅威についても少し触れておこう。色々考えられるところであるが、特に強調したいのは、十分な仕事量の確保だ。「一生面倒見る」と約束しているので、景気低迷などにより十分な仕事量を確保できないと社内失業者が出てしまい、何も仕事をしないのに生活保障のために年金を支給しなければならないという大変な事態になってしまう。この問題への対処としても、やはり、教育とコミュニケーションは重要だ。社員の実力を引上げ、さらに自覚を促すことによって、自発的な問題の解消、未然防止がある程度期待できる。ただ、これはあくまでも理想的な姿であって、頼り過ぎてはいけない。会社には、長期的ビジョンに基づいた強力なリーダーシップが必要なことは言うまでもないが、この問題はこの会社にとって企業経営上の最重要課題であり、まさにリーダーシップが問われるところだ。この問題解決のためであれば、原則、取り得る手段に制限はないと考えてもいいだろう。
皆さんお気づきのとおり、これは架空の会社です。一生面倒見てくれる会社は実在しませんよね。でも、何か気になりませんか?きっと身近でもそんな議論が行われているに違いありません。
では、一生働いてもらうのだから、年金制度はないのか?
そんなことはない。働ける間は働いてもらうが、"一生面倒見る"と言ったからには、働けない状況でも最低限の生活は保障する。そういう意味で年金制度は立派に存在する。しかし、ある特定の年齢に到達したら無条件で支給されるような年金はない。まず働くことが大前提であり、働きに応じた給与を支給する。例えば老齢により思うように働けなくなれば、給与が下がって生活が脅かされることもあるかもしれないが、その場合には、最低限の生活を保障するように年金を支給する。なお、年金の財源は従業員に分配されるべき収益の一部をプールして確保している。
この会社の脅威とは何だろうか?
まず内部要因だが、最大の脅威はずばり生産性の低下だ。働きに報いる給与として、生産性が低下してもその分少ない給与しか支払っていないとすれば、会社として問題ないようにも見えるが、利益の絶対額が減ることはやはり大きな問題だ。また、最低限の生活を保障することにしているので、生産性の低下により給与が最低生活保障水準を下回れば、年金を支給しなければならず、その負担が膨らむ。
では、生産性を維持・向上するために何がポイントになるだろうか? 敢えて3つ挙げるとすれば、
教育
コミュニケーション
健康維持向上
ではないだろうか。
教育というのは分かりやすいはずだ。生産性向上を目指すには、効率性向上も含めて、技術革新などにより、より高いレベルのアウトプットを引き出すように努める必要があるし、少なくとも生産性を維持するために、知識の陳腐化によるアウトプットの相対的劣化は防がなければならない。重要なのは、「生涯教育」という点だ。
コミュニケーションはもっと重要かもしれない。いくら教育の機会を与えても本人がやる気にならなければ、その効果は限定的になる。やる気のない者を切り捨てることはできないのだ!「一生面倒見る」と約束したのだから。しかし、だからと言って「ぶら下がり社員」を認めたわけではない。一人一人、他人のために何ができるのか真剣に考えてもらわなければならないし、何よりも、そのように考えることの重要性を理解してもらう必要がある。また、より他人のためになるために必要だと思われることには積極的にチャレンジしてもらうことが大切であり、そのような行動は会社としてもサポートする必要がある。
健康維持向上については説明するまでもないだろう。理由の如何を問わず最低限の生活を保障するのだから、健康問題による生産性低下は極力避けなければならない。
外部要因の脅威についても少し触れておこう。色々考えられるところであるが、特に強調したいのは、十分な仕事量の確保だ。「一生面倒見る」と約束しているので、景気低迷などにより十分な仕事量を確保できないと社内失業者が出てしまい、何も仕事をしないのに生活保障のために年金を支給しなければならないという大変な事態になってしまう。この問題への対処としても、やはり、教育とコミュニケーションは重要だ。社員の実力を引上げ、さらに自覚を促すことによって、自発的な問題の解消、未然防止がある程度期待できる。ただ、これはあくまでも理想的な姿であって、頼り過ぎてはいけない。会社には、長期的ビジョンに基づいた強力なリーダーシップが必要なことは言うまでもないが、この問題はこの会社にとって企業経営上の最重要課題であり、まさにリーダーシップが問われるところだ。この問題解決のためであれば、原則、取り得る手段に制限はないと考えてもいいだろう。
皆さんお気づきのとおり、これは架空の会社です。一生面倒見てくれる会社は実在しませんよね。でも、何か気になりませんか?きっと身近でもそんな議論が行われているに違いありません。
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