「ゆとり教育世代?うちは、そこんところ、注意して採用したから、平気だよ」
と思っていると、それはそれで大変なことになります。
ほとんどの企業で、この厳しい環境下、思いっきり絞り込んで採用した「つもり」です。
残念ながら、「ゆとり教育世代」は時代の「風土」が作ったものですから、実は避けようがないのです。多かれ少なかれ、影響を受けると身構えた方が無難でしょう。
そこで、次の育成の留意点は、

(5)組織で役割を分担し共通目標に向かって取り組むことの意味(組織のメリット)を理解させる。その上で規律の重要性を理解させる

「規則」には、おそらく「盲目的に」従います。「規律」に対しても「空気を読む」のはとても得意ですので、これも「盲目的に」従います。
が、心の中で意義、意味を見出せていませんので、時折、「よし、皆の仕事も一段落したことだし、今日は、飲みに行くか?」⇒「それは、命令ですか?」などとわけのわからない質問が飛んでくるわけです。「時々、マイペースだな」という程度で収まってくれれば良いのですが、気を抜くと、大きく逸脱した行動を取ってしまうのが(凧の糸が切れるように)、彼らの特徴です。

そこで、チームワークの重要性を理解させる必要があるわけです。
残念ながら、個性を大事にして育てられていますので、チームワークは苦手です。チームワークと個が対立して存在するかのようです。
弊社の研修では、「個性を生かすのが組織。組織にいるから個性が生きる」と伝えています。しかし、それを実感できるまでには、時間がかかります。
それまでの間、どうやって、チームワークを覚えさせるかが課題となります。

(6)人間関係の原理原則を理解させる

「自分の出方で相手の出方が決まる」(鏡の法則)といいます。
「和して同ぜず」という言葉もあります。

よい仕事をしていく上では、対立も議論も必要ですが、対立したり、議論したりということは苦手な世代です。深い人間関係を構築することに関して彼らは、苦手(浅い関係なら大丈夫ですが)なのです。けんかして、仲良くなる、ということがないのです。

が、そこは経験させないといけません。
上司や指導する側からやれることは、「叱る」ことではないかと私は思っています。「相手の成長を考えて、本気で叱る」ことです。
一度覚えたことは、本人の責任で実行させ(教えた、できるようになった、と思っていても必ずまた聞いてきますよ)、その上で失敗したり、手を抜いたら叱るということです。「怒ると、叱るの違い」に関しては、いまさら書きません。叱ってください。

弊社の研修の中では、叱るポイントをわざわざ用意しています(時間管理や報告の徹底など)。わかっていること、本来ならできることを手抜きした時点で、理由を明確に示して叱るわけです。

そうやって、深い人間関係構築の一歩を踏み出させる手引きを私たちはしないといけないと思います。その後、より良い仕事のために、議論する、意見を言わせるということを通じて、お互い認め合い、助け合う経験をさせることが必要でしょう。

人間関係を構築させるために、「夜のピクニックやアスレチックなんかでは、だめですかね」という相談を受けたことがあります。
それもそれなりに有効ですが、可能であれば、仕事を通じての人間関係を教えていくことに注力していった方が良いと思います。指導者のスキル強化に力を入れたほうが成功確率は高いと思います。

マックス・ウェーバーの『職業としての学問』の中に次のような一節があります。「学者になるには」というようなテーマでの講演録ですが、その中身は「働く意義」に関するものです。

今、まさに若者のあいだに非常に人気が広がっているのが、二つの偶像に仕えることなんです。 
(中略)
二つの偶像とは、「自分らしさ」と「やりがい」です。
(中略)
すなわち、自分らしく、個性的に生きればやりがいが生まれ、
やりがいがあれば自分らしく生きられるというのです。
だから彼らはやりがいを見つけようと苦労しています。
やりがいこそが自分らしい生き方にぴったりだからです。
やりがいが見つけられない若者も、少なくとも自分らしさという宝物だけは持っているかのように振舞わざるをえません。

現代訳『職業としての学問 危機に立つ現代に「働く意味」はあるのか』
プレジデント社 マックス・ウェーバー:著 三浦展:訳
注:自分らしさ=person やりがい=erleben
※岩波文庫 尾高邦雄:訳では、注:個性=person  体験=erleben と訳している。

これが、1917年の講演の一節です。

これまで、ゆとり世代に関して書いてきましたが、ゆとり世代の若者たちもこの二つの偶像に仕えているようです。
そういう彼らは、これまで以上に「メンタル的に弱い」状況にあります。

弊社のある取引企業では、2009年に採用した新人のうち約10%がこの10ヶ月後にはメンタル不調で退職したそうです。
「採用をすり抜けてきた」「三人も面接しているのに、なんでわからなかったんだ?」「誰だ、面接したの?」と、責任者を探すのも、もしかすると必要かもしれませんが、それより、これからどうするのかを考えたいところです。

前述した「10%がメンタル不調で退職した」企業の管理者は、


・普通だった。
・なぜ、会社に来られなくなったのかわからない。
・むしろ、まじめに仕事をしているほうだった。成績も良かった。
と言っています。
つまり、感づかないのです。理由がわからないのです。

打たれ弱い理由はもうお分かりだと思います。
時代背景は変えようがありません。
弱いんです。みんな。そう思って、対応を始めたほうが良いと思います。
私たちが、鍛えるしかありません。
一番の問題は、「現場で鍛える、その覚悟がない」ことではないかと思います。

・腫れ物に触るかのように、扱う(仲間として迎えない)。


・上司や先輩の側から働きかけが少ない(結果的に孤立させる)。
・きちんとした対話をしない(本音を聞かない、業務的指導だけ)。

これでは、鍛えられません。
きちんと対話をする、本気で成長を思って叱る、人間的に扱う、そういうことが重要なのです。

メンタル不調になってしまった際の対応策に関しては、お分かりかと思いますので、ここでは触れません(「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」などもありますので、そういったものを参考に)。会社の仕組みとしての対応策をとっておくことは、当然のことですので。

マックス・ウェーバーは、次のように言って講演を締めくくります。

「まずは自分の仕事に就き、日々求められている任務に、職業を通じて果たすべき任務にも、そして人間として果たすべき任務にも、正しく向かい合おう」

仕事をすること、それを通じてしか「やりがい」も「自分らしさ」も得られないのです。

(2012.01.23掲載)
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