ふと気がつくと、もともと目指していたはずのことと違う選択をしていた というご経験。皆さんにはあるだろうか?
学生の頃、米国のある大学のサマーセッションに参加した。夏休みに開講するその大学のクラスを履修し、単位編入できるものだった。海外経験のなかった私は、実力よりも背伸びして挑戦し、英語の苦手意識をなんとか克服できぬものかと、留学生の少ないあるクラスを、あえて選んだ。
学生の頃、米国のある大学のサマーセッションに参加した。夏休みに開講するその大学のクラスを履修し、単位編入できるものだった。海外経験のなかった私は、実力よりも背伸びして挑戦し、英語の苦手意識をなんとか克服できぬものかと、留学生の少ないあるクラスを、あえて選んだ。
クラスの最終課題で、2-3人で一つのテーマについて調査・発表するグループワークを行うことになった。そこで、私はエンリケという現地の学生とペアを組むことになった。彼は、長い髪を一つに束ね、あごひげをたくわえ、学生らしからぬ貫禄。低い声は凄味があった。
その日の授業の後、エンリケと私は、グループワークの役割分担を相談した。挨拶程度しか話したことがなかったエンリケに、おずおずと伝えた。「調査なら貢献できると思うから、調査担当にしてほしい。足をひっぱらずに済むし…」。注意深く話を聞いた後、エンリケは、「分かった、いいよ」と答えた。しかし、私が「ありがとう…」と言いかけたとき、こう続けた。
「ただ、分担はどうするにしても、君自身が納得できる方を選んだらいいよ」
この問いかけで、ハッとさせられた感覚を、今も覚えている。
「自分はどうしたら納得できるのか?」「自分はどうしたいのか?」と考えた。
そして、うまく行かなかったらどうしよう、恥ずかしい思いをするかもしれない…という感情で、頭がいっぱいになって、当初のこころざしを忘れていたことに気づかされた。
目的に立脚することが大事、というのはよく言われることで、珍しさはなく、当然のようだけれど、それは、そんなに容易なことではないと思った経験だった。
筆者は、お客さま企業の社内事例を題材としてオリジナル・社外には非公開のケーススタディを作成し、人材育成に活用する取り組みのご支援に携わっている。
ケーススタディの作成は、読み手に、「自分が当事者であったらどうか」というリアルな想像を促す"疑似体験"を提供することを目指し、題材とする取組みの当事者に、第三者としてマーサーがインタビューを行い、「いつ、どこで、誰が、どんな考えで、何をし、その結果どうなったか」を明らかにし、それを時系列のストーリーにまとめる。インタビューでは、成果創出における山場的場面での意思決定についてお話を伺うこともしばしばである。
そうしたインタビューを通じて気がついたことの一つは、困難な場面での当事者達の選択には、そのひとつひとつに、一貫した信念が流れているということだった。
あるお客様企業で、それまでの業界の常識を打ち破る革新的な取組みをリードされた当事者にお話を伺う機会があった。自分が責任者をつとめる事業の先行きを危ぶんだその人は、護送船団的な業界のあり方を疑問視し、事業の将来に亘る持続的な発展のために、自立的な成長を実現するビジネスモデルへの変革を打ち出した。「前例がない」「リスクが高すぎる」という社内の反対や想定外の困難に直面しても、どんな場面でも、その方の選択の一つひとつが、はじめのこころざしから、ぶれていないことが垣間見えた。
そんな風に、まっすぐに進む姿を、とても格好良く思ったことを覚えている。
あの夏、エンリケに問われて考えた結果、プレゼンテーションを回避することは止めた。
案の定、準備で睡眠時間は削られ、当日も話しながら冷や汗をかき、必死の状態だった。ただ、そうして何とかやり遂げたことは、後から振り返ると懐かしく思え、そうして良かったと思う。
仕事の場における個人の「選択」ということを考えると、それは当然、事の成り行きによって変わりうる。ましてや、変化のスピードが速く、不確実性の高い今日の環境において、ビジネスパーソンにとって、何かを「選択」する際に、状況に応じて変更をいとわないことが、重要なスキルの一つであると言えよう。
ただし、「変えること」においても、そうでない場合でも、選択が、本来の「目指すこと」から離れていないか見極めること。そのことを忘れず、仕事に取り組みたいと思う。
その日の授業の後、エンリケと私は、グループワークの役割分担を相談した。挨拶程度しか話したことがなかったエンリケに、おずおずと伝えた。「調査なら貢献できると思うから、調査担当にしてほしい。足をひっぱらずに済むし…」。注意深く話を聞いた後、エンリケは、「分かった、いいよ」と答えた。しかし、私が「ありがとう…」と言いかけたとき、こう続けた。
「ただ、分担はどうするにしても、君自身が納得できる方を選んだらいいよ」
この問いかけで、ハッとさせられた感覚を、今も覚えている。
「自分はどうしたら納得できるのか?」「自分はどうしたいのか?」と考えた。
そして、うまく行かなかったらどうしよう、恥ずかしい思いをするかもしれない…という感情で、頭がいっぱいになって、当初のこころざしを忘れていたことに気づかされた。
目的に立脚することが大事、というのはよく言われることで、珍しさはなく、当然のようだけれど、それは、そんなに容易なことではないと思った経験だった。
筆者は、お客さま企業の社内事例を題材としてオリジナル・社外には非公開のケーススタディを作成し、人材育成に活用する取り組みのご支援に携わっている。
ケーススタディの作成は、読み手に、「自分が当事者であったらどうか」というリアルな想像を促す"疑似体験"を提供することを目指し、題材とする取組みの当事者に、第三者としてマーサーがインタビューを行い、「いつ、どこで、誰が、どんな考えで、何をし、その結果どうなったか」を明らかにし、それを時系列のストーリーにまとめる。インタビューでは、成果創出における山場的場面での意思決定についてお話を伺うこともしばしばである。
そうしたインタビューを通じて気がついたことの一つは、困難な場面での当事者達の選択には、そのひとつひとつに、一貫した信念が流れているということだった。
あるお客様企業で、それまでの業界の常識を打ち破る革新的な取組みをリードされた当事者にお話を伺う機会があった。自分が責任者をつとめる事業の先行きを危ぶんだその人は、護送船団的な業界のあり方を疑問視し、事業の将来に亘る持続的な発展のために、自立的な成長を実現するビジネスモデルへの変革を打ち出した。「前例がない」「リスクが高すぎる」という社内の反対や想定外の困難に直面しても、どんな場面でも、その方の選択の一つひとつが、はじめのこころざしから、ぶれていないことが垣間見えた。
そんな風に、まっすぐに進む姿を、とても格好良く思ったことを覚えている。
あの夏、エンリケに問われて考えた結果、プレゼンテーションを回避することは止めた。
案の定、準備で睡眠時間は削られ、当日も話しながら冷や汗をかき、必死の状態だった。ただ、そうして何とかやり遂げたことは、後から振り返ると懐かしく思え、そうして良かったと思う。
仕事の場における個人の「選択」ということを考えると、それは当然、事の成り行きによって変わりうる。ましてや、変化のスピードが速く、不確実性の高い今日の環境において、ビジネスパーソンにとって、何かを「選択」する際に、状況に応じて変更をいとわないことが、重要なスキルの一つであると言えよう。
ただし、「変えること」においても、そうでない場合でも、選択が、本来の「目指すこと」から離れていないか見極めること。そのことを忘れず、仕事に取り組みたいと思う。
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