弊社の新入社員研修での意識調査で、「たてまえと本音は違うという固定観念は、職場では通用しない」という設問があります。
社会生活を送るものとして、
「そりゃーそうだ。本音ではやりたくないことでもやるのが仕事じゃないか」
「たてまえを通していたら、仕事にならない。たてまえはたてまえとして、そこをうまく切り抜けるところがポイントじゃないか?」
という意見は多いと思います。
もし、会社の会議などで「たてまえと本音は違うもの」という姿勢で仕事を進めるとどうなるでしょうか?
「まぁ、課長はああいってるけど、本心はこうなんだろうから、別にあれには従わなくてもいいよね」
と考え、やるべきことをやらなかったり、
「本音はAなんだけど、たてまえはBだから、とりあえずBをやってくれ」
と管理者までもが言い出し、みんながイヤイヤ、Bという仕事をすることにもなりかねません。

なので、ジェックでは、「考え方」として「たてまえと本音は違うという固定観念は、職場では通用しない」と教えています。
しかし、意識調査の結果では、多くの新入社員が「たてまえと本音は違うもの」だと考えていることがわかります。
どれくらいの人がそう考えているか?
「たてまえと本音は違うという固定観念は、職場では通用しない」という設問の回答内訳は次の通り。

そう思う(通用しない)  13.1%
わからない        32.9%
そう思わない(通用する) 54.0%

なんと、半数以上の新入社員が、「たてまえと本音は別もの」と判断しているのです。
このままでは、上司の言うことも素直に聞かず、「本心なのか、たてまえなのか判断してからやろう」ということにもなりかねません。

これをどうやれば、「たてまえと本音は違うという考えで仕事をすると、やがてうまく仕事が回らなくなる」と感じさせられるのでしょうか?

弊社の研修では、「もし、たてまえと本音が違うもの、という考え方で仕事をすれば、どうなるでしょうか?」とそのまま、の質問を新入社員にします。
「ちゃんとやらなくなる」「たてまえのところは、適当にやる」という普通の回答と「それでも、たてまえにしたがって、やりとげる」というやや「骨のある(?)」回答に分かれます。
しかし、「評価はたてまえのほうでされるから、いくら本音で仕事をしても、たてまえの方の成果が出なければ、評価されない」というと、「いやいやでも、たてまえのほうで仕事をする」と答えます。

さらに、そんなたてまえで仕事をすることに対して、
「それで仕事は楽しい?」
「良い成果が出る?」
「自分の成長につながる?」
と問いかけていくと、ここは否定の意見が出てきます。
つまり、たてまえに合わせて仕事をすることのむなしさを感じさせるのです。

グループ活動での目標や規則、ルールに対して、反省させると、自分たちがいかに「形だけ」を整えてきたかにも気がつきます。わずか6人のグループの目標すら「たてまえ」で作っていたことに気づくのです。「たてまえ」を「本音」に替える、ここが重要ですね。

ところで、たてまえと本音を分ける、という概念は、いつごろからあるのでしょうか?
「そんなもの、日本人が昔から持っている概念だ」と思いがちですが、加藤典洋著「日本の無思想」(平凡社新書)によれば、たてまえ(建前・立前)が「表向きのことでいわばウソ」というようになったのは、「第二次大戦後のことではないか」。
加藤氏によれば、本来「建前」は「方針」であり、辞書にも「表向きの」という修辞はありませんでした(1972年の新明解国語辞典で初めて「表向きの方針」と記載された)。それ以前にも、「表と裏」「公と私」という対概念はありました。

しかし、それは、「たてまえと本音」というものとは違うといいます。辞書でもたてまえと本音を対置して書くようになったのは、1980年代に入ってからです。
わたしたちは、本来の意味の「方針」としてたてまえを使えるようになるといいですね。
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