「3月9日」(レミオロメン)という曲。その中に「上手くはいかぬこともあるけれど、天を仰げばそれさえ小さくて」というフレーズがある。この曲を聴いていると、ふと社会人4年目のあるプロジェクトを思い出す。
それは基幹業務システムの再構築を行うプロジェクトで、開発期間は足掛け3年、関係者は顧客や協力会社を含めると数百名という、当時勤務していた会社では最大規模のものであった。
まだ駆け出しといってもよい私にとっても、無論そのような大規模のプロジェクトは初めてである。私はその中で幾つものチームに配属されたが、最後に配属されたのは、新システムへの移行作業を担当するチームだった。そこはプロジェクトの中でも以前から激務なことで噂になっていたチームで、それでも要員不足などの理由で先送りされてきた課題を多々抱えていた。着任早々、十分な説明もないままに問答無用で仕事を振られることも多く、当時のチームリーダーとは「やる/やらない」でずいぶんと口論もした。言葉はもう覚えていないが、今思うと理不尽なことも相当言ったように記憶している。

それでも喧嘩別れせずに仕事をやりとげられたのは、そのリーダーの一言だった。「どうなるにせよ、皆で最期を見届けようじゃないか」

実際よくやった、と思う。メンバー全員が三日三晩徹夜で缶詰め、ということが一度や二度ではない。問題が見つかり次第メンバーが集まり、即会議。リーダーはそんな会議の行方に気を払いつつ、あるときは発破をかけ、助け舟を出し、皆の心身面の負担を軽減できるよう駆け回った。そうして皆の努力が報われるようにと東奔西走しているリーダーの姿を見て、メンバーの結束も徐々に固まっていく。課題は一つずつ片付けられ、ゴールが次第に具体的な形となって見えてくると、不思議な高揚感がチーム全体を覆うようになっていった。

納期間際でどうにか無事に移行作業を終えた。そんなプロジェクトチームのところに、役員がねぎらいにやってきた。メンバー一人ひとりに声をかけながら最後に一言「本当に間に合うとは・・」皆が顔を見合わせてにんまりと笑いながら家路についた。徹夜明けだったせいか、春の陽の光が寝不足の眼に少し眩しかったことを覚えている。

振り返れば、苦労を一つ乗り越えるごとにできる仕事のレベルも一段ずつ上がってきた。当時はそんな苦労を押し付ける上司や先輩を恨めしく思ったこともあったが、結局はその上司や先輩に引っ張られながら自分は一人前になっていったようなものではないか。そう思うと、自分はずいぶんと小さなことで愚痴や文句をいっていたものだ、と思えてくる。

そんな中、自らも「人を育てる」べき立場になってきた。時代も変わり、仕事の連絡や指示はメールやケイタイ。場所や時間の制約を受けずにコミュニケーションできるので、仕事を進める上でずいぶんと便利になってきた。が、一方では、メンバーと直接会って仕事の話をする機会が減っていることに気付く。仕事への考え方や取組み姿勢をメンバーと共有できているだろうか、仕事を通じてメンバーの成長にコミットできているだろうか。そんなことを考えると、ふと、メールを打つ指の動きも鈍くなる。

時間や空間を超えて「情報を伝達する」という意味で、コミュニケーションは便利になってきた。それでも、コミュニケーションで変わらず大切なことは
■言葉にできない苦労を、行動を通じて共有する
■それを通じて「目指すべき姿」を一緒にかたち造っていく
という「暗黙知の共創」であり、そのためにどれだけの時間や場面を分かち合えるか、だと思う。にもかかわらず、つい安易にも資料をぽん、と渡して「お願い」と言って済ませてしまっている自分にふと気付く。当時の上司から学んでおくべきことはたくさんあったのでは、と思い返してみるが、時計の針は戻せない。

果たして、「かつての自分」にとって、「今の自分」は尊敬に値する存在なのだろうか。「今の自分」は、「かつての自分」に、日々の苦労が些細なことと思えるくらいの「広く蒼い空」を示してあげることができるのだろうか。春めく空を見上げて、ふとそんなことを思ったりもする。

苦しいことはあるけれども、仕事を通じて「成長する」経験を分かち合いたい、そう思える仲間と一緒に一日一日を過ごせる、それこそが仕事人としての財産なのかもしれない。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!