「どんな人がリーダーに選ばれるべきか?」 入社して数年経った頃に採用する側として初めて臨んだ新卒採用試験のグループ面談での討議テーマであった。先輩の面接官がテーマの説明を終わると、堰を切ったように参加者の学生達が発言していった。「その分野での成功体験」「優れた問題解決能力」「決断力」「皆を引っ張っていけるリーダーシップ」「誰からも慕われる人格者」「リーダーになりたいという意欲」概ねこんな内容だったろうか。しかしながら、これらの発言に続く先輩面接官の更なる質問は今も鮮明に覚えている。
「そんな人が皆さんの周りに居ますか?」
参加者が一瞬顔を見合わせた後、一人が発言した。「・・・自分の周りには見当りません」そこで面接官から次の質問。「それでも、誰かをリーダーに選ばないといけないと思うのですが、そんなときはどうするのですか?」
その後、面接時間も終了した後で先輩は自分にこう言った。「相応しい人がいなくても、誰かがリーダーを務めないとチームは機能しない。そんな時に自分がリーダーになったらどうチームをまとめていくべきなのか、それが自分の中で最も切実な課題なのだ」そのときの先輩の表情が妙に記憶に残っている。
それから20年近くが過ぎ、いつのまにか自分も名前だけは「リーダー」という立場になった。だが、自分が「相応しいリーダー」か、と聞かれれば、とても「そうです」とは答えられない。だからといって、「明日からリーダー辞めます」とも言えない。できないながらも自分なりの解決策を模索しながら悪戦苦闘、というのが偽らざる実情だ。それは仕事を辞めるまで続いていくだろう。先輩の言葉の重みがやっと分かるようになってきた。
過去の自分にとって「リーダー」とは、能力的にも人格的にも申し分の無い尊敬に値する人物であった。だが、自分が今、リーダーという立場に立って考えて見ると、とても自分をそんな風には捉えられないし、周りの人間が自分にそんな完璧さを求めているのでは、と考えるとすれば結構気が重くなる。それでも、改めてリーダーと呼ばれる立場に立って気付いたことは:
皆の力を借りて自分一人では成しえない仕事ができることに、喜びと感謝を感じることができることが、リーダーにとって最も価値あることである
ということだった。リーダーという立場に立つと、自分一人では如何ともし難い課題ばかりが降りかかってくる。だが、皆と一緒に同じ課題に取り組んでいるときは、「何とかなるだろう」と妙に安心でき、チームが窮地に立った際でもメンバーが不平を言わずに前向きに仕事に取り組んでくれるときは、正直とても有難い。困難に直面した時でも飄々と仕事をしているメンバーの元気な姿をみると、自分もめげている場合ではないと励まされる。皆を引っ張っていくというよりもむしろ、皆に背中を押されている、というのが正直なところだろう。
思うに、リーダーシップというのは、限られた人に恵まれた「資質」なのではなく、誰にでも訪れる「機会」である。だとすると、リーダーという「立場」に求められるのは以下の姿勢ではないだろうか。
個々人の限界を超えたゴールをチームが一体となって目指していく「チャレンジ精神」
自分の限界を超えた場面で自己の未熟を認め、素直に周囲の意見を聞き、学ぼうとする「勇気」
苦しいときに、誰よりも一歩だけ前に踏み出す「思い切り」、もしくはちょっとした「無謀さ」
チームとして成果を生み出せたことを皆に感謝する「謙虚さ」
メンバーの「元気」を自分の中に取り込んで自分とチームをドライブできる「一体感」
昨年のワールドカップを制した日本女子サッカーの澤選手が、「苦しくなったら私の背中を見て」とチームメートに告げたそうである。苦しいときに頼れるリーダーがいたからこそ、チームメートもあれだけ頑張れたのだろうが、「苦しいときこそ皆がわたしの背中を押してくれる」とチームメートを信じて前に進んでいけたからこそ、あれほどの大逆転劇を演じることができたに違いない。リーダーは常に前を見据えていかなければならないのだとすると、背中を通じて周囲の元気をもらい、それを新たな元気に変えて前に進んでいくこと、それこそがリーダーに必要なのである。
参加者が一瞬顔を見合わせた後、一人が発言した。「・・・自分の周りには見当りません」そこで面接官から次の質問。「それでも、誰かをリーダーに選ばないといけないと思うのですが、そんなときはどうするのですか?」
その後、面接時間も終了した後で先輩は自分にこう言った。「相応しい人がいなくても、誰かがリーダーを務めないとチームは機能しない。そんな時に自分がリーダーになったらどうチームをまとめていくべきなのか、それが自分の中で最も切実な課題なのだ」そのときの先輩の表情が妙に記憶に残っている。
それから20年近くが過ぎ、いつのまにか自分も名前だけは「リーダー」という立場になった。だが、自分が「相応しいリーダー」か、と聞かれれば、とても「そうです」とは答えられない。だからといって、「明日からリーダー辞めます」とも言えない。できないながらも自分なりの解決策を模索しながら悪戦苦闘、というのが偽らざる実情だ。それは仕事を辞めるまで続いていくだろう。先輩の言葉の重みがやっと分かるようになってきた。
過去の自分にとって「リーダー」とは、能力的にも人格的にも申し分の無い尊敬に値する人物であった。だが、自分が今、リーダーという立場に立って考えて見ると、とても自分をそんな風には捉えられないし、周りの人間が自分にそんな完璧さを求めているのでは、と考えるとすれば結構気が重くなる。それでも、改めてリーダーと呼ばれる立場に立って気付いたことは:
皆の力を借りて自分一人では成しえない仕事ができることに、喜びと感謝を感じることができることが、リーダーにとって最も価値あることである
ということだった。リーダーという立場に立つと、自分一人では如何ともし難い課題ばかりが降りかかってくる。だが、皆と一緒に同じ課題に取り組んでいるときは、「何とかなるだろう」と妙に安心でき、チームが窮地に立った際でもメンバーが不平を言わずに前向きに仕事に取り組んでくれるときは、正直とても有難い。困難に直面した時でも飄々と仕事をしているメンバーの元気な姿をみると、自分もめげている場合ではないと励まされる。皆を引っ張っていくというよりもむしろ、皆に背中を押されている、というのが正直なところだろう。
思うに、リーダーシップというのは、限られた人に恵まれた「資質」なのではなく、誰にでも訪れる「機会」である。だとすると、リーダーという「立場」に求められるのは以下の姿勢ではないだろうか。
個々人の限界を超えたゴールをチームが一体となって目指していく「チャレンジ精神」
自分の限界を超えた場面で自己の未熟を認め、素直に周囲の意見を聞き、学ぼうとする「勇気」
苦しいときに、誰よりも一歩だけ前に踏み出す「思い切り」、もしくはちょっとした「無謀さ」
チームとして成果を生み出せたことを皆に感謝する「謙虚さ」
メンバーの「元気」を自分の中に取り込んで自分とチームをドライブできる「一体感」
昨年のワールドカップを制した日本女子サッカーの澤選手が、「苦しくなったら私の背中を見て」とチームメートに告げたそうである。苦しいときに頼れるリーダーがいたからこそ、チームメートもあれだけ頑張れたのだろうが、「苦しいときこそ皆がわたしの背中を押してくれる」とチームメートを信じて前に進んでいけたからこそ、あれほどの大逆転劇を演じることができたに違いない。リーダーは常に前を見据えていかなければならないのだとすると、背中を通じて周囲の元気をもらい、それを新たな元気に変えて前に進んでいくこと、それこそがリーダーに必要なのである。
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