ダイバーシティというテーマのもと、外国人・女性・高齢者・障がい者の人材活用を目標に掲げる企業は多い。では、それらの人々を採用し、育成・配置し、昇進させ、ワークライフバランスを尊重すればダイバーシティを実現したと言えるだろうか。

 また、個人の多様性を尊重し、「強み」を活かすことで組織のパフォーマンスを高める、というのもダイバーシティの議論においてよく聞く話である。しかしダイバーシティの推進において、組織・個人の「弱み」が議論されることがどれだけあるだろうか。私はそこで弱みが認識・共有されてこそ、本当に活用すべき人材が明確になり、ダイバーシティが活きてくると考える。
これらは、約一年間のイギリスビジネススクールでの生活を通じて感じたことである。 外国人・女性と過ごすことが日常的な環境で、私自身が"外国人"女性として経験した「活きたダイバーシティ」について述べてみたい。

 大学院の"学生"達は、30を超える異なる国・文化から、異なる学歴・職歴を持つ、年齢も様々な人間である。そのため知識・能力・経験の違いは大きい。また、授業はグループでのディスカッションやプレゼンテーションが主であるため、日常的にチームのダイナミクスがあり、学生は多様な人間と向き合うことになる。日本と同じようにやればよいのではと私も高を括っていたが、簡単にはいかなかったのが現実だ。

 言語ひとつをとっても、当初は自分の考えを筋道立てて英語でタイムリーに表現することが非常に難しかった。多様なアクセントをもつ英語で表現される相手の話も理解する必要がある。各人の意見が次々と飛び交い、発言者には説明が求められ、グループでそれらの議論をまとめて、各自でプレゼンテーションの準備をする。プレゼンテーションもディスカッションをした直後に、というケースもよくあり、練習する時間もなしに、討議の結果を発表せねばならない。明らかに私にとってすぐには「できない」状況であり、追い込まれた。他の日本人クラスメートも同様だったようだ。

 だが、その「弱み」は黙っていても周囲には理解されなかった。英語を母国語あるいは公用語とする人々にとっては、それは問題でもなんでもなく、私が何を悩んでいたのかすら理解されていなかったと思われる。ディスカッションは、あくまでもビジネスについて考える時間であり、語学力のハンデを考慮して1人1人が意見を共有するまで待とうという発想は当然ない。また、もともと多様な留学生の集団であるからして、留学生であることや英語が第2言語であることは、「弱み」としては認識されていないのである。しかし、生まれてからの大半を日本で過ごしてきた日本人の英語力と、英語を母国語あるいは公用語とする人達とのそれの間には、歴然とした差があった。

 さらに、特定の専門性を要する課題も多く、そこでも「弱み」は明らかなった。例えば、財務会計やマーケティング等、その道で何年も知見・経験を積んできた人間と同じレベルの話しをせよと、人事の人間に言われても難しい。だが、これも伝えないと理解されない。各人が自身の経験を中心にして考えることも稀ではないのだ。

 いくつかの場面で困窮した私は、自身の「できない」状態を伝えることにした。何ができないのか、できない理由は何なのか。また、「弱み」だけではなく、自身のできること、チームに貢献できることも一緒に伝えた。そうすることで、周囲からのサポートを得られるようになった。チーム全体として、各人の役割を調整したり、できないことをできるように教え合ったりする関係ができていった。

 しかしながら、できないことをできないということは容易ではない。自分の弱みを露呈することにはどこか後ろ向きなイメージが伴うし、プライドもある。けれども、問題を解決するためには、できる人を探し、自分は1人ではできないことを"主張"し、巻き込んでいかねばならない。そうしないことには、周囲の人間からはできるだろうと誤解され、結果として期待値を外れるパフォーマンスが出るだけなのだ。 

 一見「負」のように見える行動が、結果的にチームのパフォーマンスを上げることに繋がった。容易に埋めることのできない知識・能力・経験の差をどのようにして補うのかということに対し、「弱み」を認め、伝えることの強さを実感した。以前は「弱み」を克服するように努力をすることがあるべき姿と考えていたが、努力だけでは埋められない現実があり、また、弱みの克服に注力するあまり本来集中すべきことを見過ごすリスクもあった。

 弱みを的確に把握するからこそ、強みや強みとなりうる部分が見えてくる。ダイバーシティの文脈の中で、組織が個人の弱みを的確に認識すること、また、そのために各個人が弱みを共有できるような環境を整えること、そして何より各人が自己の弱みを認識し周囲の人間・組織へ開示するという意思や行動が重要ではなかろうか。多様な人材を抱えることで補い合える部分が広くなるが、それは弱みが明確に把握・共有されてこそ意味を持つ。

 人にはそれぞれ得手不得手がある。何かを創造しパフォーマンスを高めるために、「強み」へフォーカスすることは1つのアプローチとなるだろう。「弱み」を「強み」に変えていくことも、また1つのアプローチである。しかし、今の日本企業における「強み」と「弱み」を考えた場合、従来の国内での「強み」は、常に変化するグローバル環境において「強み」とならないケースもある。その意味でも「弱み」に目を向けてみることには一考の価値があろう。

 ダイバーシティを推進する目的は何なのか。「弱み」を認識し開示することによって、女性・高齢者・外国人・障がい者の人材活用という常識的視点を超えた、組織における全社最適のあるべき姿や、本質的に補強すべきことが見えてくるかもしれない。
  • 1

この記事にリアクションをお願いします!