はじめに
誰もが知るある大企業で、女性で初めて管理職に登用された方にインタビューをしたときに、聞いた話です。「初めての女性管理職で、みんな興味深く見るわけですね。ですから、“冗談じゃないわ、私、できるのよ”という感じでビシバシやっていたんです。最初は部署の方々にいろいろ教えてもらうのですが、最後には自分のロジックでこてんぱんにやっつけちゃうわけですね。“私が偉いのよ、私はわかってるのよ”と。
ある時、私のメンターだった外国人のボスに言われたんです。「あなたは一生懸命頑張っているから、人の2割か3割増しはできるかもしれない。でも、どんなに頑張っても3倍、4倍はできない。部下となら10倍、20倍にできるのだから、そのことを考えなさい」と。でもその時は、“そんなこと言ったって、私がやらなきゃ”と思っていたわけですよ。
そういう時に、その部署に前からいた担当者の方に言われたんです。「もっと、部下を好きになってください」と。この言葉には胸を突かれました。本当に申し訳ないと思いましたね。」
我々社会人に対する期待は、時とともに変わります。大卒で入社したばかりのころには、与えられた仕事で成果を出すことが期待されるでしょう。その後、マネジャーになれば、会社からの期待も変わります。部下を使ってより大きな仕事をすることを求められるようになります。それなのに、この方はそのようなモードになかなか切り替えることができなかったのです。「仕方がないんだ」と、自分自身を言い聞かせてしまっていたのです。
客観的に見れば、この方のやり方が間違っていることがすぐに分かります。では、みなさんご自身についてはどうでしょうか。確実に言えることは、間違いがない人など一人もいないということです。しかし、自分のこととなるとなかなか気づけません。それは、思い込んでいるからです。さらに厄介なことは、以前はそのやり方で上手くいっていたということです。
正しいと思い込んでいた間違ったやり方を、どうすれば変えることができるのでしょうか。そこには2つのハードルがあります。1つ目のハードルは、既に述べたように、自分の間違いに気づけるかどうかです。そして、たとえ気づけたとしても行動を変えられるかどうかは別の問題です。頭では理解しても、行動に移せないことはたくさんあります。これが2つ目のハードルです。「自分の間違いに気づき、行動を変える」―このシンプルな課題を遂行する方法を説明します。
第1部では、自分の間違いに気づく方法を、第2部では行動を変える方法を、様々な調査データや研究結果を用いながら解説します。
第1部 自分の間違いに気づくために
1. 自分の間違いに気づかせてくれるきっかけ
「自分はもしかしたら間違えているのではないだろうか。」そう思うには、何かのきっかけが必要です。先程の女性管理職の例でも、メンターからのアドバイスや部下の言葉というきっかけがありました。それでは、どのようなきっかけが有効なのでしょうか。調査をした結果(注1)、以下の3つの特徴が浮かび上がりました。気づきを促すきっかけの3要素
●失敗:想定した業務成果や、従来の業務成果が出ないとき
●他者:他者から意見をもらったり、他者と議論したとき
●事実:自分に関する客観的な事実を目の当たりにしたとき
こうしたきっかけに出くわしたときに、我々は、自分自身のことをじっくり考えなければと思わせられるのです。3つのうちどれか1つでも効果がありますが、3つ揃えばさらに効果的です。そうした事例を紹介します。
1-1. 米長邦雄名人のスランプからの脱却
元日本将棋連盟会長であり、50歳という最年長で名人を獲得した米長邦雄氏の話です。
この方は40歳代半ばにスランプに陥り、20歳代の若い棋士に勝てなくなってしまったそうです。そこである若手棋士に尋ねると、こう言われました。「先生は、この局面・形になったら絶対逃がさない得意技を持っています。こちらも、先生の十八番は全部調べて対策を立てているのです。だから以前には通用しても、もう今は通用しません。それを先生はご存知ないから、こちらはやりやすいのです。」そこで米長名人はどうすればよいのかを尋ねたところ、自分の得意技を捨てるよう言われたそうです。そのアドバイスを聞いた米長名人は、なんと二十歳を過ぎたばかりの若手に弟子入りし、最終的に王将に返り咲くことができたそうです(注2)。
この事例には、3つの要素が入っています。スランプになってなかなか勝てないという「失敗」に悩んでいたときに、若い棋士(他者)からのアドバイスをもらう機会を得て、自分の将棋の指し方の特徴と問題点を、具体的かつ客観的に(事実)知ることができたのです。
自分の間違いに気づくには、こうしたきっかけを意図的に呼び寄せる必要があります。「他者」について言えば、苦言を呈してくれるようなメンターを見つけることがよいでしょう。当たり障りのないことしか言ってくれない人は、適任ではありません。「事実」については、自分の行動やパーソナリティーを測定するアセスメントツールを使うのもよいでしょう。憶測であっては、自分に対する言い訳がいくらでもできてしまいます。そして、できれば「失敗」はしたくないものです。代わりに、難しいことにチャレンジすることがよいでしょう。その際には場当たり的に取り組むのではなく、それまでの経験に立脚した成功シナリオを事前に描くことを勧めます。何が想定外だったのかを、後で検証できるからです。
もし、従業員に自己変革を促したいのであれば、こうした3つの要素が盛り込まれたきっかけを、会社として提供する必要があります。その事例を紹介します。
1-2. マイクロソフトの自己変革研修プログラム
WindowsやOfficeをパソコン向けにライセンス販売するというマイクロソフトの強固な収益基盤は、主要デバイスがスマートフォンに変わり、そしてクラウドサービスが普及するという環境変化の中で、崩壊の一途をたどり始めました。そうした中で同社では意識変革への取り組みが進められ、研修プログラムも知識習得型から、自己の変革課題に気づくための研修へと舵が切られました。
その一例が、The Leadership Experience(リーダーシップ経験ワークショップ)という3日間のコースです(図表1:上段)。各地域から30人ほどの経営幹部が集まり、すべて英語で実施されるこのコースは、アセスメントテストとビジネスシミュレーションゲーム、そしてコーチングの3つで構成されています。
ビジネスシミュレーションゲームでは、マイクロソフトに似た架空企業の舵取りを任され、与えられた環境条件のもとで数回の意思決定を下します。その意思決定結果は、P/L(損益計算書)やB/S(バランスシート)、あるいは人材開発や組織の健康状態に反映されます。またその議論状況は、アセスメントコーチによって観察されています。チームに分かれて経営成果を競争するので、どの参加者も前のめりになります。そのときに、意思決定の癖が出てしまうといいます(注3)。
経営幹部は、大きなプレッシャーの中で重要な意思決定を下さなければなりません。そのときに自分の癖が出てしまったら、正しい判断ができません。そのような癖を認識し、リスクを最小にするにはどうすればよいかを考えることが、この研修の大きな目的です。そのためにゲーム終了後には、事前のアセスメントテストの結果とビジネスシミュレーションゲームでの観察結果(事実)を踏まえて、アセスメントコーチ(他者)の支援を受けて、自分の意思決定上の問題点(失敗)を振り返ることがなされます。