20世紀の後半に世界は変わった。コンピュータが誕生し、社会に浸透した。当時は情報化と言った。そして1990年代後半にはコンピュータはインターネットで結ばれ、ITという言葉が生まれた。この社会革命を支えた代表的な企業は、メインフレームで世界を席巻したIBM、世界一のデータベースを持つオラクル、そしてMacに加えiPhoneとiPadで情報端末を革新したアップルと言っても異論はないだろう。
この3社をすべて経験した人物がいる。山元賢治氏だ。IBMで12年間、オラクルで6年間、アップルコンピュータのトップを5年間務めた。そして50歳を機に企業での猛烈なキャリア人生を卒業し、現在は平成の坂本龍馬を育成するために「山元塾」で若者を指導している。そんな山元氏に日本のグローバルと、人材育成について聞いた。

1980年代の日本IBMに入社した理由

――1983年に神戸大学工学部システム工学科を卒業し、日本IBMに入社されています。当時は外資系企業に就職する人は極めて少数派だったと思います。なぜ外資を志望されたのですか? また当時の日本と世界の関係はどういうものだったのでしょうか?

第16回 IBM、オラクル、アップルというキャリアを持つ山元賢治氏に聞く
外資という理由でIBMを選んだのではない。わたしは世界から尊敬され、真似される会社で働きたいと考えた。それがIBMだった。そこでIBMに入社できそうな大学、学科を探した。当時は学科名にカタカナを使っている大学はほとんどなく、唯一の例外が神戸大学のシステム工学科だった。
そうしてIBMに入社した。当時のIBMはすばらしい会社で、わたしはビジネススキルのほとんどをIBMで学んだ。そして日本の自動車産業、電機産業を世界一にするお手伝いをしてきた。

IBMから1980年代の日本を見ていると、半導体などは東北大学が開発した技術を企業連合が実用化する産学一体の強みが目立った。また当時の「グローバル」とは、世界から優れたものを日本に持ってくることで、現在のアジア市場への進出や生産拠点の現地化とは違っていた。

日米欧三極のひとつと位置づけられていた日本市場

――IBMから見て日本市場はどのような位置づけだったのですか?

当時のソフトウェア産業で日本が占める売上比率は2割以上だった。ハードウェアは1割程度。ただしハードウェアは1割と言っても額が大きい。IBMは日本市場を重視し、大和研究所を設立し、製造拠点も日本に置いた。日本の商習慣には手形など独自の制度があるが、そういう日本仕様も開発した。米欧とともに日本をgrowing entity(成長する存在)として位置づけていたわけだ。

また欧米企業は1980年代まで日本企業の良さを学んだ。日本にはデミング賞があり、製造現場のQC運動によって高いクオリティの製品を製造していた。クオリティは世界一だったと思う。そういう長所に影響された。
ただ直近の日本は、最早そういう位置づけではなくなっている。依然として有力ではあるが、アジアの中の1つの国という見方になっている。

変化が起こってからドライブを切ろうとしても遅い

――グローバル化についてお聞きします。日本では、「グローバル」という言葉の使用頻度が急速に高まり、グローバル対応が急務とされています。

第16回 IBM、オラクル、アップルというキャリアを持つ山元賢治氏に聞く
変化が起こってから、ドライブを切ろうとしても遅い。この30年間に大きな変化が起きた。かつてIBMのメインフレーム機は4年に一度の間隔で新機種を出し、1台が10億円もした。しかしそんなビジネスが通用しなくなったので、IBMは1980年代末にシステムとサービスにドライブを切った。
ただパソコン用のOS2では失敗した。出すのが早すぎたのだ。早すぎると失敗する。そうかと言って、遅れると2番手、3番手になってしまう。
いずれにしてもIBMは変わった。クリントン大統領とゴア副大統領が登場する以前に産業の転機があった。日本企業も勝ち続けていたこの時期にドライブを切るべきだった。

現在のモノづくりにはパラダイムシフトが起きている。アップルのビジネスモデルは垂直統合だが、その一方でファブレスだ。このような変化にいまから対応するのは容易ではない。
また日米では開発の方針が異なっている。アメリカ企業は最初から最小公倍数の機能を持つグローバル仕様で開発する。どこかの国だけに必要なものはいらない。韓国のサムソンもアメリカ企業と同じだ。日本企業はいろんな機能を付加したがり、結果的にガラパゴス化してしまう。

いつまでも結論言わない日本、結論から話すアメリカ

――日本企業のグローバル化に必要なものは、英語力でしょうか?

グローバルに活躍するために、英語が必要なことは当たり前のことだ。しかし英語力以外に日本人に欠けているものがある。アメリカのビジネスでは結論から話し、スピードを重視する。名刺にManagerと記されている者は、意思決定するのが仕事であり、いつでもクビになる覚悟を持っている。
日本企業は逆だ。いつまでも結論を言わない。持ち帰って検討する。だれも決断せず、責任を負わない。そして集団で行動する。日本企業のトップがぞろぞろと部下を引き連れて、顧客企業やパートナー企業に行くことがあるが、本来であれば一人で行き、タフに交渉する能力が必要だ。トップが自社の製品やビジネスの内容をもっと把握すべきだ。

音から入る英語が必要

――日本語はもともと主語のない言語です。「I」で話す英語と発想が違うのかもしれません。

第16回 IBM、オラクル、アップルというキャリアを持つ山元賢治氏に聞く
言語の違いはあるかもしれない。心理的なこともあるが、そもそも音が違う。世界の言語で使われる子音の数は107だそうだ。そして日本語の子音は20、英語の子音は25。日本語は子音の後には必ず母音が続くが、英語では子音が2つ、3つと連なることがある。これが、日本人にとってハードルが高くなる原因の一つである。日本人の英語は文字や文法から入ることが多いが、音から入る英語でないと役に立たない。

世界で通用する英語力を身に付けるには、幼い時から英語の音に親しむ教育が必要だ。識者の中には、日本語能力が未熟な時期から英語を教えることに反対する人がいることは承知している。しかし最近の研究では、優れた英語と日本語を身に付けたバイリンガルの国語力はむしろ非常に高いそうだ。言語脳が発達するからだろう。また雑音の中から音を聞き分ける能力も高い。わたしは湘南インターナショナルスクールで話すことがあるが、生徒たちを見ていると、早期から音から入る英語教育がいかに大切であるかを思い知らされる。

3000人以上を面接・採用してきた視点から見る若者

――お話を伺っていると、日本のグローバル化は難しく聞こえます。

そうではない。若者に期待している。わたしは中途、新卒を併せて3000人以上を面接し、採用してきた。「最近の若者は~」と学力やコミュニケーション能力の低下を嘆く人がいるが、わたしは間違いだと思う。
トップレベルの若者の質は落ちていない。その下のミドル層の若者の中には、アクセルを踏んでいない人もいるが、指導によって高めることができる。こういう若者を活用し、若い時から活躍できるようにするべきだし、給与を上げる施策も重要だと思う。
シニア層にも元気になってもらいたい。わたしは来年から小学生に音から入る英語を教え、老人にはiPadで英語を教える準備をしている。

主語を全部「I」で話す

――企業人の育成については取り組まれますか?

第16回 IBM、オラクル、アップルというキャリアを持つ山元賢治氏に聞く
職位階層を若手、中堅、管理職、幹部、トップと5ブロックに分け、それぞれ25のルールを教える研修プログラムを作っている。計125のルールはすべて山元オリジナルだ。たとえば「主語を全部Iで話せ」というルールだ。Iというのは英語で話せという意味ではなく、「私」を主語にして話せということ。主語にIを使うと、主張がはっきりする。
「孤独になる覚悟をしろ」はトップにはとりわけ必要なルールだ。100通のメールが届けば90通はいやな内容だ。管理職には「人から批判を受ける覚悟をしろ」というルールがある。他人からねたまれることが多いからだ。

もうひとつ取り組むのは、若者と近距離で接する「山元塾」だ。これまでは講演やセミナーで話してきたが、距離が遠く、回数が少ない。
すでにわたしは50歳を過ぎている。その一方で日本を見るとかなり痛んでいる。勢いを取り戻すには50年、100年の時間がかかるかもしれない。そこでこれからの日本を支える坂本龍馬を一人でも二人でも育てたい。わたしに残された時間を考えると、今が着手すべき時期だ。その第1段が7月7日に行った山元塾Women's Leadership研修だ。これから女性人材の育成にも力を注いでいく。
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