インターネットの誕生が多くのベンチャー企業を生み出した。アメリカ発ではGoogleやfacebookがネット企業の代表格だ。日本発では楽天やサイバーエージェントが有名だ。
サイバーエージェントの創業は1998年。インターネット上での広告代理事業を柱にして成長し、現在は「Ameba関連事業」「インターネットメディア事業」「インターネット広告代理事業」「投資育成事業」の4つの事業分野を抱えるインターネット総合サービス企業である。
しかし、2000年の上場から04年までは赤字経営が続いており、退職率も3割に達していたという。そんな状況から大胆な人事施策を実行し、変革を遂げてきた。どんな人事施策だったのか。
サイバーエージェントの創業は1998年。インターネット上での広告代理事業を柱にして成長し、現在は「Ameba関連事業」「インターネットメディア事業」「インターネット広告代理事業」「投資育成事業」の4つの事業分野を抱えるインターネット総合サービス企業である。
しかし、2000年の上場から04年までは赤字経営が続いており、退職率も3割に達していたという。そんな状況から大胆な人事施策を実行し、変革を遂げてきた。どんな人事施策だったのか。
――人事本部長に就任前のサイバーエージェントはどんな会社でしたか。
私は98年に大学卒業後に百貨店に入社し、翌99年4月にサイバーエージェントに転職し、営業を担当した。この1年後の2000年にマザーズ上場したが、その後04年9月期までは赤字だった。この頃の退職率は高く、01年29%、02年33%、03年27%と3年連続で3割前後の退職率が続いていた。この状況を何とかしようという問題意識から、03年に役員合宿が行われ、そして2つのことが決まった。1つは人事の強化だ。強化策としていろんな施策が実行された。「ジギョつく」という新規事業プランコンテストを始めた。「ジギョつく」は「事業をつくろう」という意味だ。社員交流を促進するための交流支援として、1人月額5000円の手当も出した。
もう1つがサイバーエージェントの企業ビジョンを明確化することだ。ビジョンは組織の軸だ。こうして「21世紀を代表する会社を創る」というビジョンが制定された。
――「ジギョつく」は有名です。実際に「ジギョつく」から生まれた事業があると聞きますが、当初から応募が集まったのですか。
「ジギョつく」がスタートしたのは04年で、以来半年に1回の頻度で開催し、12年1月で16回になる。グランプリの受賞者には100万円の賞金を授与するとともに、実際に提案した新規事業に責任者として取り組んでもらう仕組みだ。現在は完全に定着している。昨年の第15回「ジギョつく」への応募人数は243名、応募総数は359案だったが、16回「ジギョつく」では464名、828案にもなった。しかし04年の第1回からしばらくは10案くらいしか集まっていなかった。
このコンテストを発案した社長の藤田(晋氏)も、私が2005年7月に人事本部長になった時には、「応募数が増えないならやめてしまおうか」と話していた。私自身も、営業部門統括をしていた時には、「仕事が忙しいから応募しない」と考えていた。
しかし人事本部長として主催する側に立ってみると、何か新しいことへの挑戦を社員に促すという点では非常に意義のある制度であり、何とか活性化させたいと考え直した。そのためには、とにかく応募件数を増やさなければならない。そこで取り組んだのが、“社内営業”だった。当時の人事部は6、7名だったが、みんなで社員1人ひとりの元を訪れ、「ジギョつくに応募しませんか」と声をかけて参加を促した。この声かけは、想像以上の効果があり、応募件数の増加につながった。
しかし声かけだけでは1回限りの応募だ。「次も出そう」と思わない。そこで「これは応募すればするほど自分のためになる」と感じてもらえる仕掛けを考え抜いた。例えば、勉強会を開いて、新規事業の立ち上げに伴う面白さを役員に講義してもらったり、過去にグランプリを獲得した社員に体験談を語ってもらったり。
そして審査は役員全員が担当して評価する。さらに「ジギョつく」が終わった後に、「なぜグランプリを獲得できなかったのか」を応募者全員に口頭でフィードバックする。「応募するたびにフィードバックされる内容が変わってくるので、そのプロセスを通じて自分の成長を実感する。このように学習と成長の機会を提供することで、徐々にリピーターが増えていった。
この種の制度は他社でもあるかもしれないが、その多くはかなり堅苦しい形式の応募書類の提出を求められ、フラッシュアイデアレベルでは応募しづらいものになっていると思う。弊社の応募形式は、1提案につきExcel1行分だ。こうした応募しやすさの工夫も非常に大事なことだ。
――曽山さんが考える人事の役割を教えてください。
私は05年に人事本部長になったが、それまでの人事は、機能人事、事務屋人事だった。私が目指したのは、「業績に貢献する人事」だ。人事が業績に貢献するために何をすればいいか。経営と現場をつなげばいい。経営の考えを「わかりやすく」現場に伝え、現場の声から「本質を見抜いて」経営に提言するコミュニケーション・エンジンが人事の役割だ。「ハードルは低く、競争は厳しく」も重要な組織原則だ。サイバーエージェントの給与制度に年功序列はない。しかし、終身雇用は標榜している。日本型終身雇用ではなく、「実力主義的終身雇用」。優秀人材に報いる給与制度となっている。しかし非優秀層を捨てることはない。会社と考え方と価値観が一緒なら、その社員が安心して働いてもらえるように守る。組織としての成果が出せなければ意味がない。それが実力主義的終身雇用だ。
――役員を定期的に交代させる制度もあると聞きました。
サイバーエージェントの役員は8名。08年から2年間の役員任期ごとに必ず2名ずつ交代させることを決めており、社内では「CA8」と呼んでいる。社外に説明する時に私は「内閣改造型役員交代制度」と言う。役員の降格人事ではなく、内閣の改造のような交代制度であることを理解してもらうためだ。実際にこれまで2回、4名の役員が交代している。この役員制度がスタートしたきっかけは、ある人事制度を社長の藤田に提言したことだ。当時の私はGEやP&Gの人事制度を研究しており、業績の悪いマネージャーの下から1割を降格する人事制度を導入しようとしていた。
この制度を藤田に話したところ、「いい提案かもしれないが、これじゃ現場は“白ける”でしょ」と彼は言い、そしてマネージャーの前に役員交代制度を始めようと決めた。 今年も9月に交代する役員が決まり、10月に発表される予定だ。CA8は社内で盛り上がるイベント。「曽山さん、今年大丈夫ですか?」と話しかける若手社員は多い。
――藤田社長の「白ける」という言葉は、一般企業の社員が人事制度に抱きがちな感情かもしれませんね。
そのとおり。藤田から「白ける」という言葉を聞いて、自分が「人事のワナ」にはまっていることに気づいた。いい内容でも運用で白けさせては無意味だ。それ以降、新しい人事制度を始める時は「白けのイメトレ」を何度もする。すべての人事制度は白けさせるのではなく、流行らせないと意味がない。――「あした会議」は役員間で競う事業企画のバトルだそうですね。
新しいビジネスモデルを作っていくメカニズムは2つある。1つは先ほど話した「ジギョつく」だ。現場がアイデアを出すが、経営経験がないので実際に事業化されるものはそれほど多くない。もうひとつが、新規事業案を役員間で対戦し、実施する事業を決める「あした会議」だ。06年に原型がスタートし、その後に年に1回くらいのペースで開催している。役員ごとに経営幹部数名とチームを組んで、コンテストの結果順位を公表する。社長の藤田は審査員になる。バトルには「CA8」で交代した旧役員も参加できる。役員はもちろん誰もが1位を目指すし、同時に「最下位にだけはなりたくない」という心理も働く。年齢も全員が30代なので真剣勝負だ。
1人の役員が4人くらいをチームに入れることができ、チームに入れるメンバーのドラフト会議をやる。その人選で戦力が決まるから一生懸命だ。チーム作りからバトルは始まっている。そして役員1人とチームに入った4人の計5人、10チームで2カ月くらいかけて打ち合わせを重ね、事業企画を練っていく。
前回の「あした会議」では30案が提案されて、20案が採用された。そして2カ月後には4つの会社ができており、すでに活動を開始しているというスピード感だ。こんなに速く事業を立ち上げられる理由は、「あした会議」の段階で予算計画、人員計画、経営計画がそろっているからだ。
――曽山さんは月に100名の社員と話していると聞きました。そんなに多くの人と話せるものですか
個別の面談を週に5名ほどと、毎週2回はランチや飲み会をセットしている。1回5名として週4回だから20名と面談の5名を加える25名と会える。4週で100名と会っている計算になる。サイバーエージェントの社員は約1200名だから、1年間で全社員に相当する数の声を聞くことができる。これは私だけが実行しているわけではなく、役員全員が社員と会っている。「困っていることはないか」「組織風土はどうか」を質問する。質問を通じて知りたいのは、現場の「白け」だ。人事は「白け」に敏感でなくてはならない。
――質問力は重要ですね。曽山さんはいつ頃から意識されましたか。
営業局長だった02年の時だ。当時の私は「何でできないの?」と詰問するタイプのマネージャーだった。ある時、人事からコーチングの研修に参加してみないかと声をかけられた。コーチングには興味があったので参加したところ、これが私の人生のスイッチになった。研修は、ロールプレイイングスタイルで進められた。参加者それぞれに役割が与えられる。いつもの私なら詰問するところだが、私は「なぜ」と質問する役割だった。そして「なぜ」を繰り返すうちに、相手が「なぜ」に応えて反応することに気づいた。これは大きな発見だった。自分が「動け」といっただけでは相手は動かないということを目の当たりにし、自分で決めないと人は動かないということを初めて学んだ。
研修から戻ってからは、マネジメントスタイルを完全に変えた。詰問や命令をせず質問するようにした。そうすると詰問していた時は反応がほとんどなかった部下が、きちんと反応し、話すようになった。会話に笑いが出るようになった。さらには、ずっと営業成績が芳しくなかった部下が売り上げでMVPを取った。詰問では人は動かない。質問の力は大きい。
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