10年ほど前に、関西のとあるコミュニティバスの取材をした際、交通経済学の教授にインタビューをしたことがあります。
関東のある地区でコミュニティバス計画が頓挫した事例について聞いたところ、その教授は堂々と「その件は、知りません」と答えられました。
業界内ではちょっと話題になった事例だったので、その教授が知らないということに驚いた記憶があります。
関東のある地区でコミュニティバス計画が頓挫した事例について聞いたところ、その教授は堂々と「その件は、知りません」と答えられました。
業界内ではちょっと話題になった事例だったので、その教授が知らないということに驚いた記憶があります。
知っていることは、包み隠さず、わかりやすく教えていただきましたが、他にも知らないことははっきりと「知らない」と分けておっしゃっていました。
自分で直接見聞きしたこと以外は、詳しくお話にならないその態度にプロ意識を垣間見た気がしました。
最近の新卒社員を見ていると、「わからない」とか「できない」ということが言えなくなってきている感じがします。
調査された数値とか、そういうものはありませんが、「できない」というと、自分が否定されたように感じるのか、あるいは、「できない」というと、採用されないと思ってきたのか、正直に言えないことがあるように思います。
現場で聞く事例としては、次のようなものがあります。
・同期同士で「ああでもない、こうでもない」と話し合っているので、先輩が聞くとすぐに答えの出るものだった。(そばにいるのに、先輩には聞かない)
・「できます」というのでやらせてみたら、出来上がりがあまりに稚拙。
叱ると「そこまで教えられていません」という。
意識調査で「できないことを『できません』とハッキリ言うようでは、職業人としての資格に欠ける」という設問では、下記のような結果になっています。
そう思う 25.1%
わからない 18.0%
そう思わない 56.9%
この設問、経年での変化は 「そう思わない」の回答が、52.7%~59.4%、「そう思う」の回答が23.8%~28.8%までの範囲で振れていますが、増減に一定の傾向は見えません。
他の設問との連動では、この設問に「そう思う」と答えた人は「企業では、百の知識より一つの成果の方が尊ばれるべきである」という設問で、「そう思う」という回答が増える傾向があります。
「できないことを『できません』とハッキリ言うようでは、職業人としての資格に欠ける」に対して、「そう思う」という人の傾向を少し考えて見ます。
ひとつは、見方を変えると、「イエスマン」の素地も持っていると考えられます。
ダメなものはダメ、やってはいけないことはやらない、できないものはできない、そういう意思を表明することができないということではないかと思います。
下手をすると、まわりに迎合してしまうだけの社員になってしまいそうです。
また、できないことをあえて、できるというのは、チャレンジブルな傾向も秘めているようにも感じます。
自分を向上させたい、成果を出したいという傾向です。
実際、この設問に「そう思う」回答する人は、
・「利益を出せない会社は、社会の発展に役立っているとはいえない」
・「企業活動における効率向上とは、最大の努力はで最大の成果をあげることである」
・「失敗しないことを常に心がけているようでは、社会の発展に貢献できない」
という設問でも「そう思う」と答える傾向が高いようです。
がんばって、なんとかしようという意識は強いようです。
しかし、「職業人としての資格」とは、成果に責任を持つことを含みますから、成果に自信がない時は、「できる」とは言ってほしくありません。
結果的に誰かに迷惑を掛けるくらいなら、「できません、教えてください」と素直に言ってほしいところです。
職業人は、「成果に対する意識」をキーにして、行動を変えていかなければなりません。
そうでないと、成果はどうでもよい単なるアマチュアになってしまいます。
与えられた環境で、何を成し遂げるのか、そこから考えて、どういう行動を取ればよいのか判断することが求められます。
「できないことを「できません」とハッキリ言う」ことが成果につながることを意識することが重要でしょう。
ただ、近年、「人を頼る」ということが苦手な若者が増えたように感じます。
ギリギリの状況まで、人に相談したり、頼んだりということをやらないのです。
どうにもならなくなって、初めて「まわりが気付く」のです。
根っこのところの「依頼心」は強いように思うのですが、自ら人を頼るということができない人が増えたのではないかと感じています。
表面的には、それは報連相のできない「コミュニケーションの欠如」として表れるのですが、根本には「他人からどう見られるかを気にする意識」が邪魔をしているように感じます。
自分に対する自信の欠如のようなものが背景にあり、「キャラ立ちできない」などと悩み、「できないやつ」や「空気を読めないやつ」などと思われるのを避けるために、本質的なコミュニケーションをしないようになるのではないかと私は考えています。
自分で直接見聞きしたこと以外は、詳しくお話にならないその態度にプロ意識を垣間見た気がしました。
最近の新卒社員を見ていると、「わからない」とか「できない」ということが言えなくなってきている感じがします。
調査された数値とか、そういうものはありませんが、「できない」というと、自分が否定されたように感じるのか、あるいは、「できない」というと、採用されないと思ってきたのか、正直に言えないことがあるように思います。
現場で聞く事例としては、次のようなものがあります。
・同期同士で「ああでもない、こうでもない」と話し合っているので、先輩が聞くとすぐに答えの出るものだった。(そばにいるのに、先輩には聞かない)
・「できます」というのでやらせてみたら、出来上がりがあまりに稚拙。
叱ると「そこまで教えられていません」という。
意識調査で「できないことを『できません』とハッキリ言うようでは、職業人としての資格に欠ける」という設問では、下記のような結果になっています。
そう思う 25.1%
わからない 18.0%
そう思わない 56.9%
この設問、経年での変化は 「そう思わない」の回答が、52.7%~59.4%、「そう思う」の回答が23.8%~28.8%までの範囲で振れていますが、増減に一定の傾向は見えません。
他の設問との連動では、この設問に「そう思う」と答えた人は「企業では、百の知識より一つの成果の方が尊ばれるべきである」という設問で、「そう思う」という回答が増える傾向があります。
「できないことを『できません』とハッキリ言うようでは、職業人としての資格に欠ける」に対して、「そう思う」という人の傾向を少し考えて見ます。
ひとつは、見方を変えると、「イエスマン」の素地も持っていると考えられます。
ダメなものはダメ、やってはいけないことはやらない、できないものはできない、そういう意思を表明することができないということではないかと思います。
下手をすると、まわりに迎合してしまうだけの社員になってしまいそうです。
また、できないことをあえて、できるというのは、チャレンジブルな傾向も秘めているようにも感じます。
自分を向上させたい、成果を出したいという傾向です。
実際、この設問に「そう思う」回答する人は、
・「利益を出せない会社は、社会の発展に役立っているとはいえない」
・「企業活動における効率向上とは、最大の努力はで最大の成果をあげることである」
・「失敗しないことを常に心がけているようでは、社会の発展に貢献できない」
という設問でも「そう思う」と答える傾向が高いようです。
がんばって、なんとかしようという意識は強いようです。
しかし、「職業人としての資格」とは、成果に責任を持つことを含みますから、成果に自信がない時は、「できる」とは言ってほしくありません。
結果的に誰かに迷惑を掛けるくらいなら、「できません、教えてください」と素直に言ってほしいところです。
職業人は、「成果に対する意識」をキーにして、行動を変えていかなければなりません。
そうでないと、成果はどうでもよい単なるアマチュアになってしまいます。
与えられた環境で、何を成し遂げるのか、そこから考えて、どういう行動を取ればよいのか判断することが求められます。
「できないことを「できません」とハッキリ言う」ことが成果につながることを意識することが重要でしょう。
ただ、近年、「人を頼る」ということが苦手な若者が増えたように感じます。
ギリギリの状況まで、人に相談したり、頼んだりということをやらないのです。
どうにもならなくなって、初めて「まわりが気付く」のです。
根っこのところの「依頼心」は強いように思うのですが、自ら人を頼るということができない人が増えたのではないかと感じています。
表面的には、それは報連相のできない「コミュニケーションの欠如」として表れるのですが、根本には「他人からどう見られるかを気にする意識」が邪魔をしているように感じます。
自分に対する自信の欠如のようなものが背景にあり、「キャラ立ちできない」などと悩み、「できないやつ」や「空気を読めないやつ」などと思われるのを避けるために、本質的なコミュニケーションをしないようになるのではないかと私は考えています。
- 1