大義を失わせたものの正体
この経緯において、義仲の中で何が芽生えていたのであろうか?世が世ならば、源氏の嫡流としてその天賦の才を存分に発揮できるはずの人生が、身内の画策により閉ざされた。己を磨き、源氏再興のためにその才を発揮するも、味方の妬み嫉みから、またもその道を阻まれてしまう。
彼の中に「人は生来、信じるに足りないもの(観)」「中途半端な力では(因)悪意ある妬みにより己の道を閉ざされてしまうことになる(果)」「圧倒的な力で押さえつけるしかない(心得モデル)」という行動理論が育っていたのではないか?
それにより、自らが大義を忘れ「力を得ること」「頼朝を討つこと」のみが目的となり、部下の信頼を裏切り、力劣る者となり、滅びの道を突き進んでしまったように思えてならない。
この行動理論が義仲の天賦の才の輝きを、味方を、進むべき道を失わせ、一つの時代、一つの可能性を終わらせてしまったのではないだろうか。
信の人「木曽義仲」
しかし優れた人は誤ったまま死を迎えはしないことを、彼はまた証明している。最期の瞬間に彼は、本来の「木曽義仲」に戻っている。巴御前を逃し、「死ぬときは共に」と誓った今井四郎兼平と進み、兼平の思いを受け止め死を迎える。兼平も「守るものすでにあらず」と自ら命を絶つ。最期まで木曽義仲の忠臣であった。
「力を求めるとすべてを失い、大義を追い求めるとあらゆるものが付き従う」
歴史は人が持つ行動理論によって創られている。
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