軍師 真の黒子に徹してこそ
「軍師とは技術者である。いや、すくなくとも技術者であるべきだ」という行動理論が、竹中半兵衛を軍師として支えたのではないだろうか。戦という状況において、戦場戦況を分析し、勝つための方策を立案し、実行部隊へ確実に伝え、己が導き出した計算式どおりの状況を生み出すことのみに、すべての力を注ぐ。この一点が軍師の役割であり、功をなし、手柄をたて、所領を配することは軍師にとっては不要なことである。
作戦通りにことをなし、賞賛されるべきは、実行者たる武将であり、だからこそ、軍師は、武将から敬われる。もしも、武功までも軍師が得たならば、人の嫉みを生み、軍は機能しなくなる。なぜならば、人は、「己が認められたい生き物である」からである。
この心の機微を知り尽くしていたからこそ、半兵衛は、「自軍の武将を見事なまでに動かし」、「神のごとく敵を制する」ことができたのであろう。
黒子に徹する行動理論が無ければ、軍師たり得ない。
「黒子に徹する」という言葉は、便利な言葉で、多少の企画力はあるものの実行力が乏しい場合、逃げ道としても使える。
表舞台に立たず、実行の責任を負わず、その企画を立案したことのみを手柄とし評価を得ようとする者もいるのが世の常である。
しかし、真に黒子に徹するということは、企画立案のみに終始するということではない。実行者に実行させるという影響力を発揮しなければならないのである。
では、どのような行動理論が、影響力のある黒子を作り出すのだろうか?
黒子は本来、表舞台に立てる実行力を持っていなければならない。なぜならば、実行者は黒子の持つその隠れた実行力を感じ取り、そこに共鳴し、優れた作戦を信じ、行動に移すからである。
つまり、軍師は、同時に優れた実行者で無ければならないのだ。
その点、半兵衛は見事な実行者でもあった。それを証明するのが、おそらく、半兵衛を語るもっとも有名なエピソードである、「稲葉山城乗っ取り」であろう。
半兵衛が仕える斎藤龍興はその女性的な容貌から半兵衛を侮っていた。龍興の度重なる仕打ちに対し、懲らしめるべく半兵衛は美濃北方城主・安藤守就と一計を案じて行動にうつす。稲葉山城に人質として送っていた弟の久作に病と偽らせ、屈強の士数名を看病のためと称して城中へ送り込ませたうえで、自身は見舞いという名目で、十人ばかりを引き連れて城へ向かう。
城内で集結した半兵衛らは武具に身を固め、大広間に詰めていた斎藤飛騨守を斬り伏せ、異変に駆けつけた数人の家士をも斬り捨てると合図の鐘をつく。山麓に待機していた安藤守就ら二千が間髪入れず一斉に城内へとなだれ込み、龍興はなすすべ無く城から逃げ落ちることとなった。
稲葉山城はわずか十数名の「クーデター」によって占領されたのである。
織田信長が「稲葉山城を明け渡すならば美濃半国を与えよう」と持ちかけるが、半兵衛はこれを拒絶したのみならず、のちに城を龍興に返す。
半兵衛は、作戦立案のみならず作戦実行者としての力と覚悟も併せ持っているのである
軍師を支える行動理論
「軍師は技術者である(観)。技術者たるもの成果を生み出すことのみに専念することで(因)使命を果たすことが出来る(果)。軍事技術者に徹せよ(心得モデル)」「軍師は黒子である(観)。黒子は実行者が動き結果を出して始めて(因)役を成す(果)。実行させよ(心得モデル)・己の評価を求めるな(心得モデル)」
これこそが、半兵衛を軍師たらしめている行動理論ではないだろうか。
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