想像力の外にあることへのチャレンジ
ダイバシティマネジメントの必要性が喧伝されて、すでに久しい。国内の製品・サービスの輸出ではなく、現地に合った製品・サービスの地産地消を進めるために現地の優秀な人材の確保が重要である。国内ではアベノミクスが気炎を上げており、女性管理職登用比率を2020年までに30%まで高めると言っている。他にも、高齢者、若年者などなど、国内外の多様な人材を適材適所に活用していくことが必要だと言われ続けて、既に久しい。
ダイバシティマネジメントとは多様性の受容のことであり、異なる経験・価値観に根差した人材を組織の人材調達・活用戦略の中に取り入れていくことである。そういう意味では、性別や国籍が違わなくても、例えばまったく異業種からの転職者を迎え入れることなども、企業のこれまでの人材調達戦略によっては、十分にダイバシティに向けたチャレンジだと言える(前職で、元Jリーガーというコンサルタントの方と一緒に仕事をしたことを思い出す)。
ダイバシティマネジメントを推進することが難しい理由の一つに、"想像力の限界の外"にあることを意思決定していくことの難しさがあると、最近よく思う。
C.クリステンセンは、「イノベーションのジレンマ」の中で、既存マーケットの魅力と主要顧客のニーズを念頭において合理的な投資判断を繰り返す優良企業は、市場に登場したばかりの魅力に乏しい破壊的技術への投資を"合理的に"選択しにくいと指摘する。それと同じことで、現在成功している事業の次期成長戦略・計画はこれまでの勝ちパターンを踏襲していることが合理的であり、そこに投下される人材リソースは、これまでの事業を推進してきた人材と同質のものがいいという結論にどうしてもなりやすくなってしまうのではないか(とくに事業が好調に拡大している企業ほどそうだろう)。
ダイバシティマネジメントを推し進める意義の一つに、多様な価値観を事業に取り入れることで、事業機会の発見力や、経営リスク感知力が高まるということが指摘される。では、発見される事業機会や担保されるリスクが具体的に何かとなると、たちまち回答が難しくなる。なぜなら、今の企業の想像力の限界を取り払うことを期待してダイバシティマネジメントを推し進める以上、その先にある果実(成果)を現時点で具体的に想像することにはやはり一定の限界があるからだ(それが具体的に想像できて、どういうスペックの人材が必要かということまで話が進んでいれば、それは通常の事業計画の中に既に盛り込まれ、実行されている可能性が高い)。
ダイバシティマネジメントの総論に反対する声は今や少数派だろう。しかし、それが各論に落ち、具体的なHowの議論になると、既存の枠組み・プロセス・ルールの中で進めることがとたんに難しくなる印象を受ける。その一因に、"想像力の限界"に対しては、そもそも想像力が及びにくいというジレンマを打破していくことの難しさが一因としてあるのではないか、というのが私見である。
少子高齢化を迎える日本社会において、日本企業がダイバシティマネジメントを推し進める必要があることは間違いないだろう。一企業の問題としてだけではなく、社会全体がこのテーマにどのように取り組んでいくのか、非常に関心が高い。
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