博士が整理した考えは、組織に対する含意として、以下のような組織的要件へと展開することができるのではないだろうか。
1.人材の知識の質と量を増やすことに、継続して投資をする。専門外の領域も奨励する
2.生きた知識を消化した人々の柔軟で緻密なネットワークを形作る
3.様々な「思考の素材」を自由に組み合わせる場を作る
4.「やってみなければ分からない」領域へのチャレンジにできる限り寛容になる
5.ひらめきやアイデアを論理的に分析し、フィードバックする体制を作る
ことである。
(1)については、どの会社でも取り組んでいることである。但し、ここで言う知識とは、"生きた知識"であることがポイントになるであろう。軍事思想家マハンの言葉を借りれば、「たくさんの書物を読み、そこから得た知識を分解し、自分で編集しなおして自分自身の原理原則を打ち立てること。自分で立てた原理原則のみが応用の利くものである。」というレベルの知識であるということだ。ある人材が得た知識が、単なる知識なのか、"生きた知識"なのかを峻別することが大事になると考えられる。
(2)については、"生きた知識"を持つ者の間でのネットワークを作ることがポイントになるであろう。先に示した"生きた知識"は、明文化が難しいものがほとんどであることを考えると、あくまでも人と人の繋がりに着目したネットワーク作りが重要となる。また、組織において、"生きた知識"を持つ人材は多くなく、かつ、そうした人の大半がマネジメント層に昇格することを考えた時、組織間に壁がある状況や"生きた知識"を持つ人材がマネジメントオペレーションに追われ、生きた知識を活用できないような状況は、そのまま、創造性を阻害する要因となると考えられる。
(3)にある、様々な「思考の素材」を自由に組み合わせる場を作ることは、基本的にはオフィス環境がポイントになるであろう。仮に、創造性の発揮が求められている組織において、オフィスが別拠点に分かれているような場合には、それだけ、創造性が生み出されるチャンスが失われていると考えられる。
(4)については、「やってみなはれ」という組織文化的な側面が大きい。組織的には、「水路付け」(Canalization)された意思決定の頻発回避に注意を払うことが有効であると考えられる。それを具体化するには、創造性の芽に対する最初の意思決定ポイントとなる中間管理職層への、継続的な訓練と意識付けが有効となるであろう。もちろん、その階層の年齢層の若さも良い影響をもたらすとも考えられる。逆に、中間意思決定層が専制的に振舞い、部下が唯々諾々とそれに従う組織文化を持っている場合、「水路付け」の罠に陥る確率が高まるとも考えられる。そうした状況に組織が陥っていないか、モニタリングと継続的な改善指導も有効となるであろう。
(5)については、"創造的思考が現実の力を持つために必要とされる"論理的な検証をする組織と創造を行う組織との有機的な連携を生み出すことが有効になるであろう。そもそも、過去の知識が生かせない領域は、大小はあれど、全て未知の領域となるわけであり、検証結果そのものの精度にも限界が生じる。検証結果に対する"解釈"や、検証"手法"そのものにおける創意工夫も不断に求められる。一般に、検証を行うチームと創造を生み出すチームとの間に対立関係は生じやすいが、組織としては、その間の溝をなくし、お互いに糊代を出し合う関係となるようにマネジメントしていくことが有効であると考えられる。
と、ここまでが、「頭の体操」復刻版を、子供の教育のためと思い30年ぶりに手に取ってみて改めて考えてみたことである。改めて、その序文を読み、その哲学の深さに触れたとき、この書籍が日本にもたらした経済効果とはいかほどのものだったのだろうかと思うことがあった。
私ども人事コンサルタントにとって、「組織における創造性を実現・具備するための要件とは何か?」は、永遠の問いの一つである。 私自身、脳動脈硬化症に陥ることなく、常にこの問いへの解を求め続けて行きたいと思う次第である。
1.人材の知識の質と量を増やすことに、継続して投資をする。専門外の領域も奨励する
2.生きた知識を消化した人々の柔軟で緻密なネットワークを形作る
3.様々な「思考の素材」を自由に組み合わせる場を作る
4.「やってみなければ分からない」領域へのチャレンジにできる限り寛容になる
5.ひらめきやアイデアを論理的に分析し、フィードバックする体制を作る
ことである。
(1)については、どの会社でも取り組んでいることである。但し、ここで言う知識とは、"生きた知識"であることがポイントになるであろう。軍事思想家マハンの言葉を借りれば、「たくさんの書物を読み、そこから得た知識を分解し、自分で編集しなおして自分自身の原理原則を打ち立てること。自分で立てた原理原則のみが応用の利くものである。」というレベルの知識であるということだ。ある人材が得た知識が、単なる知識なのか、"生きた知識"なのかを峻別することが大事になると考えられる。
(2)については、"生きた知識"を持つ者の間でのネットワークを作ることがポイントになるであろう。先に示した"生きた知識"は、明文化が難しいものがほとんどであることを考えると、あくまでも人と人の繋がりに着目したネットワーク作りが重要となる。また、組織において、"生きた知識"を持つ人材は多くなく、かつ、そうした人の大半がマネジメント層に昇格することを考えた時、組織間に壁がある状況や"生きた知識"を持つ人材がマネジメントオペレーションに追われ、生きた知識を活用できないような状況は、そのまま、創造性を阻害する要因となると考えられる。
(3)にある、様々な「思考の素材」を自由に組み合わせる場を作ることは、基本的にはオフィス環境がポイントになるであろう。仮に、創造性の発揮が求められている組織において、オフィスが別拠点に分かれているような場合には、それだけ、創造性が生み出されるチャンスが失われていると考えられる。
(4)については、「やってみなはれ」という組織文化的な側面が大きい。組織的には、「水路付け」(Canalization)された意思決定の頻発回避に注意を払うことが有効であると考えられる。それを具体化するには、創造性の芽に対する最初の意思決定ポイントとなる中間管理職層への、継続的な訓練と意識付けが有効となるであろう。もちろん、その階層の年齢層の若さも良い影響をもたらすとも考えられる。逆に、中間意思決定層が専制的に振舞い、部下が唯々諾々とそれに従う組織文化を持っている場合、「水路付け」の罠に陥る確率が高まるとも考えられる。そうした状況に組織が陥っていないか、モニタリングと継続的な改善指導も有効となるであろう。
(5)については、"創造的思考が現実の力を持つために必要とされる"論理的な検証をする組織と創造を行う組織との有機的な連携を生み出すことが有効になるであろう。そもそも、過去の知識が生かせない領域は、大小はあれど、全て未知の領域となるわけであり、検証結果そのものの精度にも限界が生じる。検証結果に対する"解釈"や、検証"手法"そのものにおける創意工夫も不断に求められる。一般に、検証を行うチームと創造を生み出すチームとの間に対立関係は生じやすいが、組織としては、その間の溝をなくし、お互いに糊代を出し合う関係となるようにマネジメントしていくことが有効であると考えられる。
と、ここまでが、「頭の体操」復刻版を、子供の教育のためと思い30年ぶりに手に取ってみて改めて考えてみたことである。改めて、その序文を読み、その哲学の深さに触れたとき、この書籍が日本にもたらした経済効果とはいかほどのものだったのだろうかと思うことがあった。
私ども人事コンサルタントにとって、「組織における創造性を実現・具備するための要件とは何か?」は、永遠の問いの一つである。 私自身、脳動脈硬化症に陥ることなく、常にこの問いへの解を求め続けて行きたいと思う次第である。
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