たとえば思春期に背が急激に伸びる時期がある。その伸び率が大きすぎると、関節に歪みが出てきたりする。そのアナロジーから、この急成長ぶりでは組織内に問題が生じているのではないか、というのがその学者が指摘したかったことだった。
私のいたその会社は、“自前の会社”を標榜していて、1.自分たちで所有し(全員持ち株制)、2.自分たちで決定し(最高決議機関が社員総会)、3.自分たちで分配する、という経営を行っていた。社長を選挙で選ぶことや、学生が起業した会社であることから、株式会社全共闘と雑誌に書かれたりしていた。
組織の急激な拡大にも、急激な縮小にも共通するのは、構成員の意識が組織の変化に追い付いていけないという問題だった。日々の仕事でやり方を考えたり、判断したりする枠組み自体の変化、おおげさにいえばパラダイムチェンジが必要になるが、それはなかなか難しい。どうしても以前の延長線上で、業務遂行し判断してしまう。
チェンジマネジメントという言い方で、環境や事業・組織の変化に対応するとか、変革をリードするとかいうけれども、それは結局、従来のやり方、経験則を棄却し、新たな発想ができるかどうかの問題だろう。そのモグラたたきのような日日のマネジメントは決してスマートなものではなかった。
成長し利益が得られるようになっていく中で、いつしか理念はお題目となって利益の再生産が目的化したり、経営不振のあまりとにかく存続するため事業の志を変節させたりすることがある。しかし、利益追求やゴーイングコンサーンは手段にすぎない。
そのベンチャー企業のコンセプトは、組織とは、構成員の機会開発の場であり、そうした「目的としての組織」を社会に認めさせるということだった。発散型の急成長と、急激な縮小、ひいては会社の消滅を経験するなかで、それだけは、一貫していたなぁと、いま思う。
会社は消滅させたけれども、最終的に、全従業員の雇用をふくむ事業譲渡により、事業と人が継承できた。会社はなくすが、組織は存続させるという、いわば究極のチェンジマネジメントだった。それができたのも、そのコンセプトを堅持し続けたからだろう。
環境変化のなかで、組織と人を変えていくのが、チェンジマネジメントだとすれば、その要諦は、まず「変えてはいけないもの」を直視し堅持することなのではないか。
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