黒田兼一・山崎憲 著
旬報社 1,575円
人事セミナーで取り上げられるテーマのひとつに「グローバル」があり、外国企業と日本企業の違いについて論じられる。外国企業と言っても、いろんな国のさまざまな業種の企業があるが、主として欧米企業、とくにアメリカ企業が紹介されることが多い。
旬報社 1,575円
人事セミナーで取り上げられるテーマのひとつに「グローバル」があり、外国企業と日本企業の違いについて論じられる。外国企業と言っても、いろんな国のさまざまな業種の企業があるが、主として欧米企業、とくにアメリカ企業が紹介されることが多い。
大半の人事関係者はその内容をご存じだろう。新卒を一括採用して長期育成する日本に対し、職務能力重視で採用するアメリカ。最近は壊れかけているが、それでも年功序列的色彩が強い日本に対し、職種によって給与が決まっているアメリカ。そしてアメリカ企業は昔からそういう人事制度だったかのように思い込んでいる人が多いのではないだろうか。
そうではない。アメリカ企業も試行錯誤を重ねてきたのだ。そしていまも試行錯誤を重ねている。アメリカにおける人事制度の歴史、価値観、葛藤、制度の変遷について、本書は明確な展望を与えてくれる。その展望を基に日本の人事に起こっている変化について見通し、説明している。
本書の序には、執筆の動機と日米の人事制度に関する鳥瞰図が書かれている。アメリカでは、1929年の大恐慌以降に「栄光の30年」があり、1960年代末までは従業員は高賃金と高福祉を企業から得ることができた。しかし1970年代に入ってから双子の赤字が常態化していく。
1990年代に入ると、91年にソ連崩壊、92年に中国が市場経済への移行を決定し、自由市場がとてつもない規模に拡大した。このグローバリゼーションを加速したのがICTだ。ICTによって生産と販売が国境を越えて展開した。グローバリゼーションとICTというふたつの大波は、互いに共振しさらなる大波(熾烈な市場競争)と化した。
変化は恒常的に起こるから、企業は生産と労働を、市場の動きに合わせなければならない。フレキシブルに対応しなければ競争に勝てない。
1990年代に日本でもアメリカでも規制撤廃が正義であるかのように見なされ、じっさいに多くの規制が撤廃された。その理由は、法規制が企業のフレキシブルな対応を阻害するからだった、と本書は主張している。
法規制以外にもフレキシブルな対応を困難にするものがある。硬直した人事制度を本書は「リジッド」という言葉で形容している。rigid。厳格な、厳重な、硬直した、堅苦しいという意味だ。
アメリカではそれぞれの職務(仕事)が厳密に定義され、賃金は職務給として決められている。「雇用」と「処遇」がリジッド(厳格)に「仕事」に結びついている。言い方を換えれば、価格が決まっている「仕事」に「ヒト」をあてがうのがアメリカだ。
ところがこの仕事中心の人事労務管理が、うまく行かなくなった。ICTとグローバリゼーションの進展によって、仕事が激変するからだ。仕事の変化に応じて再編が必要となり、雇用と処遇を変えていかねばならないが、仕事基準のままではうまく行かない。そこでアメリカでは、「仕事基準」から「ヒト基準」という方向に変わりつつある。
日本はアメリカの正反対だ。仕事経験のない学卒者を一括採用し、定期的な人事異動によって能力を育成し、より高度な複雑な仕事を与える。つまり「ヒト」に「仕事」をあてがうのが日本だ。賃金は仕事ではなく、学歴と年功によって決まっていき、ヒトにくっついている。したがって仕事が変わっても処遇を変える必要はない。
しかし仕事と無関係に雇用と処遇が決まってしまうため、市場が変化して仕事が変わると、処遇とのミスマッチが生じ、コスト高になる可能性が高い。つまり「ヒト」と「処遇」がリジッド(厳格)に結びついている制度にメスを入れ、「ヒト基準」から「仕事基準」の人事労務管理を取り入れることが改革の方向になる。
日本企業の改革は、成果主義、終身雇用からの脱却、雇用形態の多様化、市場競争力の重視に向かい、アメリカ型に近づこうとしている。一方でアメリカ企業は、職務給からの脱却、能力・コンピテンシー重視の人事、能力開発重視など日本の人事労務に似たものに向かっている。
方向は違うけれど、日米の企業が目指しているのは、タイトルに使われている「フレキシブル人事」だ。柔軟に人的資源を活用するためにさまざまな人事施策が講じられている。
しかし本書では「現在」を解説する前に、人事労務の「歴史」を説明している。第一次世界大戦、第二次世界大戦はアメリカの人事労務に大きな変化を与えた。1980年代には日本企業の人事労務からの影響を受けた。
はじめて知ることが多く、歴史の流れの中で現在の変化を理解することができる。人事の初任者には難しい内容かも知れないが、ベテランなら納得することが多いはずだ。
「フレキシブル人事」は成功しているわけではなく、弊害を生んでいる。弊害から脱却するための施策提言は最終章にある。
最後まで読み進むのは、かなりの時間を要すると思うが、それだけの価値はある。ぜひ読み通してもらいたい。
そうではない。アメリカ企業も試行錯誤を重ねてきたのだ。そしていまも試行錯誤を重ねている。アメリカにおける人事制度の歴史、価値観、葛藤、制度の変遷について、本書は明確な展望を与えてくれる。その展望を基に日本の人事に起こっている変化について見通し、説明している。
本書の序には、執筆の動機と日米の人事制度に関する鳥瞰図が書かれている。アメリカでは、1929年の大恐慌以降に「栄光の30年」があり、1960年代末までは従業員は高賃金と高福祉を企業から得ることができた。しかし1970年代に入ってから双子の赤字が常態化していく。
1990年代に入ると、91年にソ連崩壊、92年に中国が市場経済への移行を決定し、自由市場がとてつもない規模に拡大した。このグローバリゼーションを加速したのがICTだ。ICTによって生産と販売が国境を越えて展開した。グローバリゼーションとICTというふたつの大波は、互いに共振しさらなる大波(熾烈な市場競争)と化した。
変化は恒常的に起こるから、企業は生産と労働を、市場の動きに合わせなければならない。フレキシブルに対応しなければ競争に勝てない。
1990年代に日本でもアメリカでも規制撤廃が正義であるかのように見なされ、じっさいに多くの規制が撤廃された。その理由は、法規制が企業のフレキシブルな対応を阻害するからだった、と本書は主張している。
法規制以外にもフレキシブルな対応を困難にするものがある。硬直した人事制度を本書は「リジッド」という言葉で形容している。rigid。厳格な、厳重な、硬直した、堅苦しいという意味だ。
アメリカではそれぞれの職務(仕事)が厳密に定義され、賃金は職務給として決められている。「雇用」と「処遇」がリジッド(厳格)に「仕事」に結びついている。言い方を換えれば、価格が決まっている「仕事」に「ヒト」をあてがうのがアメリカだ。
ところがこの仕事中心の人事労務管理が、うまく行かなくなった。ICTとグローバリゼーションの進展によって、仕事が激変するからだ。仕事の変化に応じて再編が必要となり、雇用と処遇を変えていかねばならないが、仕事基準のままではうまく行かない。そこでアメリカでは、「仕事基準」から「ヒト基準」という方向に変わりつつある。
日本はアメリカの正反対だ。仕事経験のない学卒者を一括採用し、定期的な人事異動によって能力を育成し、より高度な複雑な仕事を与える。つまり「ヒト」に「仕事」をあてがうのが日本だ。賃金は仕事ではなく、学歴と年功によって決まっていき、ヒトにくっついている。したがって仕事が変わっても処遇を変える必要はない。
しかし仕事と無関係に雇用と処遇が決まってしまうため、市場が変化して仕事が変わると、処遇とのミスマッチが生じ、コスト高になる可能性が高い。つまり「ヒト」と「処遇」がリジッド(厳格)に結びついている制度にメスを入れ、「ヒト基準」から「仕事基準」の人事労務管理を取り入れることが改革の方向になる。
日本企業の改革は、成果主義、終身雇用からの脱却、雇用形態の多様化、市場競争力の重視に向かい、アメリカ型に近づこうとしている。一方でアメリカ企業は、職務給からの脱却、能力・コンピテンシー重視の人事、能力開発重視など日本の人事労務に似たものに向かっている。
方向は違うけれど、日米の企業が目指しているのは、タイトルに使われている「フレキシブル人事」だ。柔軟に人的資源を活用するためにさまざまな人事施策が講じられている。
しかし本書では「現在」を解説する前に、人事労務の「歴史」を説明している。第一次世界大戦、第二次世界大戦はアメリカの人事労務に大きな変化を与えた。1980年代には日本企業の人事労務からの影響を受けた。
はじめて知ることが多く、歴史の流れの中で現在の変化を理解することができる。人事の初任者には難しい内容かも知れないが、ベテランなら納得することが多いはずだ。
「フレキシブル人事」は成功しているわけではなく、弊害を生んでいる。弊害から脱却するための施策提言は最終章にある。
最後まで読み進むのは、かなりの時間を要すると思うが、それだけの価値はある。ぜひ読み通してもらいたい。
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