さて前回は金沢大学の就業基礎力(社会基礎力)測定ツールを用いた取り組みをご紹介しました。
前回のコラムでもご紹介しましたが、学生の自己評価と企業の求める人材について大きなミスマッチがあることが明確になっています。このミスマッチを埋めるための取り組みが、社会の求める人材ニーズに合う人材を輩出することであると考えています。ではどのようにすればよいのか?
今の学生はそうした能力がないわけではない

今の学生は企業が重視する能力要素【主体性】、【実行力】、【創造性】に対する自己評価は確かに低いです。しかし、これは単にそういう能力要素を使う経験が少ないからではと考えています。「やったことないものをいきなりできるわけがない」いうことですね。変な例えになりますが、泳いだことがない人にいきなり水泳のタイムを計っているようなものではないかと考えています。そんなことを実際にやれば向こう岸に辿り着く前にほとんどの人が溺れてしまいます。
しかし、今の厳選採用下の就職活動は、もしかしたらそれに近いことを学生に強いてしまっているのではないかと感じています。したがって、大学生活を送る上でこのような能力を段階的に使う機会を増やすことで、ある程度は能力を引き上げることができると考えています。水泳の例えがわかりやすいのですが、いきなり足の届かないプールでタイム測定やろうとしても足がすくんでしまいますよね。ですから最初は足が着くところで少しずつ、まずは顔を水につけることころから始めて、段階的に泳ぎ方を覚えていくというステップを踏めば、最初は手間がかかるかもしれませんが少しずつできるようになるだろうと思っています。
また、トップ層の学生たちの優秀さ(われわれの世代では考えられないくらいすごいのが時々混じっています)を鑑みると、潜在的な能力そのものがほかの世代に比べて劣るということはありえないと思っています。

できないのは生まれ育った環境要因に負うところが大きいのでは?

手間をかけて教える必要があるということに対して、「それはやっぱり問題なのでは?」とお感じになった方もいらっしゃるかと思いますが、これはこういう育て方をしてしまった我々世代にも責任があると考えています。少なくなった子供に親や祖父母がかまいすぎ、自分の意思を主張しなくても周囲がすべてお膳立てしてあげるような育て方をしてしまったこと、素直でよい子に育つようにしつけ、周囲の空気を読み、場を壊すような言動を慎むような子供になってしまったのではないかと思います。素直でまじめで、他人の意見には従順で、人間的にはすごく「いい奴」なんですが、半面、失敗を怖がり、リスクを恐れ、周囲の軋轢を恐れて自己主張しない学生が増えてしまったのは、今の日本と社会環境を考えれば当然であるようにすら感じてしまいます。

ミスマッチを認識させる

金沢大学では「大学社会生活論」という授業が1年生の前期にあるのですが、私が担当する授業では前述した自己分析結果と求人企業の回答データのミスマッチを見せています。求められている能力が身についていないことについての自覚がないと、それを習得しようという意欲は湧きません。このあたりのくだりを実際の集計データを見せながら説明してゆくと、それまでは雑談していた学生たちも大体静まり返ってしまうことが多くなります。身に覚えのある学生が多いということなのでしょう。

まず自己主張からはじめよう!

では、何から意識させれば良いのか?
これは自分の意思を他人に示すことだと思っています。わがままを言えということではありませんが、自己主張ができないことにはどうにもなりません。自己主張することによる他人との利害関係の対立、言ってしまったことに対する責任感、うまく伝え切れないことにより生ずる誤解と軋轢等々、自己主張することによって起こりうる無用のトラブルはたくさんあります。しかし、これらを乗り越え、他人との意思疎通、そして信頼関係を構築できる能力こそが働く上で求められるコミュニケーション能力だと思います。最初からうまく伝えられるはずもありませんし、失敗も多くすると思いますが、まずはここから始める必要があるでしょう。失敗してもいいからとにかく自分の考えを他人に話す、伝えるという習慣づけを行うことが、すべての基本になります。
 自己主張というのは、受け身の姿勢から主体的な姿勢に変える第一歩としてとても大事なことなのですが、これを変えることすらなかなか大変なことかもしれません。そして、これを行う上で一番大事なのは、家庭での親子間の関わり方だと思います。それにはまず親が子離れし、子供の自主性を尊重するというスタンスで子どもと関わることがとても大事なことです。

では今回はこのあたりで・・・。
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