原田 曜平著
光文社新書 861円
近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」
近頃の本は、タイトルと内容が一致しないことが多いように思う。この本もそうだ。タイトルに「若者がなぜダメなのか」と謳っているが、読んでみると著者は若者を「ダメ」と決めつけているわけではない。7年間に47都道府県でインタビューした1000名以上(!!)の生態や行動を分析し、その特徴を精密に描いているだけだ。年齢は15歳(高1)くらいから20代半ば。

この世代と上の世代を分けるのはケータイの使用歴である。音声通話機器としての携帯電話は1990年代に普及していったが、メールやWeb閲覧ができるようになったのは、1999年のiモードサービスの出現(NTTドコモ)からだ。そして現在ではデータ通信が音声通話を追い抜くまでになり、iPhoneやアンドロイド端末などのスマートフォンが隆盛期を迎えている。

しかしケータイメールが使えるようになったのは、この10年間のことなのだ。いまの25歳は高1の頃にメールが使えるようになっていた。いま高1の生徒は幼稚園の頃に使えるようになっていた。かれらはケータイでメールを書きながら、読みながら成長した。

かれらの中にはケータイならボタンを見ずに高速で入力できる者も多い。大学生の中にはケータイで論文やレポートを書き、パソコンに送ってからプリントする者もいる。

現在の20歳代半ばを分水嶺に、明らかにケータイ歴が違う。このケータイ歴が近頃の若者がダメに見える原因と著者は推定している。

近頃の若者コトバに「KY」がある。「空(K)気を読(Y)めない」者をいやがることだ。時にはいじめに発展する。この「空気を読む」文化は、もともと日本社会特有のものだった。そしてかつての日本の村社会でも「村八分(葬式と火事を除くので八分)」があった。村の全員が、嫌われ者と絶交することを村八分という。

しかしそういう村社会的な文化は、高度成長期に薄れていった。地方から都会へ大量の労働人口が流入し、村がなくなったり、人付き合いが希薄になったからだ。マンションに住む者は隣人との付き合いをする必要はない。

ところが著者によれば、近頃の若者は村社会を作っているようだ。地域による「村」ではない。中学校の時の友達、高校の時の友達、大学生の時の友達、バイト先の友達、友達の友達、友達の友達の友達。こうして1人の若者がいろんな村(関係)を持っている。500人以上のメールアドレスを登録している若者は少なくない。

ケータイメール出現以前はこうは行かなかった。中学から高校へ、高校から大学へ、そして就職と人生の階段を上がるごとに、以前の仲間とは疎遠になっていった。恋も友達関係も、いつかは脱ぎ捨てるものだった。

いまはメールアドレスが登録され、仲間としょっちゅう連絡を取り合える。だから関係を重ね着する。たくさんの仲間といつも連絡し合うのだ。かれらは忙しい。今年になって「引きこもり70万人」と報道されたが、20代半ばより若い引きこもりは、家の中でケータイを使い、けっこう忙しく楽しく仲間とのコミュニケーションを楽しんでいるのかもしれない。

新入社員の半数が「海外で働きたくない」と考えているらしいが(産業能率大学調査)、確かに若者の海外志向は鈍っている。若者の海外旅行者数も留学生数も落ち込んでいる。若年者数の減少などの複数要因があるが、そもそも近頃の若者は「海外がかっこいいと言う人がかっこ悪い」と思っているらしい。また「ハワイは面白くない」というブログを読むと、「ハワイは面白くない」という情報が頭の中に固定されてしまうらしい。

いろんな情報がWebやメールで入ってくるから、体験していないさまざまなことに対して「既視感」を持っている。「チャレンジ精神が欠けている」というが、ケータイとともに育った若者には体験していないが、たいがいのこと(ネットにあること)は「知っている」。だから新鮮さを見いだせないのかもしれない。

この本の中にはたくさんのエピソードが語られている。これまでもたくさんの若者論が語られてきた。「若者は無気力でダメ」という批判もあれば、「悲惨な非正規雇用が増えている」という擁護もあるが、いずれも単細胞で上っ面の意見だと思う。

本書はいまの若者が感じ、考えていることが、若者自身へのインタビューを通じて解明されている。若者論の体裁だが、じつは時代論と言った方が正しいのかもしれない。
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