*本稿ではプライバシー保護のため状況設定を一部架空としています。
雇用慣行や労働者意識の変化、およびリーマンショック以降の雇用情勢悪化の影響などを受けて、うつ病等の気分障害を訴える労働者は右肩上がりで増加しており、厚生労働省の最近の調査では、国内のうつ病有病率は6.5%にまで達しています。このような状況を踏まえ、大企業を中心に従業員のメンタルヘルスケアへの取り組みがなされていますが、多くはEAPなどの予防的措置となっており、実際に発症した後の対応は後手に回っています。
今月から6 回にわたって、私たちが携わってきた事例の中で、心の病からの早期回復のために会社や家族などが病院等と連携しながらサポートを行い、実際に効果があったケースをご紹介します。

=ケース紹介=
プロフィール
Aさんは、OA機器を販売するB社で働く、35歳の女性です。首都圏の大学を卒業後、営業事務職として現在の会社に入社し、その真面目な仕事ぶりが評価され営業職に異動となり、以後10年間、営業一筋で働いてきました。私生活では親元から離れマンションでの一人暮らしをしています。
Aさんの性格は几帳面で責任感が強く、困難があっても忍耐強く頑張る特徴があり、家族や友人などに愚痴をこぼすようなこともほとんどありませんでした。
そのようなAさんに今から1 年ほど前、人事異動がきっかけとなって異変が表れました。

きっかけ:昇進で部下育成が重荷に?
1 年前の人事異動では、それまでの仕事ぶりが評価され、Aさんは3 人の部下を持つ主任に昇進しました。責任感の強いAさんは、自分の仕事を後回しにして、部下からの相談に乗ったり、新人部下の育成のために同行営業を行うなど積極的に部下育成に関わっていきました。しかし慣れない部下育成の仕事は手間がかかるうえに、思ったように効果が上がらなかったため、次第に焦りを感じるようになりました。また、従来からの営業の仕事は後手に回り、自身の営業成績は徐々に落ちてきました。何とか営業職の仕事と、主任としての仕事との両立を図ろうと努力しましたが、Aさん自身が満足できるレベルで仕事をすることは困難でした。“自分のことも部下のことも十分にできない。自分はダメな人間だ”Aさんは自分自身を責めるようになりました。

発症:睡眠障害が顕著に
Aさんに変化が表れたのは、上記のような状態が1ヵ月位続いた後のことでした。明るく温和だった表情は次第に暗くなり、目の輝きが次第に失われていきました。仕事面でも、顧客との商談日時を間違えたり、会議での発言中に次の言葉を忘れて呆然としたりするなど、以前のAさんでは考えられないことが起こりました。
心配した課長がAさんを呼んで話を聞いてみると、昇進により部下管理の仕事が増えるとともに心配事も増え、最近は夜の寝つきが悪く、しかも朝早く目覚めてしまうといいます。さらに、会社に出てきても資料が目に入らず仕事に集中できないなど、Aさんは自分の不調について訴えました。
面談の直後、課長からの勧めでAさんは会社指定の産業医を訪れました。さらに、Aさんからの話を聞いてうつ病の恐れがあると考えた産業医の紹介で、ある病院の精神科で受診し「うつ病により3ヵ月程度の療養が必要」との診断を受けました。

治療過程:家族とともに生活リズム改善
診断を受けたAさんは医師の薦めもあり、実家での療養に専念することになりました。療養が始まるとどうしても朝起き上がることができなくなり、1 日の大半を寝て過ごし、週に1 度家族に付き添ってもらい病院に通院するといったサイクルを繰り返す状態になりました。
療養を開始して1ヵ月ほど経ち、やっと朝起き上がることができるようになったAさんでしたが、それでも夕方までは何もせずにぼーっとしている日々がほとんどでした。たまに調子が良いときなどは、家族と近所に散歩に出かけたりしましたが、ふとした拍子に仕事を思い出し、急に不安に襲われ胸が苦しくなるなど、状態は安定しませんでした。
Aさんの家族は、両親と社会人として働く妹でしたが、皆生活時間がバラバラで家族一同が揃うことはありませんでした。病気からの回復には、まず規則正しい生活のリズムを取り戻すことが大切だと聞いた家族は、療養が2ヵ月目に入ってから朝6 時に家族揃って朝食を摂るよう生活リズムを変えました。このことに比例するかのようにAさんの起床・就寝その他の生活時間も徐々に規則正しくなり、自然と家族間での会話が生まれ、Aさんの表情にも明るさが戻ってきました。
療養3ヵ月目に入ると、Aさんは以前と同じ時間に起床・就寝できる状態にまで回復しました。また、毎日隣町にある図書館に電車で出かけ、読書を楽しむことが日課になりました。このような状態を医師に話すと「そろそろ復職について考えてもいい時期なので、会社の産業医と相談してみては」とのアドバイスを受けました。そこで、産業医を訪問し話をしましたが、産業医からは「復職を考える前に、自身が今回うつになった原因を振り返り、どうすれば再発しないか、一度考えを整理してみては」との話がありました。

職場復帰:配置転換で再発を防止
Aさんは、自分がうつ病になったきっかけが主任への昇進にあったこと、病気の再発を防ぐためには、いったん主任の仕事から外れるべきであると考え、自分の思いをまず家族に伝えました。すると、家族からも彼女とほぼ同じ意見が聞かれました。そこで自分の考えを産業医に伝え、産業医は人事部門と話し合った結果、医師からの復職許可の診断が下り次第、Aさんを重圧の少ない「人事部付」に異動すること、当初は時短勤務で様子を見ること、としました。
医師からの復職許可が下り職場復職を果たしたAさんは、1ヵ月後には通常勤務に戻り、現在は明るく元気に仕事をしています。また、自分の経験を踏まえて、主任昇進者を対象とした人材育成サポートの仕組みづくりにも前向きに取り組んでいます。

=このケースから学ぶ=
仕事や生活面での環境変化は、心の病のきっかけになりやすく、特に昇進では「昇進うつ」という言葉が一般用語化しつつあります。従って、昇進前後のメンタルリスクケアに企業としてより真剣に取り組む必要があるでしょう。
また、発症後の治療には、気力・体力を回復するための「急性的療法」と、再発防止のための「持続的療法」の2 つの段階があります。前者については家族など周囲の協力を得ながら、規則正しい起床・就寝・食事等の生活を送れるレベルにまで回復を図ることがポイントとなります。続いて後者のプロセスでは、本人・人事部門・産業医等が話し合って、休職前の職場にこだわらず、配置転換も視野に入れた復帰の検討がポイントになります。
今後は、家族も巻き込んでメンタルヘルスケアを図る取り組みが、ますます必要になってくるのではないでしょうか。

(2010.11.18)
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