2015年に閣議決定された「日本再興戦略」において、雇用制度改革・人材力強化のための施策の一つとして織り込まれ、また、2016年度より「キャリア形成促進助成金」(2017年度より「人材開発支援助成金」)の支給対象制度になった「セルフ・キャリアドック」。
中小企業においても導入が進んでいるが、効果的な導入運用方法について考えてみたい。
セルフ・キャリアドック導入の効果的な導入方法(その効用について)(4) 「外的キャリア」の不可解さ ── 「複合頭脳」と身体性

「群体頭脳」(コンパウンド・ブレイン)と「複合頭脳」(コンプレックス・マインド)

今回は、第1回に挙げた『セルフ・キャリアドック』の3つの大きな効用のうち、2つ目である「キャリアパスの明確化と有効活用」について掘り下げたい。

すこしSF的で不気味な話から始めることをご容赦いただきたい。20世紀初頭の科学者であるJ・D・バナールは1929年の著書『宇宙・肉体・悪魔』で、人類の未来の姿を描いた。「群体頭脳」(コンパウンド・ブレイン)、そして「複合頭脳」(コンプレックス・マインド)である。
科学は進歩し、知識は増大し続ける。人間の寿命では知識の習得が追いつかなくなる。では、どうするか?人間を脳だけにし、血液に相当する培養液の海に漬ける。さらに、無数の脳を電気的に連結して群体化し、思考や意識を共有する。バナールは言う。「一個の『群体頭脳(コンパウンド・ブレイン)』というよりは、一個の『複合頭脳(コンプレックス・マインド)』と呼ぶ方が正しいものとなるであろう」。
これらをイメージして、どのように感じられるであろうか。不気味に感じられる一方で、ある意味、理想的な組織の在り方を比喩しているとも言える。
この組織においては、完璧なナレッジマネジメントがなされ(ノイズの入る余地のないコミュニケーションにより、“忖度”など必要ない)、しかも個々の頭脳は自己同一性と連続性を保ちながら発展する(完璧なキャリアップ)。それぞれの特性を活かした分業を行い、個々の頭脳は階層的な(役割に応じて公平かつ効率的な)支配関係を持つ。そして複合頭脳となる。そんな組織であれば、効率的に目まぐるしい成果を上げることができるであろう。

頭脳第一主義と「外的キャリア」

バナールの描いたこの世界観に不気味さと違和感を感じてしまうとすれば、その理由は、身体から頭脳を切り離し、頭脳だけを個体の意味ある構成要素としていること(=頭脳第一主義)である。

現代の組織論、人事論、キャリア論等は、頭脳第一主義に近いものがある。なぜなら前述の通り、それがある意味理想的な組織のあり方であるからである。しかし、それらには身体性に対する洞察が欠けている。現実には頭脳は身体という鎧を被っている……いや、頭脳は身体の中の一部に過ぎない、実際に身体は「完全な意思疎通」の障害となる。例えば、脳と脳が直接繋がらない状態では、やむをえず不安定で不確実なコミュニケーションツールである言語を用いるしかない。そして、人は、表情やしぐさなどの身体をメディアとして媒体することにより、言語では足らない部分を補助する。
しかし、それではあまりにもノイズが多い。不安定で不確実である。前回書いたハイパーリアリティな組織を構築していかなければならない理由は、そこにもある。

更に前回から繰り返すが、現代の組織の階層、たとえばキャリアパスは、流動的なものであり、もっと言えば、刹那的でさえある。自己同一性と連続性を安定的に保ちながら発展することは困難なのである。

「外的キャリア」は拡張した身体である。しかし、組織や個人が描く「外的キャリア」は、組織と個人、あるいは個人と個人との関係性にノイズが生じない状態を理想としている。だがそれは「複合頭脳」でないかぎり、現実的には不可能な話なのである。従って、拡張した身体はシミュラークルとして、その存在に意味を与え、彩りを飾っていく必要がある。それはハイパーリアルなものであるけれども、バナールの描いた世界観よりも、むしろ人間的かもしれない、いや、人間的にならざるをえない。人間的であるというのは不完全で不安定なものでもあるからである。
セルフ・キャリアドックはそういった不完全さ、不安定さを持った身体の支えとなる。組織、人事、そしてキャリアに触れる上では、身体には頭脳も含んでいるが、決して頭脳だけではないことを心得ておかねばならないのではないだろう。
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