2015年に閣議決定された「日本再興戦略」において、雇用制度改革・人材力強化のための施策の一つとして織り込まれ、また、2016年度より「キャリア形成促進助成金」(2017年度より「人材開発支援助成金」)の支給対象制度になった「セルフ・キャリアドック」。
中小企業においても導入が進んでいるが、効果的な導入運用方法について考えてみたい。
中小企業においても導入が進んでいるが、効果的な導入運用方法について考えてみたい。
「リアリティ・ショック」と「キャリア・ドリフト」
前々回、私は「セルフ・キャリアドック」の大きな効用を3つ挙げた。今回は、その1つ目を少し掘り下げたい。「個人(従業員)と組織(企業)の共生と発展」についてである。個人が組織と共に歩むことは、そんなにスムースに行くものではない。例えば「リアリティ・ショック」と言われるものがある。リアリティ・ショックとは、入社前の期待や夢と入社後に経験するリアリティとの間のギャップによって生じる、組織への幻滅感である。
リアリティ・ショックの次に生じるのは「キャリア・ドリフト(漂流)」である。仕事も慣れてくると、日々の業務に追われながらも、仕事自体は無難にこなしてはいる。しかし、個人が組織との関係に希薄さを感じ、自分がこの組織で何をしているのか?何をしたいのか?将来の展望は?ということに対して、「なんとなく」過ごし、漂流している状態に陥るケースが多々見受けられる。
このようなリアリティ・ショック、キャリア・ドリフトの状態に陥ると、「個人(従業員)と組織(企業)の共生と発展」というのは、当然あり得ない。
優秀な人材が流出するか、または本来のポテンシャルを十分に発揮すること無く、「なんとなく」組織に留まっているということも生じてしまうのである。
「シミュラークル」となったキャリアパス、「ハイパーリアリティ」化した組織と人事論
大ヒットした映画シリーズ「マトリックス」では、殆どの人間が「リアル」だと感じている世界は、実は全てコンピュータが見せている「ハイパーリアリティ(仮想現実)」であるという、コンピュータに支配された未来の世界が描かれていた。監督のウォシャウスキー兄弟が、フランスの思想家であるジャン・ボードリヤールの著作にヒントを得て制作したという。ジャン・ボードリヤールは、「現代社会においては、記号がその意味するものとされるものの対象から解放され、『シミュラークル』(オリジナルの存在しない虚構)が溢れている。そして、そのシミュラークルによってシミュレーションの世界=ハイパーリアリティの世界が構成されている」と語った。
こういったシミュラークルやシミュレーションそしてハイパーリアリティの概念が、人事論に持ち込まれることは、これまで無かったかと思う。
しかし、現代の組織の多くのキャリアパスは、シミュラークルであり、それに沿ったキャリアプランはシミュレーションであり、それらによって成立する組織はハイパーリアリティである、と考察してみてはどうだろうか。
リアリティ・ショックが起こるのも、そもそもハイパーリアリティの世界である組織内に入れば、当然のことである。
また何がリアルかわからない状態で日々の仕事をしていれば、当然ながら、ハイパーリアリティの世界において、キャリア・ドリフトしてしまうであろう。
古代的な組織の階層秩序においては、その地位や組織内の位置づけは、固定的なものであり、それを揺るがすことは認められなかった(揺るがすとすれば、それは革命である)。
しかし、現代の組織の階層、たとえばキャリアパスは、流動的なものであり、もっと言えば、刹那的でさえある。
キャリアパスの各層の定義は、環境(組織再編、時代の要請、組織内のパワーバランス等様々な要因)によって、絶えず変化が求められる。
上司や先輩のキャリアパスを見ながら仕事をしていても、それを自分の将来像に当てはめリアリティを感じることが難しいのである。
更に問題(敢えて“問題”という言葉を使ってみる)なのは、人事論において、ハイパーリアリティである組織が、自らをリアリティあるものとして更に虚構化していることである。
現代の組織がハイパーリアリティであることを悪とは思わない。まして、それを是正することも必要ない。ハイパーリアリティであることを自ら認識し、それを前提として、人事論、人事施策、そしてキャリア論を展開していってはどうだろうか。
先日、新卒採用についての雑談の中で、「企業も学生もお互い『虚構』の見せ合いだから……」という、採用担当者の言葉を聞いた。そう、それなのである。企業が行う就職説明会は、今は娯楽性をも感じるイベントであり、学生が書くエントリーシートは現実120%以上増のアピール・アドである。
入社後にお互いの現実を知り合い、リアリティ・ショックを生じさせるよりも、そこからスタートする豊かなシミュレーション物語を始めてみてはどうだろうか。
キャリア研究家で著名なマーク・L・サビカスは、「アイデンティティはナラティブ(物語)によって形成され、それを『意味ある物語』にすることにより、充実したキャリアを形成していこう」と提唱している。ハイパーリアリティな「外的キャリア」の物語を楽しく演じていくと共に、リアルな「内的キャリア」の充実により、自身の充足感を得ていく……。
セルフ・キャリアドックは、それを実践していく機会であるべきではないか、私はそう考えている。
- 1