コラムを書き続けていると、世にあふれる様々な情報に敏感に反応してしまう。それも自分の考えとは対極に位置するネガティブな情報にだ。何ゆえか、強いものに抗う性分が自然に培われてきたせいかもしれないが…。
今回取り上げるのは、6月19日に言い渡された大阪高裁判決。私の感覚からすれば開いた口がふさがらない唖然とする判決だ。本事案の提訴までの経過を簡単に説明すると次のとおりだ。
今回取り上げるのは、6月19日に言い渡された大阪高裁判決。私の感覚からすれば開いた口がふさがらない唖然とする判決だ。本事案の提訴までの経過を簡単に説明すると次のとおりだ。
これって本当に男女平等・・・?
原告は、大阪府堺市に住む男性。被告は地方公務員災害補償基金。公立中学校の女性教諭だった男性の妻は、勤務先の中学校での校内暴力などで1997年にうつ病を発症し、1998年に自殺。男性は、公務災害の認定を求めたが不認定となったため、まず公務災害不認定の取消を求めて提訴し、2010年4月に公務災害を認められた。男性は、それを受け2010年6に地方公務員災害補償法に基づく「遺族補償年金」の支給申請をした。しかしながら、地方公務員災害補償基金は2011年、妻の死亡当時、原告が51歳だったことを理由に不支給の決定を下した。そこで原告は、地方公務員の遺族補償年金に関して、「妻は年齢にかかわらず受給できるのに、夫は55歳以上でないと受給できない規定は男女差別で、法の下の平等を定めた憲法14条に違反する。」として提訴した、という経過をたどっている。若干補足すると、現行の労働者災害補償保険法(民間企業の労働者)や公務員災害補償法(公務員)では、労災や公務災害に認定された場合、状況に応じて遺族補償を行うよう規定されている。ただし、その対象となる遺族には明確な男女差が設けられており、女性が遺族の場合の年齢要件はないが、男性が遺族の場合は55歳以上でないと支給対象として認められていない。しかも、男性への支給そのものも60歳からとなっている。また、男女に共通の支給要件として年収制限(収入850万円、所得655.5万円)も設けられている。
2013年11月の大阪地裁の第一審判決では、共働き世帯が専業主婦世帯を上回るなど社会情勢の変化を重視し、「性別で受給権を分けるのは不合理で差別的取扱い」とし、地方公務員災害補償法の規定を憲法14条の法の下の平等に反し、違憲と判示した。
これに対し、冒頭の6月19日の大阪高裁の控訴審判決(志田博文裁判長)は、「女性は男性より賃金などで不利な状況にあり、男女の区別は合理性を欠くとは言えない」とし、大阪地裁判決を取り消したのだ。
皆さん、どう思われるだろうか?
こんなときこそ「裁判員制度」を
もちろん、公務災害や労働災害にあたって、その遺族に年金等を支給するかしないかは立法政策の問題だから、その良し悪しの議論は別途あるだろう。ただ、少なくとも現行法は「働き手を亡くした利益の喪失を補い、遺族の生活を保護するのが目的」(大阪高裁判決より)の制度として存立している。控訴審判決では、女性に関する事情として「非正規雇用の割合が男性の3倍近い」「賃金格差が大きく、男性の6割以下と著しく低い」「専業主婦世帯数は787万世帯で、専業主夫の100倍を超える」などと指摘し、「今日の社会情勢でも、妻は年齢を問われず独力で生計を維持するのは困難で、男女の受給要件を区別した規定は憲法に違反しない」と結論づけている。一般人の頭だったら、「今日の社会情勢は大きく変わってきているから、現行の制度では救われない男性が多くなっているよね。だったら、男女差の規定は撤廃して、収入要件だけにすれば、男女にかかわりなく遺族として困った人が救われるよね。」となるはず。
この裁判長は「男か女か」だけの固定観念で黒白つけたいらしい。男性の専業主夫が困ってもお構いなし。ゆとりある家計の女性には大盤振る舞い。自分が下す判決が、個々の生活者にいかなる影響を及ぼすか考えられないのだろう。
おりしも、本事案と同種の「児童扶養手当」や国民年金の「遺族基礎年金」は元々男女格差があり、従来「母子家庭」だけが対象だったが、社会情勢の変化に適合していないとして、最近の法改正で「父子家庭」も受給対象にされたという時代なのに。
私から言わせれば、判決の論理が壊れている。制度の存立基盤が遺族の生活補償にあるならば、遺族の収入要件だけにすればいい話だ。男女差なんて全くもって意味がない。つまり、憲法14条に違反している。裁判長は、女性の現状を守ったつもりかも知れないが、全く逆だ。社会全体が女性の社会進出を後押ししようとしている時に、急ブレーキをかける判決だ。なぜなら、固定的な旧態依然とした制度に実生活が縛られてしまうことになってしまうからだ。つまり、夫婦の選択肢としての「専業主夫」は認められませんよ、と判決は言ったも同然なのだ。
本事案のような一般人の社会常識が問われるような裁判にこそ「裁判員制度」を導入すべきではなかろうか。浮世離れした職業裁判官の弊害を緩和するのにふさわしいと想うのは私だけだろうか?
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