国家というのは、「民」を食べさせるために経済的発展を遂げてきたと考えてもよさそうだ。日本が本格的に国家という体裁を整え始めた明治時代から今日までの産業構造の変遷を見れば、それは一目瞭然である。
サービス産業社会の現代日本が抱える課題
下図(図1)は、昭和5年からの産業別就業者数の構成割合だが、昭和初期には50%を超えていた第一次産業の就業者数は、75年後の平成17年にはわずか5%となっている。同時に第三次産業の就業者数は4000万人を超え、全就業者数の7割を占めるに至った。このように経済発展とともに各産業の就業者数が変化していくことは、「ペティ=クラークの法則」として知られているところである。現代日本は、まさに第三次産業中心の、脱工業化社会・サービス産業社会と呼ぶにふさわしい産業構造に転換しつつあるわけだ。
ちなみに、総務省統計局の2005年国勢調査資料から作成した世界の先進国の産業構造は下図(図2)のとおりとなっている。これによると、英米の第三次産業の就業者割合が先進国の中でも突出して高くなっているのがわかる。おそらく、製造業の凋落に伴い、金融サービス業へ雇用が大きくシフトしたためであろう。
ところが、この第三次産業は問題点もはらんでいる。第二次産業のように大幅な生産性の向上が見込めず、雇用者の賃金が上昇しにくいことである。いわゆる高度成長期の第二次産業全盛時代には同時に満たすことができた「所得の均等化」「雇用の拡大」「国民負担の抑制」といった、好ましい経済社会環境のいずれかを犠牲にしなければ、国家の機能を全うできなくなってしまうのだ。
北欧などは「国民負担の抑制」を犠牲にして高負担の福祉国家を目指した。英米は「所得の均等化」を犠牲にして格差の拡大を是としてきた。現在の日本を見ていると、時代のトレンドを無視して三兎を追っているように思えてならない。国民の意思として、どれかを諦める選択をしなければならない状況に至っているにもかかわらず、だ。
時代の流れへの情報感度を高めよう
我々は、いい加減、政治的ポピュリズムに踊らされるのは止めにしなければならない。それは、思考停止状態そのものであるからだ。企業経営者であろうと一般生活者であろうと、自らの思考回路に通電しておかなければ、誰も助けてはくれない社会を生きているのだ。私は、仕事の出来不出来の原因の一つに、時代の流れへの情報感度の低さが挙げられると思っている。これを探知しようとしないから、自らの立ち位置も理解できず、未来への見通しも立てられなくなってしまう。大事なのは、自ら考え自ら行動する意欲と実践力を持っているか否か、だろう。
順序としては逆かも知れないが、私たちは、ペティ=クラークの法則に従って時代が転換している今だからこそ、「自らの頭で考える癖をつける、そのうえでアンテナを張り情報を取り入れる、それらの情報をクロスさせて未来への道筋を立てる」、このような好循環を作っていくことが最も求められているのではなかろうか。
それができれば、明るい未来が待ち受けているのだろう。
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