ドラッカー以上の経営の神様と崇めているのが、ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授である。氏は1997年の著作「イノベーションのジレンマ」によって、破壊的イノベーションの理論を確立したことで有名で、企業におけるイノベーション研究の第一人者である。机上の理論にとどまらず、経営コンサルティング会社を経営したり、ベンチャーキャピタルや投資会社も経営する実務家でもある。
イノベーションのジレンマとは何だろう。クリステンセン教授によると、イノベーション(技術革新)には、すでにニーズのある従来商品の改良を進める「持続的イノベーション」とその商品価値を破壊し全く新しい価値を生み出す「破壊的イノベーション」がある。例えば、「固定電話」を破壊する「携帯電話」、生命保険の「対面販売」を破壊する「ネット生保」などである。
これまで優良企業として名をはせた企業は、過去の成功体験や株主・顧客・取引先との関係を保守的に考えざるを得ない立場から、自社のプレゼンスを発揮していくであろう「持続的イノベーション」を最重視し、「破壊的イノベーション」を軽視してしまう。
しかしながら、優良企業の「持続的イノベーション」の成果は、ある時点から顧客ニーズとミスマッチを起こし、つまり「破壊的イノベーション」で徐々に市場での価値を高めてきた新興企業の存在が無視できない力を持つようになり、結果、優良企業が供給してきた従来の商品は価値を失い、場合によっては企業そのものの存在が危うくなってしまう。
クリステンセン教授の理論は、実証的研究に裏打ちされたものであり、私たちのよく知る企業でも、このような現象は見られる。失敗の典型例がアメリカの「イーストマン・コダック」である。言わずと知れた、世界最大の銀塩フィルムメーカーであった。実は、このコダック、世界に先駆けてデジカメ技術を開発していた。1990年代のことである。ところが、このデジカメ技術を普及させていくことは、自らの本業の首を絞めるであろうことを恐れ従来商品にこだわってしまった。結果、後発の日本メーカーに後れをとり、新しいニーズに対応できず、2012年に破綻してしまった。
クリステンセン教授は、このような失敗を犯さないために大切なことを何点か指摘している。その一つが、企業内の既存組織で破壊的イノベーションを成功させることは難しく、独立した組織体(別会社など)にその権限を移行する必要性を強調している。なるほど、確かに責任と権限を分離しないとだめだなと納得する。大きい組織では、突拍子もないことを言う輩やその事業は葬り去られることも多いのだ。
私も、10年前までは県庁という地方では巨大な組織に属していたので、その感覚はよくわかる。次年度予算の編成作業のプロセスにブレーンストーミングという手法で、新規施策の有効性を検討する会議が設置されたりする。出席者は、知事をトップに副知事・部長などである。企業で言えば「役員会」の風情。そこで、新規施策を企画立案した各担当課長が、事業の内容・方法・効果などを手短かに説明し、予算化するお墨付きをもらわねばならない。
私 「これこれこういう事業で、このような方法で進めます。事業の実施により、これこれこういう効果が見込まれ、県民所得の向上を測定すると~のようになります。」
知事 「よく練られているじゃないか。」
副知事「この事業のニーズはあるの?もっと具体的ニーズを把握して進めるべきじゃないの。ニーズがあるとは思えないけど。」
私 「ニーズには顕在化しているものと潜在的なものがあると考えています。本事業は、地域との連携を通じ、ニーズを創り上げていくものです。マーケティング手法で言われるプロダクトアウトの考え方です。顧客に迎合するマーケットインではニーズを逃してしまいます。」
知事 「わかった、頑張れ!」
まあ、こんな調子である。様々な力学で潰しにかかる輩もいたりして、なかなか破壊的イノベーションは起こり得ない。組織が硬直化しているのだ。
さて、このイノベーションのジレンマだけれども、日本の社会保障もまさにこの罠に陥っているのではないかと思うことがある。年金・医療・介護などは、すべて右肩上がりの時代の発想で制度設計されたものだ。人口減少、超高齢化社会、低成長経済といった現代社会に耐えられる代物でないことは、為政者はじめ官僚も十分にわかっているはずだ。そうであれば、この制度を今後の社会構造に合わせて、ドラスティックに転換(イノベーション)していかねばならないことは自明の理。しかし、改革は一向に進まない。
この最大の原因は、政治家に選挙という試練が控えているからに他ならない。であれば、社会保障制度改革は、選挙とは関係のない政党を超えた中立機関が改革を担うようにすべきだ。クリステンセン教授が言う、破壊的イノベーションの実行部隊の独立組織化である。
そして、政党も国民もこの組織が行う改革にはひれ伏す覚悟が求められる。そうしないと、だらだらと改革は先送りされ、取り返しのつかない状況に陥ってしまうだろう。
くれぐれも、我が国がコダック化することだけは是が非でも避けていただきたいものである。
これまで優良企業として名をはせた企業は、過去の成功体験や株主・顧客・取引先との関係を保守的に考えざるを得ない立場から、自社のプレゼンスを発揮していくであろう「持続的イノベーション」を最重視し、「破壊的イノベーション」を軽視してしまう。
しかしながら、優良企業の「持続的イノベーション」の成果は、ある時点から顧客ニーズとミスマッチを起こし、つまり「破壊的イノベーション」で徐々に市場での価値を高めてきた新興企業の存在が無視できない力を持つようになり、結果、優良企業が供給してきた従来の商品は価値を失い、場合によっては企業そのものの存在が危うくなってしまう。
クリステンセン教授の理論は、実証的研究に裏打ちされたものであり、私たちのよく知る企業でも、このような現象は見られる。失敗の典型例がアメリカの「イーストマン・コダック」である。言わずと知れた、世界最大の銀塩フィルムメーカーであった。実は、このコダック、世界に先駆けてデジカメ技術を開発していた。1990年代のことである。ところが、このデジカメ技術を普及させていくことは、自らの本業の首を絞めるであろうことを恐れ従来商品にこだわってしまった。結果、後発の日本メーカーに後れをとり、新しいニーズに対応できず、2012年に破綻してしまった。
クリステンセン教授は、このような失敗を犯さないために大切なことを何点か指摘している。その一つが、企業内の既存組織で破壊的イノベーションを成功させることは難しく、独立した組織体(別会社など)にその権限を移行する必要性を強調している。なるほど、確かに責任と権限を分離しないとだめだなと納得する。大きい組織では、突拍子もないことを言う輩やその事業は葬り去られることも多いのだ。
私も、10年前までは県庁という地方では巨大な組織に属していたので、その感覚はよくわかる。次年度予算の編成作業のプロセスにブレーンストーミングという手法で、新規施策の有効性を検討する会議が設置されたりする。出席者は、知事をトップに副知事・部長などである。企業で言えば「役員会」の風情。そこで、新規施策を企画立案した各担当課長が、事業の内容・方法・効果などを手短かに説明し、予算化するお墨付きをもらわねばならない。
私 「これこれこういう事業で、このような方法で進めます。事業の実施により、これこれこういう効果が見込まれ、県民所得の向上を測定すると~のようになります。」
知事 「よく練られているじゃないか。」
副知事「この事業のニーズはあるの?もっと具体的ニーズを把握して進めるべきじゃないの。ニーズがあるとは思えないけど。」
私 「ニーズには顕在化しているものと潜在的なものがあると考えています。本事業は、地域との連携を通じ、ニーズを創り上げていくものです。マーケティング手法で言われるプロダクトアウトの考え方です。顧客に迎合するマーケットインではニーズを逃してしまいます。」
知事 「わかった、頑張れ!」
まあ、こんな調子である。様々な力学で潰しにかかる輩もいたりして、なかなか破壊的イノベーションは起こり得ない。組織が硬直化しているのだ。
さて、このイノベーションのジレンマだけれども、日本の社会保障もまさにこの罠に陥っているのではないかと思うことがある。年金・医療・介護などは、すべて右肩上がりの時代の発想で制度設計されたものだ。人口減少、超高齢化社会、低成長経済といった現代社会に耐えられる代物でないことは、為政者はじめ官僚も十分にわかっているはずだ。そうであれば、この制度を今後の社会構造に合わせて、ドラスティックに転換(イノベーション)していかねばならないことは自明の理。しかし、改革は一向に進まない。
この最大の原因は、政治家に選挙という試練が控えているからに他ならない。であれば、社会保障制度改革は、選挙とは関係のない政党を超えた中立機関が改革を担うようにすべきだ。クリステンセン教授が言う、破壊的イノベーションの実行部隊の独立組織化である。
そして、政党も国民もこの組織が行う改革にはひれ伏す覚悟が求められる。そうしないと、だらだらと改革は先送りされ、取り返しのつかない状況に陥ってしまうだろう。
くれぐれも、我が国がコダック化することだけは是が非でも避けていただきたいものである。
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